城南宮|京都|平安京の南を守護する方位除けの神様。

2018年8月17日

京都市伏見区、名神高速の京都南インターすぐのところに「城南宮」は鎮座する。文字通り都の南に鎮まる神の宮。京都の南方の守護神である。

古くから方除けの神として信仰を集めてきた。

「方除け」とは、旅行・引越し・工事・家相など方位による災いの心配を除くということ。

私の実家は、「城南宮」さんのお札を頂くために、毎年正月にお詣りする習わしとなっていたのを思い出す。

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城南宮について

城南宮 概要

  • 所在地   京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
  • 電話番号  075-623-0846
  • アクセス  地下鉄・近鉄「竹田駅」徒歩15分
  • 駐車場   あり。(無料)
  • 主祭神      国常立尊、八千矛神・息長帯比売命
  • 創建年      794年
  • 社格   式内社、府社
  • 公式HP   http://www.jonangu.com/index.html

MAP

城南宮の祭神

息長帯比売命(おきながたらしひめ)

別名「神功皇后」

15代応神天皇の母であることから「聖母」ともいわれ、安産の守護神として信仰を集める。

また、住吉三神を道案内に海を渡り三韓征伐を行った、武勇にも優れた女神とされている。

八千矛神(やちほこ)

記紀に登場する「大国主命」の亦の名。

神話における様々な活動から、縁結びをはじめ様々なご神徳をお持ちだが、「八千矛神」の神名から、全国平定途中の「武神」としての側面を表していると言われる。

国常立尊(くにとこたち)

日本書紀では最初に現れた神として登場。

古事記での神名は「国之常立神」。神代七代の最初の神として登場する。

いずれにしても、根源神・始原神として描かれている重要な位置づけの神である。

城南宮の創建

社伝によると、、、

平安遷都すなわち794年の創建と伝わる。

国常立尊(くにのとこたちのみこと)を、八千矛神(やちほこのかみ)と息長帯日売尊(おきながたらしひめのみこと)に合わせ祀り、城南大神と崇めたことが城南宮の創建である。

としているが、

明治10年からの一時期、城南宮は「真幡寸神社」に社名を変更している。なぜ?

それは、城南宮が延喜式神名帳の「真幡寸神社 二座」に比定されたからだ。

藤森神社の社伝に、、、

伏見稲荷大社が稲荷山山頂から、麓の「藤森神社」の場所に遷宮。
「藤森神社」が押し出されるようにして「真幡寸神社」の旧社地に遷座。
「真幡寸神社」が押し出されて城南宮の場所に遷座した。

とある。

現在の藤森神社に「旗塚」がある。そこに三韓征伐時の御旗が埋められたと伝わる。おそらくは、そこが「真幡寸神社」だったのだろう。

三韓征伐の船に掲げたその「御旗」に、神功皇后と八千矛神(大国主命)の神霊を添えて合祀。
そして、平安遷都に際して、その真幡寸神社に国常立尊を合祀。この三神をもって「城南大神」とし、都の南の鎮守としたのが「城南宮」の創建とする。

明治10年に「城南宮」から、もとの「真幡寸神社」に改称したものの、昭和27年に再び「城南宮」に戻し、その時に「真幡寸神社」を摂社として分離されたようだ。

城南宮境内に、このような石碑があった。

城南離宮

白河上皇が、この地に鳥羽離宮を造営されたことから、城南宮は離宮の一部として取り込まれた。

今でも城南宮を取り囲むように「平安の庭」や「離宮の庭」「室町の庭」「桃山の庭」など、みごとな庭園が設えられている。

城南宮のご利益

交通安全

そしてこのころは、熊野三山信仰全盛期。

大変厳しい旅となるであろう熊野詣の無事を祈願するため、三韓征伐の船に掲げた御旗を祀る城南宮に立ち寄る人々でにぎわったとこのこと。

今も交通安全の神様として崇敬を集めている。

方除け

その後、京都の裏鬼門を守る神社であるということから貴族たちの方違の宿所となったため、方除けの神としても崇められるようになったという。

今では、方除けの神様としてのご神威が最も有名ではないだろうか。

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参道の様子

城南宮には、東西に無料の駐車場がある。結構大きい駐車場なので、正月三が日などでない限り駐車場の心配はしなくていいと思われる。

西鳥居

西鳥居方面から進むと、手水舎が見えてくる。

本殿に進む前に、三照宮社に参拝しようではないか。

三照宮社

本殿境内に入る朱色の鳥居の前に、本殿に正対するように鎮座するのが「三照宮社」

祭神は、天照大御神。

日・月・星の「三光の紋」が蛙股に見られる。

三光社とも言われ、地域の崇敬を集めたと聞く。

こちらの神社からも大きなパワーを感じる。

ではこのまま、まずは参道を東へ進もう。

絵馬殿に続いて、芹川天満宮が見えてくる。

芹川天満宮

もともとは、もっと南の地に鎮座していたものを、こちらに遷したとのこと。祭神はもちろん、菅原道真公。学問の神様である。

扁額には「芹川神社」、石柱には「唐渡天満宮」??

そして、社殿の横に極小のかわい社がある。もしかしたら、こちらが「芹川神社」??

謎な神社である。

真幡寸神社(まはたきじんじゃ)

さらに参道を東方向に歩くと、朱色の鳥居が見える。「真幡寸神社」だ。

秦忌寸氏の創建ではないかとも言われているこの神社が、もともとの城南宮ではないかということだ。

神紋は「三葉葵」。下鴨神社、松尾大社が「二葉葵」でいずれも秦氏ゆかりの神社。

祭神は不詳となっているが、神名帳には当社二座とあり、神名帳頭注には「別幡神」「纛神」(はたかみ)とある。やはり、秦氏か。

摂社となっているが、とにかく存在感・パワーを感じる神社。このあたりの人々は、こちらの神社を大切にしていると聞く。

さて、城南宮本殿へと向かおう。

城南宮本殿エリア

鳥居と三光の紋

朱色の鳥居の最上部。中央に黄金の神紋が見える。拡大すると、、、

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本殿境内に入る朱色の鳥居に燦然と輝く「三光の紋」。太陽と月と星の三つの光。

舞殿

鳥居を入ると正面に「舞殿」

拝殿

二拝二拍手一拝。参拝できたことへの感謝。そして、本日予定の、こちらの氏地エリアでの商談成功を祈った。

結果は大成功。商談後、再度参拝し、御礼を申し上げたことは言うまでもないだろう。

本殿

末社群

拝殿横から、本殿の回りを一周するように末社が立ち並んでいる。一社ずつ、丁寧にお参りされる方が多い。

西側に3社。

手前から

稲荷社 (宇気毛智神:食べ物・商売繁盛の神)

厳島社 (市寸島比売神:昇進・海上安全の神)
住吉社 (綿津見神:海の神、和歌の神)
兵主社 (須佐之男尊:勝利の神)

粟島社 (少名毘古那神:婦人病・薬の神)

東側に4社

奥から

天満社 (菅原道真:学問・芸能の神)
妙見社 (天之御中主神:創造・起業の神)
金刀比羅社 (金山毘古神:産業発展の神)

庚申社 (猿田彦神:道案内の神)

大国主社 (大国主命:経営・医療の神)

春日社  (天児屋命:慈悲の神)

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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