高天彦神社|奈良葛城|高天原の有力候補地に祀られる神とは・・・
高天彦神社(たかまひこじんじゃ)は、奈良県御所市北窪にある神社。式内社で名神大社に列する霊験あらたかな古社である。
後ろに聳える葛城山系最高峰の金剛山は古代には「高天山」と称されていたらしく、この神社一帯の地名も古くから高天(たかま)と呼ばれていた。
よって、記紀に登場する天孫降臨神話の舞台となった高天原ではないかと言い伝えられているが。。。
ちなみに、こちらの神社は無人である。所管は高鴨神社となるので、御朱印は高鴨神社で頂けるとのこと。
高天彦神社について
高天彦神社 概要
- 所在地 奈良県御所市北窪158
- 電話番号 0745-66-0609(高鴨神社社務所)
- 主祭神 高皇産霊神・市杵嶋姫命・菅原道真公
- 創建年 不詳
- 社格 式内名神大社・村社
- 公式HP なし
高天彦神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 近鉄御所駅→鳥井戸バス停徒歩50分
駐車場
- あり(無料)
現在の祭神は、高皇霊産尊、市杵嶋姫命、菅原道真公の3座。
延喜式神名帳には「一座」とあることから、その当時は高皇産霊尊のみを祀っていたと思われる。
高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)
天地開闢。まだ混沌としていた世界の始めに現れた造化三神(天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神)のうちの一柱。
神格は創造の神である。
神社の説明によると、社名の高天彦とは高皇霊産尊を指すとしている。
市杵嶋姫命
宗像三女神のうちの一柱。天照大御神と須佐之男命の誓約によって須佐之男命の持ち物から生まれた。
福岡県宗像市の宗像大社や、広島県の厳島神社などに祀られている海の神である。
後世、弁財天と習合したことにより財宝の神、芸能の神などの神格を得る。
菅原道真公
平安時代の貴族で政治家。稀代の大秀才でありかつ武芸にも秀でた文武両道の人であったが、ライバルの讒言による冤罪で九州の大宰府に左遷された。無実を訴え続けた末に大宰府で死去。
天満自在天神となって都に数々の天変地異を引き起こしたため、その祟りを鎮めるべく天満宮が創建された。という恐ろしい神。
しかし後世、学問の神、和歌の神、冤罪を晴らす神などなど、ありとあらゆるご神徳を持つ神として昇華し、全国の天満宮あるいは天神社に祀られている。
高天彦神社の創建
社伝によると、
金剛山の手前にある円錐形の御神体山「白雲岳」の聖林で祭祀を行ったのが始まり
とする。
となると、まずは山の神(=高天彦)を祀る自然信仰が始まりだったのかも知れない。
というのも、前述の通り金剛山は高天山(高間山とも)と称されていたからである。高天山の男神=高天彦だ。
それが、水耕農業が行われる頃には祭祀の目的が農業の安全に変わり、古代豪族の葛城氏が形成される頃には、祭祀の対象が祖神=高皇霊産尊に変わる、というように変遷していったのではないだろうか。
というのは、私の想像であるが。。。
806年の文書「新抄格勅符抄」に、「高天彦神四戸 大和国 宝亀10年(779)充」とあるのが、史書での初見。
よって、779年以前には社殿が創建されていたということになる。
高天彦神社のご利益
ご利益は以下の通りと、推察する。
- 高皇産霊尊より、浄化・創造力
- 市杵嶋姫命より、商売繁盛・財運・金運・仕事運
- 菅原道真公より、学業向上・合格祈願
- この場所のパワーとして、活力
高天彦神社 参拝記録
高鴨神社から車で10分程度だろうか。
国道24号線の西側、すなわち葛城山系の山麓を南北に走る通称「山麓線」と呼ばれる道路を進むと、「高天」と書かれた案内板がある。
そこから山に向かって、道なりに上っていく。それほど細い道ではないので、安心して頂きたい。
ほんの2~3分で到着。無料の駐車場がある。
社頭の様子
短い参道ではあるが、この山道感がいいのである。境内の神気はいかばかりかと、期待に胸が膨らむ。
