伊勢山皇大神宮|横浜|西洋化する横浜を敬神壱國の精神で支えた総鎮守
横浜市西区。野毛山の中腹の港が見える高台に鎮座する伊勢山皇大神宮は、官国幣社に準ずる「官幣国幣社等外別格」とされた神社である。ちなみに現在はビルに遮られて、ほとんど海は見えない。
横浜の総鎮守であり、港の鎮守であり、関東の伊勢神宮と呼ばれている。
かつて、横浜だけでなく、外国に開港した神戸や長崎などの港にも伊勢神宮の遥拝所が創建されたが、横浜のみが天照皇大神が鎮まる正式な神宮として認められたという、格式高い神宮である。
伊勢山皇大神宮について
伊勢山皇大神宮 概要
- 所在地 横浜市西区宮崎町64番地
- 電話番号 045-241-1122
- 主祭神 天照皇大神
- 創建年 明治3年(1870年)
- 社格 旧官幣国幣社等外別格・旧県社・別表神社
- 公式HP http://www.iseyama.jp/
伊勢山皇大神宮 アクセス
MAP
最寄り駅
- JR根岸線「桜木町駅」徒歩8分
駐車場
- あり(ふれあい広場の下)
伊勢山皇大神宮の創建
浜は開港場となったことにより、港町・貿易の町として急速に発展。外国人の居留が増加するにつれてキリスト教をはじめとする西洋の宗教や文化が急激に流入していた。
神奈川県は、このうような状況下において「神道」「神社信仰」による横浜市民の精神的支柱の確立が必要だと考えた。
まずは、戸部村海岸伊勢の森(現在の戸部町の掃部山公園)にあった神明社(おそらく)を、商船行きかう港を見下ろす野毛山に遷座し、伊勢神宮の遥拝所とした。この時点を創建とする。
しかし、そもそもが神明社(おそらく)。「天照大御神」を祀っていたわけだから、単なる遥拝所ではないのは明らかであろう。
その後、前述の「官幣国幣社等外別格」という社格を与えられ、正式な「皇大神宮」として認められるに至るのである。
そして、野毛山は「伊勢山」と呼ばれるようになった。
伊勢山皇大神宮の祭神
もちろん、天照大御神である。
天照大御神の誕生
記紀によると、
伊弉冉尊に会うために「黄泉の国」に行った伊弉諾尊は、帰還後、「黄泉の国」で被った穢れを祓うために、「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」という海岸で「禊祓」を行った。
このとき、住吉三神・綿津見三神をはじめとする多くの神々が成った。
この禊祓の最後、顔を洗った時のこと。
左目を漱いだときに生まれたのが「天照大御神」、右目を漱いだときに生まれたのが「月読命」、最後に鼻を漱いだときに生まれた「素戔嗚尊」である。
この三柱の神を、三貴神と呼ぶ。
天照大御神の役割
伊弉諾尊は、長女の天照大御神に「高天原」の統治を託す。月読命には夜を、素戔嗚尊には海の統治を任命した。
天照というぐらいなので「太陽」をつかさどる神とされる。天岩戸に隠れた時、世界が暗闇に支配されたのは太陽が隠れたため、ということになる。
皇祖神 天照大御神
天照大御神と素戔嗚尊の誓約(うけい)によって、五男三女の神々が生まれる。
- 天照大御神の勾玉の珠を素戔嗚尊が噛んで吹き出した息の霧から生まれたのが、五柱の男神。これを天照大御神の子とする。
- 素戔嗚尊の十拳剣を噛み砕いて吹き出した息の霧から生まれたのが、三柱の女神。宗像三女神である。これを素戔嗚尊の子とする。
この天照大御神の子とされた五男神のうちの長男「天忍穂耳尊」の子である瓊瓊杵尊が高天原から葦原中國に降臨する。天照大御神の孫にあたる。だから天孫。
で、その瓊瓊杵尊の孫が初代天皇の「神武」。
このように、神武天皇から今生天皇まで万世一系で受け継がれた皇統の祖神が天照大御神なのである。
天照大御神のご神徳
