鴨高田神社|東大阪|古代大和川に鎮座する鴨氏の氏神で家運隆盛と子孫繁栄のご利益を!

2017年12月11日

鴨高田神社は、東大阪市高井田元町にある、延喜式神名帳に「河内国渋川郡 鴨高田神社 一座」と記載される式内社である。

古代豪族の鴨氏がこのあたりに居住し、その祖神を祀ったのが始まりという古社である。

古代大和川の本流(現:長瀬川)の西岸にあたるこの地域は、きっと水耕農業に適した土地だったのだろう。

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鴨高田神社について

鴨高田神社 概要

  • 所在地   大阪府東大阪市高井田元町1丁目5−3
  • 電話番号    06-6781-0484
  • 主祭神   速須佐之男命・大鴨積命・神功皇后・応神天皇
  • 創建年       不詳(社伝:673年)
  • 社格    式内小社・郷社
  • 公式HP   なし

鴨高田神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 近鉄奈良線 河内永和駅 徒歩3分

駐車場

  • なし 鳥居の左奥にスペースはあるが、、、

鴨高田神社の祭神

現在、速須佐之男命・大鴨積命・神功皇后・応神天皇の4柱を祀る。

速須佐之男命

伊邪那岐命の御子にして、天照大御神と月読命の弟。三貴子とも称される血統を持ちながら、粗暴であったがゆえに高天原から追放される。

流転の身となったが、八岐大蛇退治をきっかけに妻を娶り出雲に居を構え、出雲から九州までを支配した。天津神でありながら国津神の祖神ともなった大王と言えよう。

中世には牛頭天王と習合。もっぱら牛頭天王あるいは祇園神、すなわち「疫病除けの神」として全国津々浦々の村々に祀られることになった。

よって、江戸時代の古地図を見ると、稲荷社とともに牛頭天王社を数多く見ることができる。

大鴨積命

古代豪族の鴨氏の開祖で、三輪系の国津神である。

三輪山に鎮まる大物主神の子である太田田根子の孫とされる。これは速須佐之男命から数えると11世孫となるらしい。

鴨の地に事代主神を祀る神社「鴨都波神社」を創建したことから、崇神天皇から賀茂の氏を賜った、まさに鴨氏の祖と伝えられる。

神功皇后

3世紀に活躍したとされる14代仲哀天皇の皇后。

仲哀天皇崩御の後は女帝として三韓征伐を敢行するなど勇ましい一面を持つとともに、15代応神天皇を生んだことから子宝・安産の神としての側面も持つ。

全国の八幡宮に祀られる。住吉大神を構成する1柱に数えられる場合もある。

応神天皇

15代天皇。品陀別命・誉田別命とも。

天照大御神とともに「皇祖神」という位置づけとなっている。よって現在の皇統は応神天皇から始まるのでは?という説がある。

全国の八幡宮の主祭神。

鴨高田神社の創建・歴史

社伝によると、白鳳2年(673年)に古代豪族の鴨氏がその開祖である大鴨積命を祀ったのが始まりだという。

ちなみに、京都の上賀茂神社の創建が白鳳6年であるから、それよりも4年早く創建されていることになる。

一説には、鴨高田の神は「迦毛大御神」すなわち鴨氏の祖神・阿遅鉏高日子根神であり、古くから高井田の里に鎮座していたとも。

中世には、石清水八幡領となったため「八幡宮」と呼ばれていたようだ。おそらくはこの時に「神功皇后」「応神天皇」が勧請されたのだろう。

また、社頭の説明には、

醍醐天皇・延喜18年(918)、大洪水に見舞われ五穀が稔らず困窮したとき、諸民が当社に祈願したところ霊験があり、百姓がおおいに喜んだ。

後桃園天皇の安永年間(1772–80)、悪疫が流行したとき、時の神職・久左衛門が1月9日から10日間、断食して悪疫祓除を祈願し、全村その厄をまぬがれた。

という逸話が掲載されている。

牛頭天王=速須佐之男命が祀られたのは、悪疫祓除の祈願の頃だろうか。

鴨高田神社のご利益

ご祭神から判断するに、

  • 厄災除け・・・速須佐之男命より
  • 一族・子孫繁栄・・・大鴨積命より
  • 諸願成就・・・八幡大神より
  • 商売繁盛・・・鴨稲荷大明神・戎神より(後述)
  • 農業繁栄・・・水分神より(後述)

