大江神社|四天王寺七宮|七宮のうち四宮がここに集結する聖地。さらに、珍しい「狛トラ」が鎮座する阪神タイガースの聖地でもある!
大阪市天王寺の夕陽丘にある大江神社は、四天王寺建立に際してその守護のために創建もしくは指定された四天王寺の七宮のひとつとして数えられる由緒ある古社である。
生国魂神社や高津宮と同じく、この大江神社も上町断層上にあるため西側は急崖となっている。その崖下は、かつて大江の岸と呼ばれた浜だったので大江神社と名付けられ、ここから海に沈む夕日が美しいことから、夕陽丘と名づけられたという。
ちなみに、神仏習合時の名残である毘沙門堂跡地には狛犬ならぬ狛虎が安置されていて、そこはまさに阪神タイガースファンの聖地となっている。
大江神社について
大江神社 概要
- 所在地 大阪市天王寺区夕陽丘町5-40
- 電話番号 06-6779-8554
- 主祭神 豊受大神 須佐之男尊 大己貴命、少彦名命、欽明天皇
- 創建年 推古天皇御世
- 社格 村社
- ご利益 厄除け
- 公式HP http://www.ooejinja.net/
大江神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 大阪市営地下鉄 谷町線 四天王寺前夕陽丘駅
駐車場
- なし
大江神社の創建
創建年代は明らかではないが、前述の通り、四天王寺七宮のひとつとして聖徳太子によって創建されたとすれば飛鳥時代の創建となろう。がしかし、平安時代前期に発布された延喜式の神名帳には記載が無い。
記載が無いからと言って存在しなかったとは一概にはいえない。熊野三山の一つ那智大社は延喜式制定時は神社ではなく山岳宗教施設との認識だったため、神名帳には記載されなかったと聞く。
当社も、いつの頃かわからないが神仏習合の潮流の中で毘沙門堂を建立され「毘沙門天」が祀られており、毘沙門社と称していた。また四天王寺の北西の守護神として乾社と称しており、神事や祭祀も四天王寺の僧侶が執り行っていたという。
であるからして、延喜式当時の当社は四天王寺の一部として認識されていたのではなかろうかと考えたい。
明治維新後の神仏分離政策によって毘沙門堂や神宮寺は廃され、慶応3年に「大江神社」と改名した。
大江神社の祭神
現在の祭神は、豊受大神、素戔嗚尊、大己貴命、少彦名命、欽明天皇である。
豊受大神
伊勢神宮外宮に祀られる、「食物・穀物を司る神」である。当社では、それに加えて水の神・生命の神としている。
食べ物を司る神ということで、稲荷神(倉稲魂命)と習合し、同一視されるようになったが、私としては出自が異なるため、断じて同一神ではないと思っている。
素戔嗚尊
伊弉諾尊が黄泉国から戻り、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原(つくしの、ひむかの、たちばなの、おどの、あわぎはら)で禊払をした際に生まれた三柱の神の末っ子。姉に天照大神、兄に月読命を持つ。この三柱の姉弟神を三貴子と呼ぶ。
同じ四天王寺七宮である土塔神社、小儀神社を合祀したことによって、大江神社の祭神に加わった。
大己貴命
素戔嗚尊の子、あるいは6世孫とも言われる「大国主命」の青年時代の呼び名である。
四天王寺七宮である上之宮神社を合祀した際に、祭神に加わったと思われる。
少彦名命
古事記では、神皇産霊神の子神とされ、日本書紀では高皇産霊神の子とされる。いずれにしても天地の始まりのときに現れた神々「造化三神」の子である。よって「天神」と呼ばれる。
ガガイモの船に乗って海の彼方からやってきた小さな小さな神とされており、大国主命の名参謀として国造りに活躍する神だ。海の彼方からやってきたというところから、元々は渡来系の神であったとする説もある。
こちらも、四天王寺七宮である上之宮神社を合祀した際に、祭神に加わったと思われる。
欽明天皇
第29代天皇である。上之宮神社を合祀した際に、祭神に加わったとされる。
さて、「欽明天皇」の子供たちはというと、皇子には「敏達天皇」「用明天皇」「崇峻天皇」、皇女には「推古天皇」「穴穂部間人」と、いう錚々たる顔ぶれがそろう。さらに、「用明天皇」と「穴穂部間人」の間に、「聖徳太子」が誕生するのだ。
実はこの顔ぶれ、物部守屋滅亡に大きく関与する方々ばかりである。そして、太字の御名前を数えると、ちょうど7人。んっ、七宮?