鳥居から本殿まで一直線。山の冷気か、噴き出す神気か。冷たい風が鳥居から外に流れだしてくる。
あまり見かけないデザインの手水盤。蛇口から勢いよく噴出す水はすぐ後ろを流れる金剛山の山水らしい。冷たい。そして、美味い。
神域を守る小川
鳥居と神域の間に小川が流れている。私はこの小川に魅かれた。
細いながらも、豊かな水量を持つ急流。どうもこの小川に沿って山のパワーが流れ込んでいるように思えてならないのだ。
帰宅後、地形を確認してみると。。。
金剛山の三角点が設置されている「湧出岳」からの尾根が「白雲岳」に伸び、そこから一気に高天彦神社へ稜線が伸びていた。
山のパワーが龍脈に沿って高天彦神社に流れ込み、この小川が受け止めるという構成のようだ。
苔むした狛犬。生駒山麓の「往馬坐伊古麻都比古神社」の狛犬を思い出す。
本殿
三柱の祭神を祀る本殿。と思われる。拝殿は無い。
本殿の前に立ち、二拝二拍手一拝。天津祝詞。しばし黙祷。。。
鳥居前で感じた冷気、厳粛な気とは少々異なる、やや柔らかな空気感が混ざり合っている。
これはこれで、居心地がよい。
境内社
それほど広い境内ではないが、多くの境内社が鎮座していた。
八幡神社
本殿に向かって右手に八幡神社。祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、武内宿禰。
葛城氏は武内宿禰の流れをくむ氏族とされている。
八幡宮は源氏が信仰したため、武運・勝運の神というイメージが強い。
稲荷社・市杵島姫神社・御霊社
左から、
- 稲荷社・・・宇迦之御魂命と思われる。五穀豊穣、商売繁盛。
- 市杵嶋姫神社・・・市杵嶋姫命。金運、芸能向上、美容。
- 御霊神社・・・祭神は不明。祟り神が鎮まる祠である。
春日神社
本殿に向かって左側に春日神社。天児屋根命・武甕槌命・経津主命・比売神を祀る。
中臣氏の本拠に鎮座する枚岡神社や、藤原氏の隆盛のシンボルである春日大社の祭神である。
よって、家運上昇や出世運に御利益がありそうな気配である。
菅原社
春日神社の左隣に菅原社がある。祭神はもちろん菅原道真公である。
と、ここで気がつく。画像の奥に注連縄を巻いた磐座のようなものを発見した。
謎の磐座
これはいったい何なのか。
横に立て札があったが「火気厳禁」と書かれるのみ。なぜここに火気厳禁の立て札なのか。
謎が謎を呼ぶ。
帰宅後ネットで調べると、これは蜘蛛塚だろうとのことだったが、念のために所管の高鴨神社に問い合わせてみたところ、、、蜘蛛塚ではなかった!
御神体山「白雲岳」の聖林で祭祀を行っていたものを、麓に遷座して社殿を創建する際に、山の中腹にあった磐座を持ってきたもの。
あれを蜘蛛塚というのは間違いですね。
とのことだった。神職さんのおっしゃることであるからして信じる他ない。すっきりした。
天皇や朝廷に逆らう土豪を土蜘蛛と呼び、土蜘蛛を征伐して埋めた場所が蜘蛛塚。塚の上には、祟らないように巨石が置かれている。
▼一言主神社にある蜘蛛塚
三十八社
菅原社の左手にあるこの社は三十八社といい、葛城三十八皇神を祀るとする。
葛城三十八皇神とは葛城氏歴代の38人の王と聞く。
別の説としては、
役行者(役小角)が八幡や賀茂、春日、熊野といった日本の名だたる神、三十八神を金峯山に勧請し祀った三十八社が起源とする説。
金峯山の三十八社は寺院を中心に全国に広がったが、神仏分離によって寺院が破却されるに際して近隣の社地に移設され、祭神も仏教色を排除するために神道の神に変更された。
廃寺となった金剛山寺も役小角の開創であるからして、その名残かも知れない。
護国神社
御国のために戦って亡くなられた方々が鎮まる護国神社である。
高鴨神社にも護国神社が鎮座していた。
我々は、全国の護国神社に祀られる方々(神々)の御蔭で、今日の平和があると感謝申し上げなければならないと、あらためて思う次第である。
これにて高天彦神神社のレポートを終了させていただく。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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