渋川神社|八尾|本殿裏の「龍王社」が凄い!龍神様の運気上昇パワーを頂こう!
渋川神社は、大阪府八尾市のJR八尾駅すぐにある旧郷社である。
グーグルマップなどで、JR八尾駅周辺を走る道路をご確認いただきたい。周辺の道路の走る方向を俯瞰的に見て頂きたいのだが、ちょうど八尾駅あたりで道路の方向が全体的に二つの方向に分かれているのが見て取れる。これは、古代の大和川の流路なのだ。
北方向に流れるルートは古代の大和川本流で、川幅200m以上もある大河であった。この川の堤防跡が八尾高校内にある「狐山」である。この流れは「長瀬川」として、現在も流れ続けている。
かたや、西南西に流れるルートは古代の平野川である。旧大和川本流から分流し太子堂方面へと流れる。この流れは、古墳時代には消滅していたとされる流路だ。
どちらの流路も最終的には北上して淀川に合流する。合流地点は「難波宮」のすぐ東。
このように、この八尾エリアは大和川という水路によって、畿内の海の玄関口である「難波津」へのアクセスが良好であり、また「三輪」「葛城」「巻向」「平群」などなど大和盆地の地域へのアクセスにも優れた、交通の要所であった。
この要所を押さえることによって、軍事的・経済的に有利になることは間違いなく、中央での政治力を強めることになるわけである。
誰が押さえたのか。言わずもがなであろう。物部氏である。この旧大和川の沿岸地域は、物部宗家・矢作氏・弓削氏・穴太氏・阿刀氏などの一族郎党が居住する「物部ワールド」であった。
渋川神社について
渋川神社 概要
- 所在地 大阪府八尾市植松町3-3-6
- 電話番号 072-922-0152
- 主祭神 天忍穂耳命、饒速日尊
- 創建年 不明
- 社格 式内社、郷社
- 公式HP なし
MAP
最寄り駅
- JR大和路線 八尾駅 徒歩3分
駐車場
- 境内に5台ぐらいは駐車可能。
ただし、細くて自転車が多い路を、車で入ってくる勇気があれば。。。
渋川神社の創建と歴史
創建は不明であるが、延喜式よりも古い「弘仁式」(830年)に記載されている古社だ。
物部守屋公が滅亡した後、国家祭祀を統括していた中臣氏や忌部氏、あるいは物部氏と同族である矢作連や弓削氏によって運営されていたと伝わる。
創建時は現鎮座地ではなく、旧大和川の対岸(右岸)に鎮座していた。しかし、1533年の大洪水で社殿一切が流失。地域住民は集落ごと対岸(左岸)に移住したほどの大災害だった。
それから約40年後の1572年に、遷座前の「御旅所」に本宮が再建された。それが現鎮座地である。
その旧鎮座地は、現在の安中小学校の校庭らしい。現地に行くとわかるのだが、旧大和川(現:長瀬川)が流れるJR大和路線沿いと、旧鎮座地である安中小学校との高低差は大きい。ひとたび洪水となると大量の水や土砂が流れ込み、集落ごと呑み込んでしまうような地域であることは想像に難くない。
再建された場所は微高地であり、消滅した古代の平野川(天井川)の流路内であったと想像する。
渋川神社の祭神
主祭神は天忍穂耳命と饒速日尊の二柱。
天忍穂耳命
正式名は、古事記によると「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命」。天照大神とスサノオ尊の誓約によって生まれた神である。御子に「天火明命」「瓊瓊杵尊」を持つ。
高千穂の天孫降臨神話によると、最初に降臨するよう指示されたのは、この天忍穂耳命であるが、自分よりも子に行かせたいということで、結果的に「瓊瓊杵尊」に御鉢が回ってきたという。
饒速日尊
正式名は、先代旧事本紀によると「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」。「天火明命」=「饒速日尊」としている。しかし、これは先代旧事本紀だけであり、古事記や日本書紀にはこの記述はないことを付け加えておきたい。
この説では、天忍穂耳命は「饒速日尊」の父神と言えるわけだ。渋川神社も物部氏の祖につながる「父と子」を祀っているという立場をとっている。
さて先代旧事本紀によると、「饒速日尊」は、初代天皇である神武よりも以前に、天磐船に乗って河内国川上哮峰に降臨し、大和入りを果たした天孫(天照大神の孫)とされる。十種神宝の霊力によって、死者をも蘇らせることが出来たという。