この世の生物すべての生成と発展を司る。太陽だからである。
参道の様子
今回は横浜に出張である。
駅から10分圏内の神社を探して訪問する企画を自らに課しているがゆえに、桜木町駅からほど近い伊勢山皇大神宮に参拝しないわけにはいくまい。
桜木町駅の北口を出て線路沿いにあるくと紅葉坂の交差点がある。
▼紅葉坂交差点
この太鼓橋のような高架橋を渡り、坂道にさしかかると案内板があった。
▼伊勢山皇大神宮まで280m
なかなかもって、横浜の街に似合うおしゃれな案内板である。
トラックが走る道路が紅葉坂。結構きつい勾配である。
▼横浜らしく「教会」が。。。
この伊勢山には、このように教会や、成田山をはじめとする寺院も多く建立されている。神聖な場所なのだろう。
▼上り坂
280mの上り坂。画像では分かりにくいが、結構な昇りである。汗ばんでくる。
これが伊勢山皇大神宮の玄関である。後ろのビルが写り込むほどピカピカに磨き上げられてた標柱。である。
昇り坂の次は階段だ。しばらくここで休憩することにしよう。
▼階段が続く
二の鳥居越しに拝殿を見るの図。
ふれあい広場(駐車場屋上)
階段の中ほどに、展望スペースがある。駐車場の屋上になろうか。ふれあい広場と名付けられている。
かつては横浜の港が一望できたと思われるが、今はビルに隠れて見えない。かろうじて遠くの方に白い橋が見える。大黒埠頭に渡る橋だろうか。
手水盤の底に「敬神壱國」
水鉢の底に何か文字が刻まれている。これが読めない。読めるのは「神」「國」のみ。
神職さんに伺ったところ、「敬神壱國」とのこと。「神を敬い、國を一つにする」
横浜開港に合わせて創建された当時の存在意義、
「急激な西洋文化の流入に際して、日本人が自らを見失わないよう、すなわち植民地化を防ぐために、神道を横浜市民の精神的支柱としたい」
という考え方が4文字に表されているわけだ。
照四海(しょうしかい)
これは「照四海」。灯台のような常夜灯である。
照四海とは
「天照大御神のご神徳は、広く日本の四海を照らす」
という意味らしい。
照四海の横にキッコーマンの商品が陳列されたショーケースがある。しかも注連縄が張られているから尋常ではない。
ふっと思い出す。照四海の基礎部分に「奉献 野田醤油・小網商店」とあった。
ちなみに、野田醤油はキッコーマン、小網商店は大手食品卸の三井食品に、それぞれ社名を変えている。
本殿エリアの様子
注連柱
日本で最大の注連柱である、と記憶している。違ったら申し訳ない。
いよいよ、神域の中心部へ突入するのだ。気も引き締まるというものだ。
拝殿
こちらの拝殿前は、橿原神宮の拝殿前の広場にも似た雰囲気を持っている。
優しい、おおらかな雰囲気である。
通常は本殿の屋根に設置される「千木」と「鰹木」が、こちらは拝殿にも施されている。まさに、伊勢の神宮と同じ設えなのだ。
ちなみに、千木は内削ぎ、鰹木は6本(偶数)である。
▼神宮外宮の正宮拝所 千木と鰹木が設置されている
祓戸
拝殿に向かって左奥。祓戸があった。うっかり見過ごすところであった。
祓戸とは、神事に際して神職さん巫女さんが自祓いする場所である。
私は、本殿に向かう前に必ず、祓戸社もしくは祓戸を探す。神は穢れを嫌うからである
拝殿前に立つ。木の香が心地よい。
二礼二拍手一礼。天津祝詞。本殿から「まるい感じの風」が吹いてきた。次に左から、右から、背後から。巻くように吹いている。
神は風とともにやってくる。神社では偶然は無い。全ては必然なのである。
ちなみに、私事で申し訳ないが、昨年の夏に地鎮祭を執り行った。氏神様に降りていただく祝詞を上げた時、突風が吹いた。激しい風で祭壇が倒れそうになったほどである。祭神は素戔嗚尊。さもありなんである。
