深川不動堂|門前仲町|迫力の護摩祈祷と、静寂の写経修行。深川で浄化と癒しを体感しよう!
深川不動堂は、千葉県成田市の成田山新勝寺の東京別院。として建立された、江東区富岡にある真言宗智山派の寺院である。
富岡八幡宮の西200mにあり、富岡八幡宮と深川不動堂の両方に参拝しないと「片参り」となりよろしくないと聞く。
江戸時代の元禄年間の開基と比較的歴史の浅い寺院だが、2011年には、タイトル画像にある「祈りの回廊」をはじめとする斬新な施設が盛り込まれた、近代的なデザインの新本堂をリリースするなど、日々進化を遂げる、今に生きる寺院である。
とはいえ、深川不動堂の一番の魅力は、今も昔も変わらない。心震わす「護摩祈祷」だ。
深川不動堂 概要
- 所在地 東京都江東区富岡1丁目17−13
- 電話番号 03-3641-8288
- 主祭神 不動明王
- 創建年 元禄16年(1703年)
- 社格 新勝寺 東京別院
- 公式HP http://www.fukagawafudou.gr.jp/
深川不動堂 アクセス
MAP
最寄り駅
- 地下鉄東西線「門前仲町」徒歩2分
- 地下鉄大江戸線「門前仲町」徒歩5分
駐車場
- あり
深川不動堂の創建
深川不動堂は成田山新勝寺の別院であるからして、成田山新勝寺の創建からご紹介申し上げねばなるまい。
成田山新勝寺の創建
成田山新勝寺は、千葉県成田市にある「不動明王」をご本尊とする真言宗の寺院である。
そもそも、弘法大師の作とされる「不動明王像」は、嵯峨天皇の勅命で京都高尾の神護寺に祀られていた。
939年の「平将門の乱」の際、武力に勝る将門に対して、「神仏の力で調伏せん」として「不動明王像」を成田の地に移し、調伏の護摩修行を行った。
将門の乱が治まったのち、この「不動明王像」を平安京に戻そうとしたが、不動明王が「我は王城に戻らず、この地に留まり東国を守護する!」とおっしゃったらしい。
深川不動堂の創建
時は流れて江戸時代は元禄年間。江戸文化が花開く元禄である。庶民に成田山信仰ブームがやってくる。
その理由は、不動堂のHPによると、、、
成田山の不動明王に祈願したおかげで男子(2代目團十郎)を授かった初代「市川團十郎」。
それ以降、市川家は成田山の不動明王を深く信仰し、屋号「成田屋」としたり、演目「成田不動尊利生記」を上演したりしたことによって、成田山の功徳が急速に広がったこと。
また、庶民の生活が豊かになったことによって、余暇を楽しむ文化が発達した時代であった。余暇に何をするか。社寺仏閣や名勝への旅行である。成田山は、庶民の旅行先としてはちょうどよい距離なだった。
これが、 成田山信仰ブームの理由だ。
さて、そんな成田山信仰が盛んになった元禄16年、富岡八幡宮の別当寺「永代寺」において、不動明王像の出開帳が行われた。いわば、不動明王像の東京出張である。
その後も、たびたび出開帳が行われ、江戸時代を通して成田山信仰は衰えることはなかった。
しかし、明治元年の神仏分離令から派生した廃仏運動の嵐の中、出開帳の拠点であった永代寺が廃寺となる。東京の庶民が、不動明王の東京への遷座を強く願ったことは言うまでもない。
そうして実現したのが、不動明王の「御分霊」の遷座である。
明治14年、東京別院「深川不動堂」が創建されることとなった。
深川不動堂のご本尊
いわずもがなであろう。不動明王である。
不動明王とは
不動明王は五大明王の中心で、密教の根本尊である大日如来の化身、教令輪身とされる。
煩悩を抱える最も救い難い衆生を力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。
「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)とも呼ぶ。
