菊名神社|横浜|「がまんさま」と「御朱印」と「リラックマ」???

2019年6月10日

JR横浜線もしくは東急東横線の「菊名駅」を降り、北へ。

歩道橋のある交差点にタバコ屋が見えるだろう。そのタバコ屋の右側面の道路に入る。交差点から斜めに、住宅地へ入っていくイメージだ。

この道路に入ると、ガラッと雰囲気が変わるのがわかる。

ホワッとした空気感。聖蹟桜ヶ丘駅から小野神社へ向かう道と似た空気感である。

そんな雰囲気を楽しみながら、駅から6分程度、タバコ屋からだと3分程度歩くと、左側に突如として神社が現れる。

それが、今回参拝した「菊名神社」である。

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菊名神社 概要

  • 所在地   神奈川県横浜市港北区菊名6-5-14
  • 電話番号  045-431-9344
  • 主祭神  誉田別命、天照皇大神、日本武尊、木花咲耶姫命、武内宿禰命
  • 創建年      不明
  • 社格   村社
  • 公式HP    http://www.kikunajinja.jp/

菊名神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 東急東横線・JR横浜線「菊名駅」徒歩5分

駐車場

  • ありと書かれてあったが、どこかわからなかった。。。

社頭

境内はビルとビルに挟まれていて、いかにも都会の神社といった趣である。ちなみにこれらのビルは神社所有のような気がする。

「がまんさま焼き」の販売カーだろうか。クレープを売るような車が一台止められていた。

がまんさま

がまんさまって何?関西ではあまり聞かないのだが、、、

手水舎で手口を漱ぐわけだが、その水盤を支える4本の支柱が鬼の石像となっていて、

その鬼さんを「がまんさま」という。

この水盤は1800年頃につくられたとのこと。なので220年余りの長きに渡り、水盤を支え続けているから「がまんさま」

この「がまんさま」は、長い年月苦難に耐え、同じ仕事に飽きる事なく手水鉢をささえているそのがまん強い姿から、人の道も努力・忍耐こそが開運を招く基であると論している。

出典:菊名神社公式HP(http://www.kikunajinja.jp/)

とのこと。

柄杓がなく、竹筒から出てくる水を直接手に受けて手口を漱ぐスタイル。衛生的である。

神明社

手水舎の右隅に小さな石祠がある。「神明社」と書かれていた。本殿にも神明社が合祀されているはずだが、、、と思いつつ、、、

二拝二拍手一拝。

低い位置にあるため、立ったまま参拝すると見下ろすことになる。少しく心苦しい。

リラックマ絵馬

なんと、こちらの絵馬には「リラックマ」バージョンがある。なんとも可愛らしい絵馬で、お願い事もとっても可愛い内容である。

  • ピーマンが食べられるようになりたい(母親に書かされた?)
  • お友達がたくさんできますように
  • 算数が得意になりますように

微笑ましいではないか。

拝殿

木の階段を上ると、拝殿、幣殿、本殿が。

拝殿の中に入ることが出来る。土足で入っていいようだ。

折角なので、拝殿内から参拝しよう。奥行きがないから本殿が目の前だ。

二拝二拍手一拝。

こちらの神社は、もともとは八幡神社(誉田別命)だったらしい。

その八幡神社に近隣にあった4社、すなわち、、、

  • 神明社・・・天照皇大神
  • 杉山神社・・・日本武尊
  • 浅間神社・・・木花咲耶姫命
  • 阿府神社・・・武内宿禰命

を合祀して、その名を「八幡神社」から「菊名神社」に改名した。まさに「菊名の総鎮守」と言えよう。

なかでも「阿府神社」の歴史は古く、885年、すなわち平安時代前期の文献に見えるという。

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祭神のご紹介

祭神は、5つの社に祀られていた5柱の神々。すなわち、誉田別命、天照皇大神、日本武尊、木花咲耶姫命、武内宿禰命である。

折角なので、それぞれについてご紹介したい思うのだが、少々長くなるので、興味の無い方はすっ飛ばして頂きたい。

誉田別命

15代応神天皇を指す。「実在が確認できる最初の天皇」などともいわれ、天照大御神と並んで、「皇祖神」として祀られる神である。全国の八幡神社の主祭神であり、八幡大神とも称される。

