御劔神社|八尾|素戔嗚尊を祀る、河内式内五社の一社と伝わる古社。

2019年2月5日

河内エリアには御剱神社と称する神社がいくつかあるが、今回ご紹介する御剱神社は八尾市刑部にある御劔神社である。

八尾市刑部の「刑部」「おさかべ」と読む。正しくは「忍坂部」。19代允恭天皇の后「忍坂大中姫命」の名代(なしろ)として設定された部民。

すなわち、皇后「忍坂大中姫命」の暮らす宮に、その運営費を貢ぐための部民ということだ。

このあたり一帯を治めていた「物部石持連刑部氏」は、饒速日尊の12世孫とのこと。

河内の神社の多くがそうであるように、やはり、刑部御劔神社も饒速日尊の流れを汲む神社の一つであった。

そうそう。念のために申し上げておくと、刑部は決して刑場跡などではない。八尾の住民であっても、勘違いしている人が結構いるのだ。

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御劔神社について

御劔神社 概要

  • 所在地   八尾市刑部4丁目218
  • 電話番号  072-991-9727
  • 主祭神  素戔嗚尊、天穂日尊
  • 創建年      不明(平安時代?)
  • 社格   府社
  • 公式HP     なし

御劔神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 近鉄大阪線「恩智駅」徒歩15分

駐車場

  • あり(鳥居から入って境内に)

しかし、道幅狭いため運転に自信のない方は避けた方がよい。

御劔神社の祭神

祭神は、素盞嗚命と天穂日尊の二柱神である。

素盞嗚命

天照大御神の弟。

記紀において、荒ぶる神、武勇に秀でた神として描かれている。

その代表的な神話は、出雲の国の肥の川上流における八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治により、「天叢雲劔」(アメノムラクモノツルギ)を得て、天照大神に献上した神話。

その天叢雲劔は、日本武尊の蝦夷征伐において「草薙劔」と名を替え、三種の神器として、現在も、いや未来永久に伝承されるべき神宝となっている。

天穂日尊

その素盞嗚命と姉である天照大御神の誓約によって生まれた5男3女の内の一柱。

「大国主命との間で国譲りの大業を成し遂げた偉大な神。」とは「出雲国造神賀詞」で述べられる内容。

記紀では、「大国主命に懐柔された裏切り者」的な扱いで描かれている。

どちらが本当なのか、誰もわからない。

ちなみに、菅原道真公の祖先「土師氏」は天穂日尊の末裔とされる。

となれば、少しく翳のあるキャラのような気がしないでもない。

御劔神社の創建

創建年代は不詳であるが、由緒書の抜粋を引用しておこう。

大和朝廷が律令国家へ移行する中で氏姓制度が確立し社会のしくみが変わり刑部氏は紀元六百八十三年第四十代天武天皇のとき凡川内直、錦織造らと共に連の姓を賜わり刑部造となり朝廷に奉仕している。
この刑部造に仕える部民が形成した村が刑部村となり刑部郷へと地域が広がっていき、村民の延命、繁昌が祈願され神々崇拝がたかまりその後神社らしきものが生まれたとされこれが御劔神社の始まりと伝えられ、約千二百年前と推定されている。

また、「河内式内五社の一つに数えられる」と言い伝えられてきた神社であるらしい。

式内社とは、927年完成の延喜式神名帳に記載ある神社のことを指す。

ここに掲載されてるということは、それ以前から存在する神社、すなわち「古社」の位置づけとなるため、神社界では一種のステータスとなっている。

さらに、名神大社・大社・小社などという格付けもされている。

さて、他の四社はというと、枚岡神社(名神大社)、恩智神社(名神大社)、弓削神社(大社)、由義神社(由義宮跡に鎮座と伝)。錚々たる顔ぶれである。

何故か由義神社と御劔神社は延喜式神名帳に記載がないが、いずれの神社もこの伝承を以って自信を深めているようだ。

御劔神社のご利益

神社発表のご利益・ご神徳は無いからして、祭神から推察するほかあるまい。

素盞嗚命

強い神であり、子孫である大国主命ー事代主命の家系が繁栄したこと、史上初の和歌を詠んだこと、牛頭天王の習合したこと、などなどから、

縁結び、厄除け、子孫繁栄、家内安全、学問向上、五穀豊穣のご利益がいただけよう。

天穂日尊

神名の意味が「生命力が火のように燃え盛る秀でた稲穂」であることから、五穀豊穣のご利益がいただける。

また出雲国造の祖であるからして、国土開発・産業振興の神としての側面を持つ。よって、商売繁盛、新規事業成功などのご利益も期待したいところだ。

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御劔神社 参拝記録

八尾市刑部。なかなか行きにくい場所だ。

最寄り駅は近鉄大阪線「恩智駅」。ブラブラ歩くと20分は見ておいたほうがいいだろう。

車にしても、神社前まで行くには少々道幅が狭い。土地勘が無ければやめたほうがよい。

近くのコインパーキングに停めるべきと心得る。私もそうした。

社頭

結構な広さがある境内である。そしてシンプルだ。境内社などはない。

手水舎

狛犬の水口。珍しい。ここいらは龍の水口が多いのだが。

水盤のところどころに開いた窪み。これは人工的なものだろうか。

拝殿

大きな拝殿。正面扉にある神紋の透かしが「樟本神社」に似ている。

梅紋と五瓜に唐花紋。天満宮と八坂神社の神紋である。すなわち、道真公つながりの天穂日尊と、素戔嗚尊を表す。

二拝二拍手一拝。

本殿

本殿は覆屋に覆われていて見えないが、大切にされている様子がよく見える。

本殿の裏に回って、境内を一周。境内社がない。よくある稲荷社もない。

明治初期に一村一社政策、すなわち、複数の神社を一社にまとめて合祀し、神社の数を削減するという施策が実施された。

例えば、、、

同じ八尾の渋川神社には、近隣の比枝神社・渋川天神社・狐塚などが合祀され、その後、それぞれの神社は旧社地で復活を果たしたが、渋川神社には合祀された時の祭神がそのまま祀られ続けている。

こちらの神社には、まとめられ合祀された様子はない。となれば、まとめられた側かも知れない。。。いや、天穂日尊が合祀されたのか。。。

わからない。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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