といったところとお見受けする。

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鴨高田神社 参拝記録

高鴨神社は近鉄奈良線の河内永和、もしくはJRおおさか東線のJP永和駅から北に歩いてすぐ(駅から見えている)のため、電車で行かれることをお勧めする。

車では、神社の周囲は一方通行の嵐だし、駐車場もない。

たまたま宮司さんが掃除中だったので声を掛けさせていただき、境内に停めさせてもらったが、そうでなければちょっと車で乗り入れるのには気が引けるのである。

真っすぐに伸びた内参道とその両側に並ぶ灯篭の整然とした佇まいが実に美しい。

同じ形状で同じ大きさの灯篭が立ち並んでいることによって、遠近感が出る。空間が立体的に感じられるのである。

ひとたびこの灯篭に挟まれた内参道に立つと、吸い込まれるように本殿へと足が進む。

鴨高田神社の拝殿

立派な割拝殿の中央から本殿の扉が見える。

二拝二拍手一拝。天津祝詞。

途切れることなく参拝者がやってくる。出勤途中のサラリーマン。散歩中の方。毎日のルーティンに組み込まれているようだ。

これが産土様・氏神様の姿なのだと改めて思うとともに、私自身が私の住まう地域の氏神様に久しく参拝していなかったことに気づかされた。

鴨高田神社 本殿

木々が生い茂っており見えにくいが、流れ造りであろうか。割と大きい。

少し反りの入った外削ぎの千木がカッコいいのである。

境内社

本殿東のご神木

拝殿に向かって右手に進むと、本殿を囲う玉垣の横手にご神木がそびえる。まだまだ若い木のようだ。とは言っても大木だ。

水神社 存在感あり!

東のご神木の奥に水神社がある。祭神は水分神(みくまりのかみ)

水分神とは水の神で、特に農業用水を司る神。水源地や水路の分岐点に祀られた。もちろん、雨乞いも。

金網に囲まれているため、少しく風情を欠くのであるが、池に鴨が浮かんでいるのを発見するに至ったときには和むのである。

▼鴨が浮かんでいる絵

この鴨を見て思いついた。

この水神社は、東を向いている。東には古代大和川(現:長瀬川)の本流が流れていたはずだ。

鴨氏発祥の葛城に鎮座する「鴨都波神社」も、葛城川の水辺に水の神・農耕の神として事代主命を祀ったのが始まりだった。

▼鴨都波神社の記事はコチラです!
鴨都波神社

であれば、大和川の水辺に水の神・農耕の神として大鴨積命を祀ったのが始まりだったのではないだろうか、この水神社の場所に、、、東向きに、、と想像するのである。

次は、拝殿の左手へと進もう。

拝殿の正面まで戻ると、そこに戎神が鎮座している。

戎神

戎様の石像である。関取か親方のような風貌であるが、何と言われようと戎様だ。

地面を覆う銀杏の葉の黄色が美しい。商売繁盛・大漁のご利益を頂ける。釣に出かける前に参拝すれば、釣果も目出度いかもしれない。

本殿西のご神木 「お駒樟」

この画像では何が何だかわからないと思う。

これは樹齢1000年を超える樟の大木なのだが、大正期に枯れてしまったらしい。今は地上3m程度の枯れた幹を残すのみとなってしまっている。

「お駒樟」の謂れは、、、

お駒という女性がこの木に釘を打ち付けて呪詛を行ったところ、その願いが叶ったから、だとか、

お駒狐という狐が棲みついていたから、だとか。

呪詛はよろしくない。

鴨稲荷大明神

境内の西側面の道路を挟んだ向こう側に稲荷神社がある。祠ではなく、自然石を祀っている。

境内で、ここだけが朱色。一種独特な雰囲気を持つ稲荷大明神である。

祭神は宇迦之御魂神であろう。勿論、ご利益は商売繁盛だ。

最後に

つい先日、奈良県御所市に鎮座する葛城氏・鴨氏ゆかりの名神大社6社を巡礼した。

今回の参拝は予定外の行動だった。たまたま高井田にある学校に娘を送ったあと、何の気なしにカーナビで付近の神社を検索しところ、、、

なんとなんとトップに鴨高田神社がリストアップされたのだ!

これも縁なのだろうか。

昔、こんな話を聞いたことがある。

神様は参拝者にくっついて、タクシー替わりにその参拝者を依代として、神様が行きたい別の神社に移動するのだ、と。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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