妻戀神社|東京文京区|湯島に眠る太古の愛の物語。

2017年8月4日

妻戀神社(以降 妻恋神社とする)は、東京都文京区湯島にある神社である。

神田明神から湯島天神へと向かう清水坂の途中から、右手に少し入ったところにある。

もともとは、もっと湯島天神寄りに鎮座していたらしいが、こちらに遷座したとのこと。

狭い境内には、妻恋神社・妻恋稲荷社・馬頭観音碑・水子地蔵が配置され、神仏習合的な様相を呈している。

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妻恋神社について

妻恋神社 概要

  • 所在地   〒113-0034 東京都文京区湯島3丁目2−6
  • 電話番号  03-5577-5240
  • 主祭神  倉稲魂命・日本武尊・弟橘姫命
  • 創建年      不明
  • 社格   村社
  • 公式HP     なし

妻恋神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • JR中央線「御茶ノ水駅」徒歩8分
  • 地下鉄有楽町線「湯島駅」徒歩8分

駐車場

  • なし

妻恋神社の祭神

ホームページによると、妻恋神社の祭神は、倉稲魂命・日本武尊・弟橘媛命の三柱。

この三柱の神々すべて本殿に祀られているのか、それとも、倉稲魂命だけは境内摂社の妻恋稲荷社に祀られているのか。。。

不明であるが、創建伝承と神社の歴史から推察するに、妻恋神社には日本武尊・弟橘媛命の2柱が祀られ、倉稲魂命は稲荷社に祀られていると思う。

倉稲魂命

倉稲魂は「うかのみたま」と読む。古事記では同じ読みで「宇迦之御魂」と書く。

「うか」とは穀物・食物の意味。よって、倉稲魂命は穀物・食物の神とされる。

伏見稲荷大社の主祭神である。

日本武尊

日本武尊は12代景行天皇の皇子で、14代仲哀天皇の父。日本全土の平定を目指して熊襲征討や、三種の神器の一つ「草薙剣」を引っ提げての東国征討武勇の誉れ高い伝説の英雄である。

弟橘媛命

日本武尊の妃饒速日尊に始まる物部氏の正統で、現在も石切劔箭神社の社家を継ぐ、誇り高き「穂積氏」の出身。

吾妻はや・・・

日本武尊と弟橘媛命の愛の物語。

焼津で相武国造にだまされ火攻めにあい、伊勢の斎宮であり叔母である「倭姫命」より賜った「草薙剣」によって難を逃れた「日本武尊」と「弟橘媛命」。

こんどは、走水海(三浦半島から房総半島に渡る海)にさしかかった時、海は荒れ狂い先に進むことが不可能になった。

海神の怒りを解くため、「弟橘媛命」は「私は夫である皇子の身に替わって海の中に入ります。どうぞ皇子の東征を護らせ給え」と念じ、浪の上に菅畳八重、皮畳八重、絹畳八重を敷いて、その上に座って海に下りた。

すると波が穏やかになり、船を進めることが可能になったという。

その後、「弟橘媛命」を忘れられない「日本武尊」は、「吾妻はや~」(わが妻よ~っ)と嘆いた。

このことから、東国のことを「あずま」と呼ぶようになったという。

ちなみに、古事記では「妃」で、日本書紀には「妾」。常陸国風土記では「倭武天皇」「橘皇后」と称されている。

なぜに日本書紀では「妾」なのか。藤原不比等の陰謀が見え隠れする。

妻恋神社の創建

創建年代は不詳であるが、社伝によると、

  • 4世紀ごろの創建。
  • 9世紀初頭には、52代嵯峨天皇の勅命により関東惣社となった。
  • 正一位の神階を賜った。
  • 関東総司妻戀大明神と称された。

とされている。

  • 4世紀といえば、仁徳天皇の御代となろう。
  • 関東惣社とは、、、武蔵国の惣社は「大国御魂神社」であるのだが。。。と思いきや、こちらは稲荷の惣社であったらしい。
  • 正一位とは、稲荷社を合祀したことによるものであろう。。宇迦之御魂神は正一位であるからして。

まあ、それほどまでに江戸庶民の熱狂的な信仰を集めていたということであろう。妻恋稲荷としてではあるが。

妻恋神社のご利益

縁結び、夫婦和合、勝負運、商売繁盛であろう。

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妻恋神社 参拝記録

神田明神への参拝を終え湯島天神に向かう道すがら、坂道を降り「清水坂下」の交差点から清水坂を登り始めると、右手に「妻恋神社」の看板が見えた。

今まで何回か通った道だが、看板に気付いたのは初めてだ。これは呼ばれているのだろう、、、などと勝手なことを思いながら、ふらっと立ち寄った。

ラブなホテルの隣に鳥居が見えた。

社頭

見るからに、こじんまりとした神社である。

なかなか風流な手水盤である。

鳥居をくぐると正面に稲荷社が鎮座する。

妻恋稲荷

これが、王子稲荷神社と並んで信仰を集めたという妻恋稲荷である。ん~っ。であろう。

屋根の神紋が特徴的である。

この右隣に「馬頭観音碑」があるのだが、ちょっと撮影は遠慮させてもらった。

妻恋神社拝殿

拝殿・本殿とも「白」である。

日本武尊は死して「白鳥」となって飛び去ったとされることから「白」なのだろう。

二礼二拍手一礼。夫婦和合を祈ろう。

拝殿の左手奥に「水子地蔵」が安置されているが、こちらも撮影は遠慮させてもらった。

本殿と拝殿

東向きである。おそらくは海の方向を向いているのであろう。

弟橘媛命が夫のために入水したという海の方角を。。。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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