五十猛命(いそたけるのみこと・いたけるのみこと)
五十猛命は日本神話に登場する神である。須佐之男命の御子とされ、大八洲に木を植えてまわった神であることから、「木の神」とされている。
五十猛命の概略
五十猛命の神名
- 五十猛命(いたける・いそたける)>>> 日本書紀
- 大屋毘古神(おおやびこ)>>> 古事記の「八十神の迫害」で登場し、大国主命を助ける。
- 伊太代神(いたてのかみ)>>> 播磨国風土記で、神功皇后の三韓征伐における船の舳先に祀られた神。
- 射楯神・伊達神(いたてのかみ)>>> 神社伝
- 有功神(いさおしのかみ)>>> 日本書紀
五十猛命の神格
- 木の神
- 林業の神
- 船の神
とはいうが、元々(本来の名)は「いたて」と呼ばれていて、「いたて」に「たける」を付けて「いたける」となったと想像する。
それも、「日本武尊」の「武:たける」ではなく「猛:たける」を使うということは、すなわち征服者あるいは最強の軍神なのだろう。
五十猛命のご利益
- 林業守護
- 造船守護
- 海上安全
- 大漁
- 商売繁盛
- 開運招福
- 悪疫退散
- 厄除け
- 戦勝守護
五十猛命の系譜
- 父>>>素戔嗚尊(すさのおのみこと)
- 妹>>>大屋津姫命(おおつやひめ)・柧津姫命(つまつひめ)
五十猛命が登場する神話
古事記に登場する「大屋毘古神」が五十猛命と同一神とされている。
八十神の迫害
蘇った大穴牟遲神に対して、八十神達は殺害計画を再び実行する。
大木を切り倒して割れ目を作り、楔を打ち込む。その割れ目に大穴牟遲神を入れて楔を抜と。。。バチン!!と割れ目に挟まれて圧死する計画だ。
大穴牟遲神は、またもや八十神達の策略に乗ってしまう。大木に挟まれてしまうわけだ。
そこに母神が現れて助け出された。母神は
「ここにいたら、また八十神にころされてしまうでしょう。」
と言って、木国の大屋毘古神のもとに行かせた。
ところが八十神は諦めず、木国まで押し寄せてきて引き渡しを要求してきた。
大屋毘古神は、ひそかに木の俣をくぐらせて
「ここにいたら危ない。須佐之男神がいる根の堅州国に行きなさい。かの大神がなんとかしてくれるだろう」
と言い、大穴牟遲神を逃してくれた。
日本書紀 第八段 第四節
ある書によると、
素戔嗚尊の所業があまりにも酷かったので、諸神は素戔嗚尊に沢山の宝物を献上させて、遂には高天原から放逐した。
素戔嗚尊はその子である五十猛命を率いて新羅国に降り、曾尸茂梨(そしもり)という所に住んだ。
素戔嗚尊は「この土地、私は居たくない」と言って、埴土で船を作り、それに乗って東に進み、出雲国の簸川(ひのかは)の川上にある鳥上之峯(とりかみのたけ)に到った。
八岐大蛇退治の説話を挟んで、、、
五十猛命が天降りるとき、沢山の樹木の種を持って降りたのだが、新羅では蒔かずに全部持ち帰り、筑紫国から始めて大八洲の国中を回って樹木の種を蒔いた。
なので、青々と樹木が生い茂らない山は無いほどになった。
この功績によって、五十猛神を有功之神(いさをしのかみ)と呼ぶのである。
紀伊國(きのくに)におられる大神がこの神である。
日本書紀 第八段 第五節
ある書によると、
素戔嗚尊は「韓国の島には金銀がある。もし我が子が治める国に浮寶(船)が無ければ良くないだろう」と言い、
髯を抜き散らすと、杉の木になった。また、胸の毛を抜き散らすと、檜になった。尻の毛は、柀(まき)になった。眉の毛は、櫲樟(くす)になった。
そして、用途を定めた。
- 杉と櫲樟の二つの樹木は浮寶(船)とせよ。
- 檜は宮殿を作る木材とせよ。
- 柀は人民の奥津棄戸(おきつすたへ:棺桶)の材料とせよ。
- また、多くの食用の木の種は、皆で播いて育てなさい。
素戔嗚尊の子を五十猛神と言い、妹を大屋津姫命(おほやつひめのみこと)、次が柧津姫命(つまつひめのみこと)と言う。
この三柱の神も、樹木の種を国中に蒔いた。
そして三柱の神は紀伊国に渡って、そこで祀られている。
五十猛命が祀られている神社
伊太祁曾神社
五十猛命を主祭神とし、大屋津姫命、柧津姫命も左右の神殿に祀っている。
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