志紀長吉神社|式内大社|真田幸村が戦勝を祈願したという古社は、「祓いと戦勝」の式内大社である。

2017年6月27日

志紀長吉神社は大阪市平野区長吉に鎮座する、河内国志紀郡「志紀長吉神社 二座 式内大社 月次新嘗」と記述される式内大社である。「日陰大明神」と称された。

大阪夏の陣の際、真田信繁が軍旗と刀を奉納し戦勝を祈願し、しばしの休息をとった神社として有名で。刀は終戦後没収されたが、軍旗は社宝として保管されているという。

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志紀長吉神社について

志紀長吉神社 概要

  • 所在地   大阪府大阪市平野区長吉長原2丁目8−23
  • 電話番号  06-6709-1757
  • 主祭神   長江襲津彦命
  • 創建年      不明
  • 社格   式内大社
  • 公式HP    

志紀長吉神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 地下鉄谷町線「長原駅」徒歩8分

駐車場

  • なし

志紀長吉神社の祭神

主祭神は「長江襲津彦命」、配神に「事代主命」を祀る。

長江襲津彦命  (ながえそつひこのみこと)

日本書紀では「葛城襲津彦命」、古事記では葛城長江曾都毘古」という。武内宿祢の6番目の子とされていて、古代有力豪族「葛城氏」の祖神である。

娘の磐之媛命は仁徳天皇の皇后となり、履中天皇・反正天皇・允恭天皇を産んだ。よって、長江襲津彦命は、これら天皇の外祖父となる。

一説には、大王家と葛城氏の両頭政治が行われていたとも。真偽のほどは定かではないが、それぐらい有力な氏族であったということは言えるのだろう。

対朝鮮外交で軍事的にも活躍したとされ、神功皇后の三韓征伐への随行、弓月君はじめ秦氏を百済から日本に連れ帰ったのも長江襲津彦命であるとも伝わる。

軍事、戦勝の守護神である。

事代主命

事代主命は大国主命の息子とされている。

高天原から派遣された建御雷命が大国主に国譲りを迫った時、大国主は二人の息子が答えるといった。

兄の事代主は「承知した」と言って隠れた。弟の建御名方命は拒否。しかし建御雷命との力比べに負け、諏訪に逃げて国譲りを承諾した。

とまあ、なんとも言えない描かれ方をしている事代主命なのだが、本来は葛城氏が祀っていた田の神・託宣の神。宮中の八神殿に祀られる重要な神である。

国譲り神話は、古事記編纂者の意図的なものであろう。

志紀長吉神社の創建

創建年代は定かではない。

記録には、809年に「日蔭大明神」(志紀長吉神社を指す)が見え、859年には従五位上の神階が贈られたとされることから、奈良時代末期か平安時初期には存在したと思われる。

社伝によると、長江襲津彦命は晩年、この長吉の里に幽宮をおいた・・・とある。

たしかに「葛城襲津彦命」は、応神天皇や難波宮を造営した仁徳天皇の義理父である。難波宮へと続く平野川沿岸を拠点とする意味はある。

また、百済から多くの帰化人を連れてきたとされていて、平野川・大和川流域には朝鮮半島からの渡来系氏族が多く分布していた。管理監督にも最適な立地だったのかもしれない。

その後、その末裔がこの地に神社を創建して祖神として祀った、と考えていいのではないだろうか。

神紋 日蔭の蔓(ひかげのかずら)

志紀長吉神社は「日蔭大明神」といもいう。

ヒカゲカズラとは、シダ科の植物。哺乳瓶や水筒を洗う際に使用する長細いブラシのような形状をしている。

カズラと名がつくが、ツル(蔓)が出て他の植物に絡みつきながら上に伸びるという性質はなく、枝分かれしながら地表を覆っていくように成長する。

古代日本では、冠として頭に載せたり、首から垂らしたり、穢れを祓う植物として尊いものであったという。

「日蔭蔓」が社地に自生していた志紀長吉神社は、平城天皇即位の大嘗祭の折に日蔭蔓を大量に奉ったところ評価され、志紀長吉神社に「日蔭大明神」の称号を贈られたということだ。

