大国主命 (おおくにぬし)②|葦原中国平定(国譲り)神話
大国主命(おおくにぬしのみこと)は、日本神話に登場する神。
天孫が降臨するまで、葦原中国(地上)を支配していた「国津神」である。
高天原の神「天津神」に対して、土着の神「国津神」。天津神の頂点を天照大神とするなら、大国主命は国津神の頂点に立つ神と言えよう。
天孫が降臨する際に、天津神に国を譲ったため「国譲りの神」ともいわれている。
今回は、国造りから国譲りまでの神話についてご紹介しようと思う。
葦原中国平定(国譲り)神話
国津神である大国主命が平定した葦原中国を、天津神が譲り受ける神話である。
繁栄した葦原中国を見ていた高天原の神々は、「あの国は天津神が統治するべきである。とりわけ、天照大神の子孫であることが望ましい。」と言いだした。
それにのって、天照大神も「あの国は私の子である天忍穂耳命が統治するべきだ。」と言いだす始末。
ところが、当の天忍穂耳命はというと、天の浮橋から下界を覗き込み、「何やら騒がしくて、自分の手に負えない」と報告する。
天忍穂耳命は、天照大神と建速須佐之男の誓約によって生まれた神。ニニギ尊と天火明命の父である。
天菩比命の派遣
そこでまず手始めに「天菩比命」(あめのほひ)を派遣する。ところが、この命は大国主命に媚びへつらい家来になってしまい、帰ってこなかった。
天菩比命は天穂日命であり、天照大神と建速須佐之男の誓約によって生まれた神。すなわち、天照大神の子であり、天忍穂耳命の弟にあたる。
出雲国造家の祖神とする。
天若日子の派遣
高木神(高御産巣日神)と天照大神が次に派遣したのが「天若日子」(あめのわかひこ)。天之麻古弓(あめのまかこゆみ)と天之波波矢(あめのははや)と与えて葦原中国に遣わした。
ところが、この命は大国主命の娘「下照比賣」と結婚。大国主命の跡継ぎになろうとして、帰ってこなかった。
そうとは知らない高木神(高御産巣日神)と天照大神は、「なぜ帰ってこないのか」その理由を聞かせるため「雉の鳴女」を遣わせた。
鳴女が天より下って、天若日子の家の木にとまり、その理由を問う。
すると天佐具賣(あまのさぐめ)が「この鳥は鳴き声が不吉だから射殺してしまえ」と天若日子をそそのかした。
そこで彼は高木神から与えられた天之麻古弓と天之波波矢で鳴女の胸を射抜き殺してしまう。
その矢は、高天原の高木神の所まで飛んで行ってしまった。
高木神は血が付いていたその矢を、天若日子に与えた天之波波矢であると見破り、次のような言挙げを行う。
「天若日子が命令に背くことなく、この矢で悪い神を射たのであるなら、この矢は天若日子に当たらない。もし天若日子に邪心あれば、この矢に当たれ!」。
言挙げを行ったのち「天之波波矢」を下界に投げ返した。矢は天若日子の胸を射抜き、彼は死んでしまった。
天佐具賣は天邪鬼(あまのじゃく)の原型とされる。
言挙げは言霊のようなもので、「自分の意思を声に出して明確にする。言挙げによって願いが実現しやすくなるが、それが慢心から出た言葉であるなら悪い結果として返ってくる。」というもの。
天若日子の葬儀
死んだ天若日子の葬儀が、高天原で行われる。
川雁(かわかり)を食べ物を運ぶ役目として、鷺(さぎ)を掃除係として、翠鳥(かわせみ)を神に供える食物を用意する係りとし、雀を碓女(=米をつく女)とし、雉を哭女(泣女)という具合に、役割分担を定め、八日八夜の間、踊り食べて飲み遊んで、死者を弔った。
下照比賣の鳴き声を聞いて父天津國玉神と母も高天原から下りて葬儀に参列した。
そこに下照比賣の兄である「阿遅志貴高日子根神」(あじしきたかひこね)が弔いに訪れた。
この神が死んだ「天若日子」とそっくりだったため、父『天津國玉神』は「生きていたのか!」と抱きついてしまった。
抱きつかれた阿遅志貴高日子根神は、「穢らわしい死人と間違えるな!」と怒り、大量(太刀の名)で喪屋を切り倒して蹴り飛ばした。
その時、下照比賣が兄の名を明かす和歌を謳う。
この段、いったい何を言いたかったのか。
一つは、多くの鳥が登場する葬儀の場面。おそらくは「鳥葬」の様子を表しているものと思われる。
二つ目は、天若日子と阿遅志貴高日子根がそっくりだということだろうか。
天若日子は太陽神。阿遅志貴高日子根は農耕用具の「鋤」を表しており穀物の神である。
冬至、太陽の勢力は弱まる。すなわち太陽の死。そして今度は新しい年が始まり穀物が育つ環境が整ってくる。
というような農耕のサイクルを表現したものではなかろうかと言われている。
三つめは、下照比賣が謳った和歌。これは「ひなぶり」として宮中における代表的な舞楽として伝えられた。
建御雷神の派遣
大国主の説得は、ことごとく失敗に終わった。これでは天津神の威信にかかわる。
最後の手段として考えたのは「伊都之尾羽張」(いつのおはばり)の派遣である。もしくはその子の「建御雷之男神」(たけみかづちおのかみ)だ。
「伊都之尾羽張」は、天安河の上流の天岩戸に居り、天安河の水を塞き止めて逆流させ、道をふさいでいるので、寄りつくことができない。よって、天迦久神を派遣して「伊都之尾羽張」を説得することにした。
「伊都之尾羽張」は剣の神。
イザナギの持ち物で「カグツチ」を斬り殺す時に用いられた十束の剣の名であり、神名でもある。