その陵(墳墓)は、世界文化遺産に指定されるであろう「古市古墳群」のメイン古墳であり、国内2番目の規模を誇る「誉田御廟山古墳」。

ちなみに国内最大は「百舌鳥古墳群」のメイン古墳で、仁徳天皇の陵とされている「大仙古墳」である。

天照皇大神

言わずと知れた、太陽神にして皇室の祖神。そして日本国民の総氏神様であられる天照大御神である。伊勢の神宮内宮の正宮に祀られる、現在の日本神道における最高神だ。

そのご神徳は無限大。日頃の行いの良い人は、願わずとも叶うという。

日本武尊

12代景行天皇の御子にして、大和朝廷の象徴的存在。いわゆる英雄であり、「武神」である。

日本武尊の東国平定の行程は、まさに小説のような抒情的な描写を伴って、記紀に詳しく記されている。

三浦半島沖で遭難しそうになったとき、最愛の妃「弟橘姫命」が海中にその身を捧げ、荒れ狂う波を鎮めた。

無事に木更津に上陸できた日本武尊は、妃を想い数日間その場を去ることが出来なかった。ゆえに「君去らず」で「木更津」。

弟橘姫命の衣装の左右袖が流れ着いた浜が「富留津」と「袖ヶ浦」。

平定が成り帰国の途中、足柄山に立ち「吾妻はや(我妻よ)」と嘆いたという。「あがつま」が「あずま」となり、東を「あずま」というようになったとか。

日本武尊の神話は、男女の愛の物語で彩を加えつつ大和朝廷の勢力拡大の様子を描き、さらには関東の地名の由来を解いている。

土地に名をつける権利は、天皇にのみ与えられた特権である。

従って、暗に日本武尊が天皇であったことを示しているのではないか?と思わなくもないのである。

木花咲耶姫命

日本中の山を司る大神「大山津見神」の娘。非常に美しい女神として知られる。

父神から富士山を司るよう命じられたため富士本宮浅間神社の主祭神となっている。

天孫「瓊瓊杵尊」の妃として輿入れしてすぐに懐妊した。瓊瓊杵尊はこれを知って、自分の子ではなく国津神の子を宿しているのでは?と疑った。

そこでブチ切れた、かどうかは知らないが、木花咲耶姫命は自身の潔白を証明するために次のような「言挙げ」を行う。

「産屋に火を放って、その中で出産しましょう。もしこの子が貴方の子なら出産は無事に済むでしょう。もしあなたが言うように国津神の子であれば、無事には済みますまい!!」

結果、燃え盛る炎の中で無事に出産を終えた。しかも三つ子というおまけつき。

このようなことから、安産の神として子安神社に祀られることも多い。

武内宿禰命

12代景行天皇・13代成務天皇、14代仲哀天皇、神功皇后、15代応神天皇、16代仁徳天皇に仕えたとされる忠臣で、古代の有力氏族であるところの紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏などの祖とされている。

景行天皇14年(西暦84年)生まれで、仁徳天皇元年が313年であるからして、最短で見積もっても229歳まで生きたということになる。現実的ではない。

なので、「伝説上」の大臣ということになろう。

仲哀天皇崩御、神功皇后の三韓征伐、そして応神天皇あたりで、神功皇后と絡むシーンが多いため、実は応神天皇は神功皇后と武内宿禰との明かされざる子ではないかと噂されている。

頭脳明晰だったとして学問の神、そして長寿の神として祀られる。そうそう。七福神の寿老人を武内宿禰命として祀る神社もある。

天井画

ふっと上を見やると、天井に美しい絵が飾られている。

中心にきれいな「菊」の花。四方を「がまんさま」が守るという構成で、24枚の天井画が飾られている。

平成23年に大改修を行った際に、菊名の総鎮守として以前と同様、変わらずこの地の人々とともにあることを示すために設置されたと聞く。

大きめの「がまんさま」

またもや登場の「がまんさま」。拝殿の前に蹲踞(そんきょ)していた。

御朱印

これは、HPより拝借したサンプルです。

私は御朱印にはあまり興味がないのだが、こちらの御朱印はカラフルで美しいと評判。期間限定の御朱印もあるという。

いろんなパターンの御朱印を収集するのも面白いかもしれない。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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