安居神社|天王寺|「日本一の兵」真田幸村、終焉の地。

2017年11月17日

安井神社は、四天王寺や一心寺、さらに堀越神社や茶臼山など、古代の史跡が数多く残るパワースポットエリア「上町台地」の崖にひっそりと鎮座している。

ここはわかりにくい場所にあり、狭い境内であるにもかかわらず、参拝客で賑わっている。

というのも、大阪夏の陣で大活躍した「真田幸村」が最後の最後、力尽きた場所だから。戦国武将ファンが訪れる神社なのである。

広告

安居神社について

安居神社 概要

  • 所在地    大阪府大阪市天王寺区逢阪1-3-24
  • 電話番号         06-6771-4932
  • 最寄り駅   地下鉄堺筋線 恵美須町駅 徒歩5分
  • 駐車場    なし
  • 主祭神    少彦名命・菅原道真公
  • 創建年           不詳
  • 社格        なし
  • 公式HP    なし

MAP

最寄り駅

  • 地下鉄堺筋線「恵美須町駅」徒歩5分
  • JR「天王寺駅」徒歩10分

駐車場

  • なし

安居神社の祭神

現在、少彦名神と菅原道真公の、新旧2柱の天神を祀る。

少彦名神(すくなひこなのかみ)

大国主命の国造りの協力者として神話に登場する神。

医薬・まじない・智恵の神として祀られている。他にも、穀物、酒造、石の神など多様な神格を持つ。

古事記では神皇産霊神(かみむすびのかみ)の子とされ、日本書紀では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされる。よって天神。

全国の天神社は、創建当初から少彦名神を祀っていた神社に道真公を合祀した神社が多い。

菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

平安時代の貴族で、学者であり政治家でもあった。実力で左大臣にまで上り詰めた希代の大秀才である。

政敵の讒言によって無実の罪を背負い九州大宰府に左遷されが、最後までその無実を訴え続けたという。

無くなる前には、自ら天満大自在天神(天満天神)と称し、亡くなったのちは平安の都に様々な天変地異を引き起こす怨霊と化したとされ、その御霊を鎮めるために天満宮が創建されてたという。

現在では、学問の神、冤罪を晴らす神、武芸の神をはじめ、ありとあらゆるご神徳を以て信仰されてきた。天神信仰。

安居神社の創建・歴史

少彦名神をこの地に奉祀した年代は、古文書が散逸したため不詳だが、かなりの古社であるという。

菅原道真公を合祀したのは942年のこと。

道真公が大宰府に向かう途中、天王寺の港から出航の際、難波の海が荒れていたためこの地で休息したらしい。その旧跡であるが故の合祀であるとしている。

大丸創業者「下村彦左衛門」の信仰ことのほか篤く、安居神社のご加護を以て大丸は繁栄したとして、「大丸天神」とも称されたこともあるらしい。

太平洋戦争では戦禍によって社殿ことごとく焼失するも、大丸をはじめ多くの奉賛者の寄進によって再建されたという。

安居神社のご利益

前述の祭神のご神格・ご神徳によって、

  • 医薬・まじないの神格より病気平癒のご利益
  • 両祭神のご神徳が共通する智恵・学問向上のご利益
  • 大丸の繁栄から商売繁盛のご利益

を頂こうではないか。

スポンサーリンク

安居神社 参拝記録

最寄り駅は堺筋線の恵美須駅なのだが、JR天王寺駅からのアプローチをお勧めする。

天王寺からだと、途中に堀越神社・茶臼山古墳・一心寺を通るルートになるからだ。少し東にそれると四天王寺の大伽藍も訪れることができる。

安居神社参拝の後は、もうすこし北に進んで、愛染さんと大江神社だろうか。

さてさて、安居神社は一心寺の向かい側にある。

25号線沿いの社標と注連柱

この入口は南に向いているが、本当の玄関はここではなく、西向きに立つ鳥居。松屋町筋沿いに極太の鳥居がある。今回はこちらから。

このような細い通路を(ビルとグラウンドの間)を抜けると、、、

鳥居が見える。

正面に見えるのが社務所。人の列が途切れるのを待って撮影。

拝殿

西向きの拝殿である。二礼二拍手一礼。

本殿

境内社

玉姫稲荷神社

玉姫稲荷大明神を祀る。商売繁盛。

金山彦神社

金山彦神・金山姫神・淡嶋大神を祀る。

金山彦神と金山姫神

鉱山の神という神格を持つ。鍛冶・金属加工の守護神として信仰を集める。

金運アップで有名な京都の御金神社の祭神も金山彦神であったと記憶する。

淡嶋大神は、安産・子授け、裁縫の上達、人形供養など、女性に関するあらゆることに霊験のある神とされている民間信仰の神である。

一説には「少彦名神」と同一とも言われている。

淡島大神

淡嶋神社の祭神「少彦名命」であろう。

創建当初、ここは海に近かったと考えられる。加太の淡嶋神社から淡嶋神を勧請した民間信仰の神社であったのかもしれない。「婦人病の神」として。

道真公が立ち寄った時も、もしかしたら淡嶋神社だったのかもしれない。安居神社は、もともと淡嶋神社だったと考える説だ。

となると、淡嶋神社に道真公が合祀されたときに天神社となったのか?

そして、明治に入り、同一神であるとされ皇室につながる神である天神「少彦名神」を主祭神とし、淡嶋神を摂社に祀ったのでは?

などと、想像力を膨らませてしまうのである。

真田幸村公「戦死の碑」と「さなだ松」

ここで、敵将家康をして「日本一の兵(つわもの)」と言わしめた真田幸村が戦死したという。

おそらくは、ここで首を刎ねられたのだろう。本来ならば怖い場所なのであるが、神聖な雰囲気を醸し出している。

幸村の心には「やるだけの事はやり尽くした」達成感で満たされていたのだろう。一切の後悔も恨みもなかったのだろう。と思いたい。

癇しずめの井戸

今は枯れているが、かつては天王寺七清水と賞された井戸である。この水を飲むと、癇癪が治ると言われていたらしい。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

スポンサーリンク