葛木坐火雷神社|奈良|笛吹古墳に鎮座する社の謎。
葛木坐火雷神社は葛城氏笛吹に鎮座する、延喜式神名帳に「大和国忍海郡 葛木坐火雷神社二座」と記載された式内社にして名神大社に列した霊験あらたかな古社。
神殿の裏手にはこの地域を拠点とした笛吹連の首長のものと思われる笛吹古墳があり、その石室へと続く横穴の入口を見学することができる、古代史ファンには垂涎の地と言えよう。
葛城坐火雷神社について
葛木坐火雷神社 概要
- 所在地 奈良県葛城市笛吹448
- 電話番号 0745-62-5024
- 主祭神 火雷神・天香語山命
- 創建年 不詳
- 社格 式内名神大社・郷社
- 公式HP なし
葛木坐火雷神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 近鉄御所線近鉄忍海駅 徒歩約32分
駐車場
- あり(無料)ただし17時まで
葛木坐火雷神社の祭神
現在、火雷大神と天香語山命を主祭神とし、相殿として天津彦火々瓊瓊杵命(ににぎのみこと)・大日孁貴命(おおひるめむち)・高皇産霊命・伊古比都弊命(いこひつべ)を祀る。
を祀る。
火雷大神
火の神(迦具土命)を生んだ時の大火傷によって亡くなり、その体の各部位から生まれた8柱の雷神の総称。
雷が落ちると火災が発生するため火の神であるが、反面、雷が鳴ると激しい雨が降るため水の神でもあるという、2面性を持つとされる。
実際に、山城国乙訓郡にあった乙訓坐火雷神社は、朝廷による雨乞いの神社であったという。
ちなみに、京都乙訓郡の火雷神社の祭神である火雷神は、賀茂別雷神の父であるといわれており、葛城鴨族と山城賀茂氏とが、同じくして火雷神を祀っているとは、面白い。
天香語山命
先代旧事本紀によると、天孫「饒速日尊」(天火明命)の御子とされ、尾張氏などの祖神とされている。「饒速日尊」には物部氏の祖神とされる宇摩志摩治命という御子もあり、天香語山と宇摩志摩治命とは異母兄弟となるようだ。
熊野に住み、記紀に登場する高倉下と同一神であるという説もある。
この神社に祀られる理由は、天香語山命の末裔の内の「笛吹連」が、その祖神として祀ったものであろうと言われている。
瓊瓊杵命
天照大御神の孫、すなわち天孫。神話「天孫降臨」で降臨した天孫である。この神のあと3代目が神武天皇。地上に下りた皇統の祖ということになる。
大日孁貴命
天照大御神のこと。
伊古比都弊命(いこひつべ)
出自がわからない神。明治に入って近隣の為志神社を合祀したために、こちらの相殿として祀られるようになったとか。衣食住を司ると伝わる。
伊毘志都幣命(いひしつべ)の間違いではないか?とも。
葛木坐火雷神社の創建
社伝によると、
創建は神代とも神武天皇の御代とも伝わるが不詳。
延喜式神名帳に、「葛木坐火雷神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗」と記載されている。
火雷大神を祀る火雷神社と、天香語山命を祀る笛吹神社は、元々別に祀られていたが、延喜の制以前に合祀されていたものと思われる。
とある。よって二座とは、火雷大神と天香語山命のことを指すとするのが神社のスタンスだ。
しかし延喜式当時に既に合祀された状態で「葛木坐火雷神社」と社名が紹介されているとするならば、「笛吹神社」という社名は消滅したはず。
しかしながら、延喜式神名帳以降の記録には、「火雷神社」の社名は見えない。逆に「笛吹神社」が多く登場する。
となると延喜式当時はまだ合祀されていなかったとみたほうがよさそうだ。
奈良県史では「1874年(明治7年)、笛吹神社の末社であった火雷社を笛吹神社に合祀し、社名を葛木坐火雷神社に改めた」としている。
では、「二座」とは? 火雷神の二つの神格、すなわち「火の神」と「水の神」をもってして「二座」ではないだろうか。。。
勝手な想像である。
葛木坐火雷神社のご利益
火雷大神・・・飲食業・製造業・工場などの火を扱う職業や、消防関係の崇敬を集める。
天香山命・・・笛、フルート、尺八などの楽器演奏技術の上達。
葛木坐火雷神社 参拝記録
今回の葛城古道巡礼の旅は、そろそろ時間的に限界を向かえつつある。葛木坐火雷神社で終了としよう。
というわけで、一言主神社を出て県道30号線(山麓線)を北上する。
途中、右手に鴨山口神社があった。今となっては、こちらにも参拝しておけばよかったと後悔しているのだが。。。
何故かというと、鴨山口神社は全国の山口神社の総本宮らしい。
さて、鴨山口神社と通り過ぎて少しばかり走り、脇田の交差点を西へ(山側へ)入っていく。上り坂だ。
すると、道路脇に年老いた一人の女性が手を振っているではないか。平たく言うと、「おばあちゃん」が手を振っているではないか。
ちょっと状況が掴みにくかったので一旦通り過ぎてしまったのだが、バックミラーを見ると明らかに私に手を振っている。