大江神社の御利益
以下の通りである。
当社の御祭神である豊受大神は五穀豊穣の祖神であることから、開運厄除、衣食住守護、諸業繁栄を司られ、水の徳顕著で生命を守られます。素戔嗚尊は天照大御神の御弟神で、八俣大蛇を退治した勇敢な神様で、「スサ」には「荒・清浄」の意味があり、罪・穢・災・厄など身に降りかかる悪しきこと諸々を、荒々しい程の強い力で祓い清める災厄除けの神様です。
大江神社 参拝記録
大江神社は、地下鉄谷町線夕陽丘四天王寺前駅から徒歩3分ぐらい、大阪の名門中の名門「星光学院」横の小道を入っていくと、その突き当たりにある。手前には、縁結びのパワースポットである「愛染さん」もある。
大江神社は、となりの「愛染さん」の賑わいをよそに、「ひっそりと」そして「しっとり」と鎮座されている。
東鳥居
東側(谷町筋側)からくると平坦な道なのだが、西側(松屋町筋側)からだと断崖絶壁が待ち受けている。
西鳥居
この鳥居こそが、大江神社(毘沙門社)の正門なのだ。
そしてこの石段は「百歳の階段」と名付けられている。説明書きには、、、
この階段は101段あり。人生の区切りの百歳よりあともう一歩。心も身体も健康でありますようにと願いを込めて名付けました。一歩一歩踏みしめて神様にお参りしましょう。
南鳥居
境内には南側にもう一つ鳥居がある。この鳥居の外は崖である。というわけで、使われていない鳥居なのだが、その鳥居は、拝殿・本殿の正面に位置する。かつての本来の鳥居だったと考える。
拝殿
すがすがしい心持にしてくれる拝殿である。豊受大神は、食物を司る神である。食べることに困らない。仕事運の向上も期待されるのである。
その左隣に、いったい何であろうか、、、
阪神タイガースの聖地 狛虎
冒頭に述べたように、神仏習合時代には毘沙門社だった大江神社。毘沙門天といえば「虎」。現在、毘沙門堂は廃仏毀釈運動により存在しないのだが、名残として「狛虎」だけは残されている。メガホンが奉納?されている図は少しく奇異に写る。
この狛虎は新しいものだが、江戸時代のものは神仏分離・廃仏毀釈の中で持ち出され、なぜか「吽形」だけが滋賀に移されたらしい。また、ここの残った「阿形」も大阪大空襲によって痛々しい姿になっていたのである。
そこで立ち上がったのが阪神タイガーズファンだ。虎と言えばタイガースだからだ。
まずは、「吽形」を新調して奉納。とりあえずは阿吽一対体制にしてタイガースの優勝を祈願した。平成15年の夏の事である。なんとその年、狛虎の神力によるものか、星野監督のもと阪神タイガーズは18年ぶりの優勝を果たしてしまったではないか。
その夜は、狂喜乱舞のタイガースファンが、ミナミやアベノから大挙してこの聖地に集結したのは言うまでもないであろう。
こうなると、調子に乗るのがタイガースファンである。私も含めてだが。。。空襲で傷んだ「阿形」はさらに傷みが激しくなったため保存し、新「阿形」を奉納。平成23年10月のことである。
これで来シーズンは優勝必至と思われたが、以降、優勝から遠ざかっている。
とはいえ、阪神タイガースの聖地には変わりないのである。
四天王寺七宮
ここで、四天王寺七宮の主祭神についてもう一度整理したい。
まずは、こちらの記事をご覧いただければ幸いである。 ➡ 四天王寺七宮 厄払い!北辰北斗パワーで封印するものとは、いったい何なのか! |
この記事を書いた当時は七宮の配置と四天王寺の関係という視点で論じたが、今回は祭神という視点で七宮にアプローチしたくなったのだ。それは、
「欽明天皇」の子供たちはというと、皇子には「敏達天皇」「用明天皇」「崇峻天皇」、皇女には「推古天皇」「穴穂部間人」と、いう錚々たる顔ぶれがそろう。さらに、「用明天皇」と「穴穂部間人」の間に、「聖徳太子」が誕生するのだ。これらを数えると7人となる。
という発見からの発想だ。
- 大江神社・・・豊受大神(合祀前)
- 堀越神社・・・崇峻天皇(創建当初)
- 上之宮・・・欽明天皇、大己貴命、少彦名命(大江神社に合祀される時点)
- 河堀稲荷神社・・・宇賀魂大神、崇峻天皇(四天王寺建立、祭神に加わった)
- 土塔神社・・・素戔嗚尊
- 小儀神社・・・素戔嗚尊
- 久保神社・・・天照大御神、素戔嗚尊、伊邪那岐尊、伊邪那美尊、宇賀御霊神
3人しか見つからなかったが、少なくとも大江神社のみが他社と印象を異にする。
どこが違うのか?他社は天皇もしくは素戔嗚尊を祭神とする。そして素戔嗚尊は牛頭天王。すなわち天王(天皇)なのである。
そうなると、他に残り4人を祀る神社はないかと探したくなるのが人間というものだ。
- 五条宮・・・敏達天皇・・・四天王寺の鬼門の方角に鎮座。四天王寺の医療施設の守護神として祀られる。
- 鵲森宮・・・用明天皇、穴穂部間人皇后、聖徳太子・・・元四天王寺といわれる神社の1つ。
推古天皇が見つからない。
とはいえ、守屋公滅亡に深くかかわる皇族の多くが、四天王寺周辺に祀られている事実に遭遇する。そう思ったとき、四天王寺七宮の構成社は「大江神社」ではなく、「五條宮」だったのでは?などという仮説が頭をよぎる。
これは興味深い。もう少し詳しく調査する必要があるようだ。。。後日、報告させていただこうと思う。
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