その子「建御雷之男神」も、剣の神であろう。
雷の男であるから、「伊都之尾羽張」にも増して強力な剣の神と考える。
天迦久神の「迦久」は「鹿児」の意で鹿の神とされる。岩場をぴょんぴょんと駆けて行くイメージだ。
すると「伊都之尾羽張」は、子供の「建御雷之男神」のほうが適任だと答えた。
よって、「建御雷之男神」に「天鳥船神」を添えて、派遣することにした。
日本書紀では、経津主神と武甕槌神が派遣されている。どちらも藤原氏の氏神である。
国譲りの交渉
地上に派遣された建御雷之男神と大国主命ならびにその息子たちとの交渉の様子である。
天鳥船神と建御雷神は、出雲国の伊那佐(イザサ)の浜に降り立つ。
そして十拳剣を抜き、 逆にして海に立てて、その剣の刃の上にあぐらをかいて、 大国主神に問う。
「吾は天照大御神・高木神の命により、使いに来た。 お前が支配している葦原中国は、本来、天照大神の御子が統治するべき国と考える。前はどう考えるか?」大国主神は答えて曰く、
「私は返答できぬ。私の子である八重言代主神が答えるだろう。しかし、 八重言代主神は鳥を狩ったり、魚釣りに、御大の前に出掛けていて、ここにはおらん。」建御雷之男神は八重言代主神を探して呼び寄せて、国譲りを迫った。
事代主神が、大国主神に答えて曰く、
「承知した。」事代主神はすぐに船を踏んで転覆させ、天の逆手を打って、船を青柴垣に変えて、そこに篭もった。
大国主神は、子の事代主神に実権を委ねていたようである。
全権ではないだろうが、少なくとも、祭祀(政治)に関しては事代主神が実権を握っていたと思われる。
八重事代主の所作は、託宣を司る神らしく、実に呪術的で神秘的である。
天の逆手とは、手の甲で拍手を打つこと。人を呪う際に行う呪詛の一つと言われている。
青柴垣とは、灌木で作られた垣のことで、神が宿るとされる。
そこに篭もるということは、いつかは出てくるという意味と考えられる。
そして、国譲りを迫った建御雷之男神にではなく、父の大国主神に「承知した」と答えている。建御雷之男神を無視した格好だ。
あっさりと国譲りを承諾したかのように見える事代主神であるが、実はそうではなく、呪いを掛けるほど悔しかったのだ。
建御雷之男神が大国主神に問う。
「他に意見を言う子供がいるか?」すると大国主神は、
「建御名方神がいる。 これ以外には意見を言う子供は、もういないだろう。」そこに建御名方神が千引の石を持ってやってきた 、、、
「誰が私の国に来て、忍び忍び、ひそひそと話をするのか! それならば力比べをしよう! 」建御名方神が建御雷之男神の手を取ると、すぐに建御雷之男神の手がツララになり、 剣刃となった。
建御名方神はビックリして引き下がる。
今度は建御雷之男神が建御名方神の手を取る。取るやいなや、その手を握りつぶして放り投げた。
建御名方神は逃げる。科野国の州羽の海に追い詰められて、殺されそうになったとき 、
「この諏訪の土地からは出て行かない、父の命令に背かない、事代主神の言葉に背かない」ことを約束して、命だけはは助けられた。
大国主神が建御名方神の意見も聞く必要があるとしたわけだから、祭祀・政治担当の事代主神に対して、建御名方神は軍事力の実権を握っていたのだろう。
軍事衝突の場面だ。話し合いだけで国を譲るはずがない。軍事衝突があって当たりまえである。
戦いの描写をもって「相撲の起源」と言われたりしているが、お互いに手を組み合って戦う姿は、レスリングを思い出させる。
そして、手がツララとなり剣になるという描写は、新しい武器の出現だろうか。
戦闘は出雲に始まり、東へと移動。最終的に新潟から山を越えて長野、諏訪へと押されていったのだろう。
科野国の州羽の海とは、信濃国の諏訪の湖のこと。
そして今、建御名方神は諏訪大社に祀られている。
建御名方神は諏訪から出ることができない。よって、全国の八百万神が出雲に集結する「神無月」でも、諏訪では「神在月」なのである。
建御名方神を従わせた建御雷之男神が、出雲に帰ってきて、大国主神に問う。
「事代主神も建御名方神も、天津神の御子の命令に従うと言った。 お前はどう考えている?」大国主神は答える。
「であれば、それに背くことなしない。この葦原中国は天津神に献上しよう。」「そして、私の住居として、天津神の御子が継ぐ神殿のように、底津石根に太い柱を立て、空に高々とそびえる神殿を建てるならば、わたしは遠い幽界に下がろう。」
「私には大勢の子(神々)がいるが、八重事代主神が神々の前に立てば、誰も背くことはない。」
ここに、地上世界の支配権は、国津神から天津神に明け渡されたのである。
「空に高々とそびえる神殿」、これが杵築大社(出雲大社)の創建である。大国主神の隠居だ。
「八重事代主神が神々の前に立てば・・・」とある。これは、、、
隠居した大国主神に代わって、今度は、八重事代主神が、多くの国津神の上に立つ「代表者」あるいは「権力者」となっていった。
すなわち、事代主神を祀る葛城氏(賀茂氏)が、皇室の外戚として「実質的な権力者」となったことを示唆しているのでは?と思う。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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