なにはともあれ、車を止めなければ。。。
車を止めると、走り寄ってきた。結構元気。
聞くと、坂道の途中にあるケーキ屋さんにバッグを忘れてきたという。バッグを持たずにケーキの入った箱だけ持っているのだ。
さすがに、この上り坂を再び上がるのは、大変だろう。
いうまでもなく、私は車でケーキ屋さんまでお送りして差し上げた。
それだけの話だ。
老齢の女性を降ろして坂道をさらに上ると突き当りに鳥居が見えた。
鳥居の左横が「笛吹園地駐車場」。午後5時ぐらいまで開放されているので、ここに止めるのが善かろう。
一段目の末社群
鳥居をくぐったところに磐座がある。お百度石らしい。
さて、この段に、春日造りの小社が三社。右から、、、
- 春日神社・・・武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比咩神の春日四神か。
- 稲荷神社・・・宇迦之御魂神か。
- 熊野神社・・・伊邪那美命か。主祭神の火雷神は、伊邪那美命の亡骸に成った神。
二段目の末社群
この段には、明治時代のロシア製の大砲が置かれている。
さて末社を右から、、、
- 空室神社・・・火須勢理命・火明命・彦火火出見命
- 浅間神社・・・神吾田葦津姫命・市杵島姫命・忍兼神
- 森本神社・・・天宇須女命
梅室神社
さらには、その右側に梅室神社もある。祭神は、素戔嗚命・大歳命・大山咋命か。
拝殿への石段
城郭のような石垣の上段にそびえる拝殿には、くの字に折れ曲がった石段を上がることになる。
紅葉が実に素晴らしい。
そして、この石段を上がるにつれて神々しさが増していく。
ここを上がれば拝殿の正面だ。階段と拝殿との間が狭い。
拝殿内部
二拝二拍手一拝。天津祝詞。涼しい風が吹く。
本殿
木が茂っていて見えにくい。肉眼ではもう少し見えるのだが、画像では。。。
笛吹古墳
本殿の左奥に、古墳の石室へと続くであろう入口がポッカリと口を開けている。
笛吹連の首長クラスの墳墓であろうと言われている。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
ディスカッション
コメント一覧
・火雷大神、、、タタラ製鉄の猛烈な炎を神格化。(タタラは出雲古語(ドラビタ語)で猛烈な炎)
・天香語山命(=五十猛命)、、、
、、、秦帝国から渡来した徐福(本名は徐・市(フツ)。「フツ・・・神」は徐福の本名そのもの)は、
彦ホアカリを自称して出雲王国に至り、
出雲王国の内親王である高光姫命と結婚して五十猛=カゴヤマを産む)。
自ら立って王たらん(本来の目的)とクーデターを起こして
第8代出雲王の八千戈王(神門臣家当主)と、副王の八重波津身王(富家当主)を間髪を入れずに
ほぼ同時期に殺害(実行犯は配下のホヒとその息子のヒナドリ)するも
最盛期に有った出雲王国(すぐに第9代出雲王に鳥鳴海王(八重波津身王の嗣子)。副王には(味耜)高彦王(八千戈王の嗣子)が即位)はすぐに態勢を建て直して反撃に転じた事から
結局、出雲王国の簒奪の企ては失敗。
出雲王国から徐福(ホアカリ)を捕捉次第に暗殺せよ!との命令(出雲八重書き)が出て
逐われる身となり、妻子や渡来時に秦から引き連れてきた配下二千人の海童らを置き去りにして母国秦帝国に逃亡。
(後に、この二千人の海童(秦国人)や子孫がカゴヤマ~ムラクモに従い大和王朝を築き、後に秦族となる。
ムラクモ大王が葛城のこの地に大王宮を営んだ事から
付従っていた秦族もこの地に定住化。
海童~秦族ははるかな故郷の中国を望郷の念から良く笛を吹いていた事から笛吹の地名となった。
また、この当たりを高尾張と言った事から高尾張王朝とも言い、
三代タマテミ大王が母方実家の登美家(大鴨王家、磯城縣主、事代主/大物主家。)のある磯城(三輪山西麓)に移った後も
異母兄弟がこの地に盤居して豪族化したのが高尾張家(後の尾張家)/海部家)。
その際に、ムラクモ大王が大王就任の祝いに出雲王国から贈呈された出雲式剣(所謂、ムラクモの剣=草薙剣)を磯城大王家に譲り渡さずに保持し続けて、尾張家が大和を辞して東海地方(名古屋方面)に移った際にも捧持した。(熱田神宮に草薙剣がある理由)
また徐福は、出雲王国でのリベンジを胸に、再び秦の始皇帝を詐欺して、
異名をニギハヤヒを自称して九州佐賀に定住化。市杵島姫と結婚して彦ホホデミと妹姫のホヤ姫命を生み、
このホヤ姫命が丹波に移住した異母兄のカゴヤマに嫁してムラクモ大王(系図上の神武)を生む))
・天津彦火々瓊瓊杵命(古事記がニギハヤヒを捩って改竄した名称)
・大日孁貴命(出雲族の朝日を拝む習いから神格化。特に↑の徐福らが引き起こした出雲王国でのクーデターの影響で出雲から大和の葛城に移住した出雲族が三輪山に射し昇る朝日を良く拝み、大日霎貴命と崇拝した。)
・高皇産霊命(=徐福の母親。高木神)
・伊古比都弊命
たぬき様
コメントありがとうございます。
勉強させていただきます!