大神神社
拝殿に向かって左隣に「大神神社」が鎮座する。ご祭神は大物主大神。古事記では、大物主大神は大国主命の奇魂・幸魂である、としている。
大物主大神のご分霊を、三輪山の磐座に宿し、伊勢山に移設したという、本格的?な大神神社である。
大神神社 磐座
こちらは、重厚な空気に包まれている。力強い生命力。しかし同時に、少し冷淡な雰囲気も感じる。
杵築宮
大神神社の左隣には「杵築宮」が。杵築宮とは出雲大社のことを指す。
出雲大社は、文献によって杵築宮や杵築大社などの名称となっているからだ。
祭神は、社殿前の記載によると、大国主命(子之大神)・豊受姫大神・須佐之男命・住吉三神・姥之大神である。
※ 神社HPには、姥之大神が外れ、月讀命が祭神となっているのだが。。。
大国主命
天津神が降臨する以前の葦原中国の覇者。天津神に国を譲った。譲るわけがない。奪われたと考えるのが自然。よって、大国主命は皇室にとって、祟られたら最悪の神なのである。手厚く祀るべし!という存在であろう。
子之大神
大国主命の亦の名とされている。野毛の氏神として、別場所に祀られていたが遷座し合祀したという。ネズミは大国主命の使徒とされているので、子(ね)之大神なのか?
豊受姫大神
神宮の外宮に祀られる豊受皇大神であろう。天照大御神の食事を司っていたということで、食物を司る神とされている。
須佐之男命
記紀では、主祭神「天照」の弟という設定だが、大国主命以前の葦原中国の覇者であった可能性もある。よって、扱いは大国主命と同等かそれ以上とも。
ちなみに、鎌倉・室町時代の出雲大社の祭神は、須佐之男命であった。
姥之大神
現在のJR桜木町駅は野毛浦の海岸であった。そこに、海面から突き出した「姥ガ岩」という岩があったらしい。埋め立てによって今は無いが、その岩に宿る神を「姥姫神」と呼んだと聞く。
住吉三神
住吉大社の祭神で、航海安全の守護神である。横浜に祀られて然るべき大神であろう。
開運招福 おみくじ
おみくじの中にお守りが入っている。このお守りは、鶴・亀・熊手・打出小槌など、えべっさんで商売繁盛の笹にぶら下げるような、いわゆる「縁起物」である。1粒で2度おいしいというやつである。
最後に
伊勢山皇大神宮は、2020年で創建150年を迎える。これを記念して社殿の建て替えが行われる予定だが、なんと、伊勢の神宮の式年遷宮によって解体された旧社殿をまるごと譲り受け、伊勢山皇大神宮に移設して組み立て直すとのこと。
伊勢の神宮の式年遷宮で出た木材を、神社に払い下げることはよくあるのだが、正宮の社殿そのものが移設されるとは、極めて異例と言える。
神宮では、見ることのできない奥の奥にある社殿を、こちらでは見ることができる。
今から期待に胸が膨らむ。
追記
2021年に再訪した。
極めて異例とされる内宮の正宮が移設されていた。
内宮ではまともに見ることができない神殿が、すぐ目の前にある。
しかし、本当に「唯一神明造り」が再現されているのだろうか。再現されているとすると「唯一」ではなくなるではないか。。。
外に一本の丸い柱「棟持柱」神明造りの大きな特徴で、当社も確かに「棟持柱」はある。
千木は内削ぎ。当社も内削ぎだ。
鰹木の形状と数は、、、
鰹木の数は、内宮の正宮が10本で、、、おっ、こちらは6本だ。他にも違いがあるかもしれないぞ!!!
やはり、唯一神明造りは、伊勢の神宮だけのもの。文字通り唯一でなければならないのだからして、そういう意味では安心した次第である。
とはいえ、この神殿が日本で最高級に神聖は場所に建っていたことは確か。極めて貴重なものなのである。
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