北野天満宮①|京都|「学問の神様」菅原道真公とは怨霊だったという事実。
北野天満宮は、京都市上京区にある神社で、二十二社の下七社に選定された霊験あらたかな神社である。北野天満宮は「天神さん」などと呼ばれるように、天神信仰の中心。全国にある天満宮や天神社の多くは、この北野天満宮から勧請されている。
またこのあたりは、「平野神社」「大将軍八神社」「金閣寺」「衣笠山」「船岡山」などなど、名所旧跡が密集していることから、八坂神社に代表される「東山パワースポット帯」に並ぶ、いわば京都の「西のパワースポットエリア」といえよう。
さて、北野天満宮の境内摂末社は50社。そのすべてを3回に分けてレポートしたいと思う。お付き合い頂けると幸いである。
北野天満宮について
北野天満宮 概要
- 所在地 〒602-8386 京都府京都市上京区馬喰町
- 電話番号 075-461-0005
- 主祭神 菅原道真公
- 創建年 947年
- 社格 二十二社
- 公式HP http://kitanotenmangu.or.jp/index.php
北野天満宮 アクセス
MAP
最寄り駅
- 京福電鉄北野線「北野白梅町」徒歩8分(大鳥居まで)
駐車場
- あり(有料)
天神信仰
一般的に天神信仰とは、天神=天満大自在天神=菅原道真公を信仰することを指す。
- 菅原道真公は死後すぐに、家臣によって「天満大自在天神」として神格化された。
- その後、京都御所を襲った「ある事件」をきっかけとして、菅原道是公は「雷神」とされた。
- 恐ろしい雷神に対する畏怖と道真公の鎮魂が信仰の対象へとなっていった。
しかし、天満宮ではなく「天神社」というと、実は概ね2種類ある。
一つは、天神=雷神として菅原道真公を祀る天神。もう一つは、天神=天津神として「ムスビの神」や「少彦名神」を祀る天神社である。
実は、もともと天神とは後者を指していた、ということを付け加えておこう。
北野天満宮の創建
道真公 左遷
西暦901年。地方豪族の出身であり、中央においても学校の先生のような家柄であったにもかかわらず政治の世界で右大臣にまで昇格した菅原道真公が、政敵の陰謀により左遷される。いわゆる冤罪。
向かう先は大宰府。京の菅原邸を離れ福岡の大宰府へと旅立つのである。現在のように新幹線があるわけでもなく、安全が確保されているわけでもない。体力も精神力も消耗させる旅であっただろう。
道真公の祟り
西暦903年。左遷されてわずか2年後、道真公は大宰府にて死去する。
道真公の死後、疫病や日照り、醍醐天皇の皇子たちの相次ぐ急死、さらには落雷による火災が相次いで発生。「道真公の祟り」とささやかれた。
西暦923年。朝廷は祟りを鎮めるべく、道真公の罪(冤罪)を許し正二位を贈る。
西暦930年。宮廷の清涼殿に落雷。多くの死傷者が出た。これを「清涼殿落雷事件」と呼ぶ。
死亡者の中には大宰府において道真公の監視役を務めていた藤原清貫が含まれていたことや、落雷の3か月後に左遷を命じた醍醐天皇が崩御したことなどから、「道真公の祟り」説は決定的となった。
北野天満宮創建
以下は、北野天満宮の創祇に深く関係したという「比良天満宮」の由緒書である。
西暦942年、西ノ京に住まう、道真公の乳母とも巫女ともいわれてる「多治比文子」に「吾を右近の馬場に祀るべし」との道真公の託宣がおりたことから始まる。
文子は貧賤の身なれば、右近の馬場に神社を創建するなど憚られ、自宅付近に祠を建てて祀ることにした。
946年、近江国比良宮の神官「神良種」の息子「神太郎丸」に「前に西ノ京の文子と云う者によって示すといえども人人信ぜず我居せむ処には松の種を植うべし」との託宣が降りた。
(比良天満宮由緒より)
そこで、「良種」「太郎丸」の父子は「文子」を呼び、朝日寺(現:朝日山東向観音寺)の僧侶「最鎮」に相談。
947年、文子・良種・太郎丸・最鎮の尽力によって右近の馬場に祠を創建することができた。
これを北野天満宮の起源とし、北野天満宮もそれを採用している。
その後、道真公の怨霊を鎮めたい藤原氏や朝廷によって壮大な社殿が造営されていき、北野天満宮へと発展していった。
北野天満宮の祭神
いわずもがなであろうが、主祭神は菅原道真公である。配神として、中将殿と吉祥女を祀る。
菅原道真公
繰り返すが、道真公は、地方豪族の出身であり、中央においても学校の先生のような家柄であったにもかかわらず政治の世界で右大臣にまで昇格した、とんでもない超秀才である。
コネも何もない、まさしく裸一貫、自らの頭脳のみで勝ち取った出世であった。
それだけに当然これを疎ましく思う人々もいたわけで、左大臣「藤原時平」によって無実の罪を着せられて左遷されてしまうのである。これを昌泰の変という。
崇徳天皇・平将門公と並ぶ「日本三大怨霊」の一人として畏れられていたが、現在は学問の神様として信仰を集めている。
中将殿
道真公の長男「菅原高視」(すがわらのたかみ)を神格化した神。昌泰の変で、土佐に左遷された。その後中央に復帰するも振るわず、38歳の若さで死去した。
吉祥女
道真の正室である「島田宣来子」(しまだ の のぶきこ)を神格化した神。吉祥天と習合したとされる。
昌泰の変の際は夫に随伴せず、道真公からの密命を帯びた五男「淳茂」とともに落ち延びた。その時、紀 長谷雄(きのはせお)の娘「吉祥女」と名乗っていたとする説もある。
北野天満宮の御利益
菅原道真公すなわち「天満大自在天神」のご神徳は、おもに学業と五穀豊穣であるが、その他にも多岐にわたるご神徳がある。以下列記する。
- 五穀豊穣・商売繁盛
- 慈悲・正直・至誠
- 冤罪を晴らす神
- 学問・和歌・連歌
- 渡唐天神・・・唐の禅師から奥義の
- 芸能の神・・・出雲の阿国が初めて歌舞伎を演じた場所
- 厄除の神
その他にも、各地で祀られている「天神」のご神徳をまとめると、、、
- 和魂漢才・和魂洋才
- 武芸・戦勝祈願
- 茶道・書道・筆
- 病除・火除・雷除
- 長寿
- 交通安全・海難除け
- 縁結び・縁切り
- 子宝の神・子供の守護神
- 極楽往生
- 王城・国家鎮護
- 鬼門・魔封じ・怨敵調伏
- 土地神・伽藍神・仏法守護
- 誓約神
天満宮独特な神々
北野天満宮には、多くの摂末社に多くの神々が祀られている。
その中には、天満宮以外では祀られることのない「天満大自在天神の眷属」として畏れられた神々や、道真公と同じように失意の内に亡くなった方々や非業の死を遂げた方々、すなわち御霊(怨霊)も、数多く祀られている。
当ブログでは、それらの神々を漏れなくご紹介することが御霊への信仰心と捉え、まさに漏れなくご紹介しようと思う。
長丁場になるが、お付き合いいただければ幸いである。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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