赤留比売命神社(三十歩神社)|大阪市平野区
赤留比売命神社(あかるひめのみことじんじゃ)は、大阪市平野区にある神社で、延喜式神名帳に記載される古社。
新羅から渡来したと伝わる女神「赤留比売命」が祀られている。
またこの神社には三十歩神社(さんじゅうぶじんじゃ)という俗称がある。というか、地元の方々には三十歩神社のほうが通りがよいらしい。このあたりの地名もかつては三十歩町であった。
かつての平野環濠集落の南東角に位置し、今でも環濠の土塁を見ることができる数少ない場所のひとつである。
太古や中世の歴史に思いを馳せるにふさわしい、リラックスできる神社である。
赤留比売命神社について
赤留比売命神社の概要
- 所在地 大阪府大阪市平野区平野東2丁目10
- 電話番号
- 主祭神 赤留比売命
- 創建年 不明
- 社格 式内社
- 公式HP なし
赤留比売命神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- JP大和路線 加美駅から徒歩15分
駐車場
- なし
赤留比売命神社の祭神
赤留比売命(あかるひめのみこと)を祀る。古事記では阿加流比売神(あかるひめのかみ)。
日の出の太陽を表す赤いメノウの玉の化身とされる女神であり、朝鮮半島の新羅から生まれ故郷の日本に帰ってきた女神という。
詳しくは、こちらの記事をどうぞ!
赤留比売命神社の創建・歴史
創建年代は定かではない。延喜式神名帳に記載される式内社であるからして平安時代中期には存在していたということになろう。
中世には三十歩神社と称された。江戸時代の古地図にも「三十歩明神」と記載されている。
明治30年に天満宮・琴平宮が境内に遷座。
大正3年に、杭全神社の境外末社となった。
三十歩(さんじゅうぶ)神社と呼ばれた理由
こちらの神社は、古来から祈雨の神とされていた。
室町時代に応永の大干ばつが発生。僧侶の覚証によって雨乞いの祈祷が行われた。その際に、法華経三十部を読経して霊験を得たというのだが、その三十部が「三十歩」となったという説。
または単純に、当時の社地の面積が三十町歩あったという説。
住吉大社の末社だった
現在はここから徒歩で15分程度にある杭全神社の境外末社であるか、かつては住吉大社の末社であった。らしい。
社伝によると、7月30日に行われる住吉大社の例大祭「荒和大祓」に際して、当社から桔梗の造花を奉納する習わしがあったとしている。
現在「神功皇后」が祀られている住吉大社の第四殿には、かつて「阿加流比売神」が祀られていたという説がある。
阿加流比売神は舟木氏が奉斎する神で、神功皇后は津守氏が奉斎する神。
共に住吉大社の祭祀を行う氏族であった舟木氏と津守氏の争いに舟木氏が敗れたため、祭神が入れ替わったという説だ。
赤留比売命神社のご利益
神社発表のご神徳は「祈雨の神」のみしか見ることができないが、
平野区の情報によると、主祭神が三十町歩を三十歩と聞き間違ったとして「耳の神」として信仰されたとも。
聞き間違ったから耳の神というのもおかしなものであるが。。。
また、阿加流比売を祀るほかの神社によると、、、
女性の開運招福、女性の心願成就など、女性の願いをかなえてくれる。
特に、社会で活躍する女性の味方になってくれるとしている。
赤留比売命神社 参拝記録
赤留比売命神社は、平野公園の西側に隣接する形で鎮座する。神社のすぐ近くまで車で入る事はできるが、駐車スペースがない。方向転換もままならない狭い路地だ。
近隣のパーキングに駐車頂きたい。
鳥居の正面に拝殿が見える。こちらの境内は左右に長いが奥行きは狭い。
「三十歩大明神、元禄十一年七月」と刻まれている。元禄十一年と言えば「元禄江戸大火」、また前年には「生類憐みの令」が発布されたというような頃の作ということか。
拝殿
拝殿の画像を取り損ねた。よって鳥居と拝殿が移るこの画像を再度掲載するわけだが、よく見ると絶妙な左右対称なのである。
拝殿前の灯篭・狛犬・神木・鳥居・鳥居脇の梅と桜。
だからどうこうはないのであるが、左右対称は落ち着くのである。安心するのである。
本殿
女神らしく朱色の社であるがしかし、外削ぎの千木に奇数の鰹木。これは男神仕様と言われているのだが。。。深く考えないことにしよう。かなり高い場所に鎮座している。
さて、本殿の左右に境内社が4社。
境内社
住吉社
住吉大神が祀られているのもと推測する。
かつては住吉大社の末社であったが故の勧請か。いや、住吉大社の第四殿に祀られていた可能性もあるわけだから、ここで同じ神域に祀られて然るべきなのだ。
鶯が。。。
千木の先に鶯?がとまっている。なかなかもって可愛らしい。2月中旬。まだ鳴かない。
琴平社
明治30年に近隣の琴平社をこちらに遷座したとのこと。
大物主命が祀られているものと推察する。
天満宮
こちらも明治30年にこの地に遷座。
菅原道真公を祀っているはずだ。
稲荷社
提灯に吉岡稲荷大明神とあるからして、吉岡稲荷社なのだろう。
そういえば、杭全神社の境内社にも吉岡稲荷が祀られていたと記憶する。その社の裏側には、源光大神を祀る自然石があったことも思い出した。
平野環濠の土塁跡
社伝の裏側は土手になっている。その土手こそが環濠の土塁跡だ。
赤留比売命神社の本殿だけ、ひときわ高い土塁の上に建てられている。
土塁の向こう側には、かつて堀が巡らされており、池もあったという。
今では埋め立てられ平野公園として子供たちの遊び場となっていて、今日も野球に興じる小学生が走り回っていた。
最後に
こちらの神社は画像でもお分かりの通り、決して素晴らしく綺麗に管理された神社とは言い難いのだが、なぜか、いつまでも居たいと思わせる雰囲気がある。
境内でボーっとしていると、嫌なことや気掛かりなことも忘れてしまえる、いい神社だと思った。
よろしければ、「赤留比売命」「比売許曽神社」の記事もお読み下さい。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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