太川神社|太子堂の氏神様。素戔嗚尊のご神力で、勇気と活力を頂こう!
太川神社は八尾市南太子堂、国道25号線沿いに鎮座する神社である。
このあたりは、かつて物部氏の本拠地であり、物部氏VS蘇我氏&聖徳太子連合軍の戦いの舞台でもある。
それゆえに、近隣には大聖勝軍寺(通称:太子堂)をはじめ、物部守屋公の墓、渋川神社、弓塚、鏑矢塚、首洗い池など、飛鳥時代の匂いを感じさせる旧跡が存在するエリアとなている。
太川神社について
太川神社の創建
太川と書いて「おおかわ」と読む。
創建年代は定かではないが、古来から鎮座すると伝わっている。
このあたりは、平野川や、その支流が幾本が流れるという、水に恵まれた地域で、早くから農耕が営まれていたというが、反面、水害も多発し村民は苦しんだという。
これらのことから、
五穀豊穣の神、もしくは水を司る神が祀られていたものと推察される。
江戸時代中期の寛永元年、この度重なる水害を解決するための「大和川付け替え工事」が完了した。
この工事で、大和川は河内平野を北上して淀川に合流する経路から一転、西に流れる経路、すなわち河内平野の南端を一直線に西に流れ、直接大阪湾に流れ込むようになった。(現大和川である)
ところがその翌年、
今までの洪水による災害ではなく、逆に、干ばつによる飢饉に見舞われ、疫病が蔓延した。
一難去ってまた一難である。
そこで太川神社にて厄除け祈願の参篭とんどを行った。すると、悪疫水災害が起こることなく平穏無事に暮らすことができるようになり、太川神社は太子堂村の氏神として崇められるようになった
という。
そのころから、素戔嗚尊が牛頭天王の名で疫病除けの神として祀られたのではなかろうか。
太川神社の祭神
現在、素戔嗚尊はと保食神が祀られている。
素戔嗚命
伊邪那岐命の禊祓で、最後に鼻を洗ったときに生まれた神である。同時に左目から天照大神、右目から月読命が生まれたことから、この三柱の神を総称して「三貴神」と呼ばれる。
中世以降、祇園精舎の守護神である牛頭天王と習合し、疫病除けの神として村々に祀られた。
保食神(うけもちのかみ)
日本書紀に登場する食物を司る神である。保食神に関する神話は次の通り。
月夜見尊(月読命)が天照大神に命じられ保食神に会いに行く。保食神は月夜見尊をもてなすために、口から米・魚・獣を吐き出した。月夜見尊は「汚らわしい!」と怒って、保食神を切り殺した。保食神の死体から牛馬、額から・粟・蚕・・稗・稲・麦・大豆・小豆が生まれた。天照大神は月夜見尊を嫌って、二度と会わないように昼と夜ができた。 |
実は、素戔嗚尊にも同じような神話がある。
月夜見尊を素戔嗚尊に替えて、保食神をオオゲツヒメに替えると、そっくりな神話となるのだ。素戔嗚尊がオオゲツヒメを斬り殺す。
オオゲツヒメは保食神と同一神であるとも言われている。となると、素戔嗚尊は保食神を斬り殺したことにもなる。
殺人(殺神)の加害者と被害者が同じ社殿に祀られているということにる。ややこしい話なのである。
しかし、殺された神の体から人間に有益な動植物が供給されたわけだから、国の繁栄のためにはこの殺神も必然だったのであろう。
そう考えると、この二柱の神を祀る考え方は、五穀豊穣を祈願する人々にとって極めて合理的であると思う。
太川神社のご利益
素戔嗚尊・・・「災難除け」「厄除け」「招福」「勇気と活力」
保食神・・・「五穀豊穣」「商賣繁昌」
太川神社 参拝記録
国道25号線、太子堂の交差点の西、「あさひ自転車」の先に鎮座する。駐車場は無い。歩道に乗り上げて路駐するか、大聖勝軍寺(太子堂)の駐車場(無料)にとめて歩くか、図書館の駐車場(コインパーキング)にとめるか。
お勧めは、図書館のコインパーキングにとめて少し歩いて太川神社に参拝したあと、パーキングに戻る途中に「大聖勝軍寺(太子堂)」と「物部守屋公の墓」に詣でるのがよいと思う。
鳥居
小さな境内であるが、綺麗に清掃されている。氏子の方々が掃除をされているようで、この地域で大切にされている氏神様であることが窺える。
手水舎
稲荷社前を通りすぎて、左手にある「手水舎」。
稲荷社
鳥居の右手に「稲荷社」が鎮座する。祭神は「聖子大明神」「白長大明神」「日吉稲荷大明神」。
- 白長大明神は、白蛇か白龍かであろう。
- 日吉稲荷大明神は、四天王寺七宮の一つ「大江神社」の摂社として祀られていたが、日吉大社と関係があるのだろうか、それとも豊臣秀吉に因むものなのか。
- 聖子大明神は「聖徳太子」に因むのか。。。
などと、考えながら社殿に近づくと、一風変わった「狐」さんがお出迎えである。
オシャレな「狐」さん
黒ブチの眼鏡と、寿司柄の前掛け。赤い耳と相まって、なかなかオシャレな狐さんである。
この狐さんに挟まれながら、二礼二拍手一礼。けっこう強い神気を感じる。本殿の祭神をお守りしているように感じた。
ちなみに、この狐さん、夏祭りのシーズンになると衣替えをするのである。
なんと芸の細かい。こういうのを見ると、氏子さんの気持ちを感じる。ホッコリとした良い気分になるのである。
右の狐さんの眼光が鋭いと感じる。ここで神域を守っているように思える。
拝殿
狛犬
狛犬に掛けてある注連縄の形式は、杭全神社でも見た。河内地方独特なものなのだろうか。
拝殿の中
右大臣と左大臣が控え、幣殿の奥に本殿の扉が見える。
本殿
地中に隠れた石柱
常夜灯(と思う)の「常」しか見えない。たぶんこの上に明かりを灯す部分が乗っかっていたのだろうと思わせる痕跡がある。どしてこんな状態になったのであろうか。不思議である。
遥拝所
稲荷社の右横にある、おそらく「遥拝所」だろう。
大聖勝軍寺(太子堂)
太川神社を後にして、25号線を東に歩くこと2分。左手に「大聖勝軍寺」(太子堂)がある。
この「古戦場」の石柱の右横に池のようなものがある。
守屋首洗い池
物部氏と蘇我氏の戦いに勝った蘇我軍が、守屋公の首を洗ったとされる池がある。水が枯れていた。
境内に入ると右手に椋木がそびえている。
神妙椋樹
物部軍に取り囲まれて絶体絶命の危機のとき、椋木が二つに割れて聖徳太子を包み込み九死に一生を得たという、神妙なる椋木である。
画像ではわかりにくいが、割れた木の幹の間に小柄な少年時代の聖徳太子像が顔をのぞかせている。ちょっと微笑ましくもあり、ちょっと気味の悪さもある。。。
ちなみに、この太子堂の境内では、「不動明王像」前が最もパワーがあると感じたので付け加えておく。
太子堂を出て、さらに東へ1分ほど歩く。セブンイレブン前に「物部守屋公の墓」がある。
物部守屋公の墓
さすがに敬神派の守屋公の墓だ。鳥居がある。そして玉垣の寄進者を見てみると、名社、大社の名称がずらりと並んでいる。一般企業や個人名は無い。あるのは神社や神社庁そして宮司の名のみである。
二礼二拍手一礼をして、ご挨拶しようではないか。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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