祓いの神たる由縁である。

真田信繁奉納の軍旗

こちらの神社には、真田信繁(幸村)が奉納した「六文銭の軍旗」が社宝として保管されている。

大坂夏の陣。道明寺の戦いで苦戦していた味方の援軍に赴いた信繁に、城が危ないから帰還せよとの命令が下る。

道明寺から大阪城に戻る途中、休息を兼ねて志紀長吉神社に戦勝祈願に立ち寄ったのだ。

その後、立ちはだかる敵軍を蹴散らしつつ天王寺まで戻り、茶臼山に本陣を置き家康本陣を突くこと幾たび。家康に自害を覚悟させる程の強さであったという。

家康をして「日の本一のツワモノなり」と言わしめた。

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志紀長吉神社 参拝記録

中央環状線の「長吉第三住宅東」「長吉第三住宅西」という交差点を西に入る。

ガスト長吉永原店あるいは長吉長原の交差点と言った方が、地元の方にはわかりやすいだろうか。あるいは近畿自動車道に乗る手前の交差点と言おうか。

まあいい。

その交差点を西に入って200mから300m。左手(北側)に「のぼり」が見えてくるからわかると思う、

そこを北に入ると、鳥居がある。

石畳の参道が真っすぐに伸びている。9年ほど前にも一度参拝したのだが、その時は普通のアスファルトだったような記憶があるのだが。間違ってたら申し訳ない。

6月の終わりごろの参拝。「夏越の大祓」の準備に余念がないといった感じである。

至る所に赤い幟。六文銭である。神社に六文銭もおかしな具合であはあるが、真田信繁ゆかりの神社であるから仕方がないか。

とにかく大阪の街はNHK真田丸の放送以降、赤い幟と六文銭が溢れかえっている。

溢れかえってはいないか。少し盛ってしまった。「よく目にする」という程度である。

そんなことはどうでもいいだろう。

茅の輪くぐり

鳥居と拝殿の中間点に茅の輪が設えてある。「夏越の大祓」の茅の輪くぐりだ。

手順

  • 茅の輪の正面で一礼
  • 左足で茅の輪をまたいでくぐり、茅の輪の左外側をまわって正面に戻る。
  • 正面で一礼
  • 右足で茅の輪をまたいでくぐり、茅の輪の右外側をまわって正面に戻る。
  • 正面で一礼
  • 左足で茅の輪をまたいでくぐり、茅の輪の左外側をまわって正面に戻る。
  • 正面で一礼
  • 拝殿へと向かって祈る

ご神木

ご神木に限らず、太い木には力があると思う。なにより安心感がある。そして、長い歳月を生きてきた生命力がある。

枯れたかのような切り株から、新しい芽が出ていたりするのを見ると、不老不死の力を秘めているのではないだろうかと思うのである。

もののけ姫の「ししがみ」や「こだま」が連想される。

そんな木のパワーにあやかりたいと思うようになった。歳をとった自分を自覚するわけだ。

拝殿

神社幕に描かれている紋が、「日蔭の蔓」の神紋である。

六文銭の願旗

この六文銭の幟に願い事を記入して奉納するという企画である。800円なり。

本殿

境内社

琴平社

本殿の左手に「琴平社」。讃岐の金刀比羅宮と同じ、交通安全の神として祀られているとのこと。

稲荷社

琴平社の奥に稲荷社。

伏見稲荷神社大社と同様、商売繁盛の神で、長吉の企業繁栄の守り神として祀っているとのこと。

神武天皇陵遥拝所

遥拝所である。ここで伊勢神宮と神武天皇陵を向いて遥拝するわけだ。

私が最も神気を感じたのは、この遥拝所である。

勝守り

最後にお守りを求めた。勝守である。やはり六文銭だ。

六文銭一色の志紀長吉神社であった。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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