深川不動堂の御利益
願望成就・勝負必勝・立身出世・商売繁盛・怨敵調伏・病魔退散・交通安全の御利益があるといわれている。
また、真言を唱えれば一切の災難から逃れられるといわれている。私もことあるごとに、この真言と般若心経を唱える。心が落ち着くから不思議だ。
ノウマク・サンマンダ・バザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン
ややこしい長い真言である。これを唱えるときは、リズムに乗ると唱えやすい。
下のように「ー」のところは伸ばして唱えてみてほしい。
のーまくさんまんだー、ばーざらだんせんだー、まーかろしゃーだーそわたや、うんたらたーかんまん
いかがだろうか。少しは唱えやすくなっただろうか。
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深川不動堂 参詣記録
訪れるたびに進化していく不動堂。とうとう電光掲示板まで現れた。。。
正面に見える建築物が、旧本堂である。旧本堂の後ろにある大きな建物が、新たに建築された内仏殿。
深川龍神
手水舎の奥の壁際に龍神が祀られている。
龍神は水を司る神として古来より信仰を集めている。水は農耕民族の日本人にとって無くてはならないものである。すなわち、五穀豊穣・商売繁盛にも結び付く。
また、天に昇る龍が如く、運気上昇のパワーを秘めているとも言われる。
深川龍神への参拝方法は次の通りである。
- 龍神願い札に、住所・氏名・年齢・願い事を記入する。初穂料100円。
- それを水盤に浮かべる。
- ドラを2回叩く
- 合掌し、心の中で住所・氏名・年齢・願い事を唱える。
龍神様に挨拶したのち、本殿に上がる。正面の旧本堂から参拝しよう。
お願い不動尊
ここには木彫りの「お願い不動尊」が据えられている。
本来は怒りの表情をしている不動明王であるが、この「お不動さん」は、私には少しユーモラスな表情を浮かべているように見える。
ここが旧本堂であると申し上げた。数年前まで、ここに御本尊の不動明王像があり、ここで護摩法要を行っていた。なので、柱をご覧いただきたい。煤で黒くなっているのがお分かりいただけると思う。
明治から100年の間、護摩祈祷はここで行われていたのである。そういう意味でこの場所にはパワーが宿っていると私は思うのである。
新本堂
本堂に入って左手に、階段式の客席をもった大きな祭壇がある。新本堂だ。現在はこちらが護摩祈祷のステージである。
大きな太鼓が4基、据えられている。これが、深川不動堂の護摩祈祷の醍醐味の一つである。
護摩祈祷の時間
護摩祈祷は1日に数回行われる。平常月(1月以外)であれば、9時から始まり2時間ごとに1回行われる。すなわち、9時・11時・13時・15時・17時といった具合だ。
平常月でも、1日・15日・28日は、上記に加えて19時にも行われる。
1回の護摩祈祷が20分ぐらいであろうか。計ったことはない。適当である。
護摩祈祷
ほら貝を鳴らしながら、数人の僧侶が入場し、所定の席につく。最後に大僧正が入場し、中央の護摩壇に着席する。その間ずっと、ほら貝と鐘の音が鳴り響いている。
おもむろに、読経が始まる。数人の僧侶が唱えるお経は、まるでハーモニー。妙に気持ちがいい。落ち着く。いわゆる音楽鑑賞のそれである。
そろそろと、護摩を焚き始める。
はじめはスローなお経から始まり、徐々に早く大きくなっていく。そして、、、
ドーン!と大太鼓が鳴り響く。鳴り響くという表現では足りない。炸裂するといった方がいい。脳みそが揺れるのだ。
そこからお経はヒートアップする。アップテンポな読経に合わせて、左右の大太鼓が掛け合いを始める。
左がドンドコドン!とと打つと、右もドンドコドン!