饒速日尊の御子である「うましまじ命」を物部氏の始祖とすることから、物部氏系の神社で祖神として祀られることが多い。
配神
明治の一村一社政策の際に、「渋川天神社」より菅原道真公、「比枝神社」より国狭槌神、「狐山の祠」より日高大神が遷座し合祀している。
渋川天神社と比枝神社は、旧社地でそれぞれ復活している。狐山の祠は八尾高校の校庭にあったため復活せず。
渋川神社 参拝記録
八尾市のJR八尾駅の南側、徒歩2分という駅前立地だ。周辺は住宅密集地で道路幅が異様に狭いため、駅前のコインパーキングにとめて徒歩でのアプローチをお勧めする。
鳥居をくぐると、左側に社務所、右に手水舎。
末社5社
さらに進んで、左手に末社。
左から、皇大神宮、春日社、浮島社、琴平社、厳島社が鎮座する。
浮島社というと、熊本の浮島神社には、夫婦神の水神が祀られており縁結び・夫婦和合・安産にご利益ありという。諏訪大社の浮島社なら、祓戸大神だ。伊弉諾尊が、小門の阿波岐原という海岸の塩水で禊祓い給うときに、生まれた4柱の祓戸の女神たち。どちらにしても、水と深く関わる神様である。
拝殿
拝殿に向かおう。立派な注連柱をくぐって、拝殿前に立つ。
二礼二拍手一礼。ご挨拶の天津祝詞。感謝の言葉。
暖かい気である。穏やかな。和むのである。
と、前方でガサガサっと物音がした。なんだ?神職さんが、掃除をしておられた。穏やかである。
追記:2018年に拝殿の瓦が葺き替えられた。美しく生まれ変わっている。
楠社
拝殿の右後方に、巨大楠木とともに楠社が鎮座。
こちらのご神木は、すばらしく太い。うちのチビは「トトロの木」と名付けていた。
これまた落ち着く。穏やかだ。和むのである。
本殿
拝殿の裏手に回って本殿を拝見する。
側面には色彩豊かな装飾絵が描かれていた。そして龍のモニュメントが付けられている。龍といえば、本殿の真裏に龍王社がある。そして龍王社の背後には、巨大な楠木のご神木。
鳥居、拝殿、本殿、龍王社、ご神木が、一直線に並んでいるということになる。そして、ご神木のさらに先には。。。今は民家であるが、おそらく創建当時は、すぐそこに大和川が流れていたはずだ。
パワースポット 龍王社
もともとは、この竜王社がメインなのかも知れない。暴れ川が氾濫しないよう祈願するわけだ。水をつかさどる龍神であるからして。
二礼二拍手一礼。天津祝詞。前方に引っ張られる感覚があった。こちらの境内で最も強いパワーを感じる場所である。
残念なのは、若干荒れてしまっていることだろう。。。もう少し綺麗にしておいて欲しいものではある。
稲荷社
最後に、本殿の左後方の小山に鎮座する稲荷社。
赤い鳥居をくぐって、お社前に。二礼二拍手一礼。こちらも体が前後に揺れる。
※2017年 現在は危険であるということで、朱の鳥居は撤去されていた。
※2018年 鳥居が新調され、美しく生まれ変わっていた。
遙拝所
最後に「遙拝所」だ。
こちらは、皇居を遙拝するための遙拝所とのことである。
大東亜戦争に出征する氏子の兵隊は、この遙拝所から皇居にむかって天皇陛下万歳を三唱してから戦地に赴いたと、切ないお話を伺った。
神社とは、そのような場所でもあるということだ。
最後に
この渋川神社は、物部氏の祖神であるニギハヤヒ尊・天忍穂耳命をお祀りしているとされているが、創建当初は、もっと切実な願いをこめて、そう、治水祈願のための水の神様をお祀りしていたんではないかということを、直感として感じ取った。
それともうひとつ強く感じたことは、地域の人たちに愛されている神社であるということ。
というのは、私が参拝している間、何人もの人々が参拝に訪れて、そして、ほとんどの人が摂末社にも丁寧に参拝なさっている。さらに驚くことに、神社の前を通り過ぎる人たちの多くが、直立一礼してから通り過ぎていくのだ。
これぞ産土様である。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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