左がドコドコドンドン!と打つと、右もドコドコドンドン! ・・・・・
「耳で聞く」というレベルをはるかに超えて、「全身で空気の振動を感じる」というレベルだ。
まだ、ここまでのところ、内側にある大きな太鼓は打たれていない。
護摩を焚く炎が激しく揺らめく。
読経と掛け合い太鼓が続く中、ついに、中央左の太鼓の前に座っていた僧侶が立ち上がった。この僧侶だけが、白と黒の衣装を身にまとっている。ただものではなさそうだ。
白黒の僧侶が、ゆっくりと自らの態勢を作り始める。足を斜めに大きく広げ、腰を入れ、両手に太いバチを握りしめる。そして、両手を高々と上げる。
バチの感触を確かめるように、何度か握り直す。その仕草はアスリートのルーティンである。ただものではない。
「そのまま後ろに反り返ったら、イナバウアーである。」などというくだらないことを考える余裕は、もうない。
と、一瞬の静寂。
そして、良く通る、そして透き通った声を持つ一人の僧侶が、、、「ぶっせつまーかーはんにゃーはーらーみーたーしーんぎょうー」と張り上げる。来た来た。般若心経だ。
と同時に、今まで聞いたことのない大音量でバーン!脳みそが、さらに揺れた。あの白黒の僧侶が、遂に大太鼓を打ち鳴らしたのだ。
ここからは、彼の独り舞台である。バーン!バーンバババーン!
心の底から邪気が追い出されていくような、不思議な心持である。一種のトランス状態と言ってもいいのかもしれない。
そしてその時、護摩を焚く炎も同調するかの如く、天井まで届かんばかりの勢いで燃え盛る。まさに最高潮に達するのだ。
般若心経の間、彼の太鼓が炸裂し続ける。時にはやさしく、時には激しく。もう、芸術の域に入っている。
そして、般若心経が終わるタイミングで、渾身の力を振り絞った最後の1打を打ち放ち、彼の一人舞台が終了する。少しばかり名残惜しい。
ここから、客席いや信徒の皆さんが自らのカバンや財布・スマホなどを護摩壇に持っていく長い列ができる。それらを護摩の炎にかざすことで、浄化と祈願をおこなうのである。
その後、いくつかのお経が読まれたあと、いよいよフィナーレ。参拝者も含めた会場全体での不動明王真言の大合唱が始まる。3基の太鼓も合流する。
真言・・・ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・
最後に、あの白黒の僧侶の出番が再び登場する。ドラムロールのような連打をかましてからの最後の一発をぶちかます。勢いをつけて、体全体で太鼓に体当たりするかの如く。
しかしこれが、前振りから想像するような強烈な音にならないのである。それはもはや太鼓の音ではない。金属音に近いパキン!というような音。いつもそうなのだ。ちょっと笑える瞬間だ。
これにて、護摩祈祷は終了。きちんと火を消し、ほら貝を鳴らしながら、僧侶たちが退場していく。
しばらく余韻に浸ろうではないか。
祈りの回廊
次に、不動明王像が安置されている祭壇の真下に行ける地下道のような通路に行こう。祭壇左下にドアが見えるだろう。
これが、祈りの回廊だ。神秘的かつ幻想的である。白く光るのはクリスタルの五輪塔。壁一面に設置されている。
画像では見えないが、壁に大きな数珠が手すりのように設置されている。この数珠に触れながら歩いていくのが流儀である。
ちょうど真ん中ぐらいが、不動明王像が安置されている真下となる。それとわかる施しがなされている。
中は登り坂になっていて、祭壇の右上が出口となっている。
内仏殿
さて次は、内仏殿に入る。といっても、1階部分は、旧本堂、本堂、内仏殿が一体化しているため、意識することはない。
橋を渡り奥へと進む。沢山の仏像が祀れれており、すべてを紹介するわけにはいかない。
よって、私の好きなスポットのみご紹介しようと思う。
四国八十八カ所巡拝所
四国八十八か所のご本尊が描かれたパネルと、その霊場の「お砂」が入れられた筒が並んでいる。
砂が入った筒をクルクルと回すと参拝したことになる。ここにいながらにして八十八か所巡礼が可能なのだ。
こちらも光を上手く取り入れ、幻想的な雰囲気を醸し出している。
浄化のパワースポット 写経道場
その向かい側には写経場がある。申し込めば写経が可能である。初回は2,000円だ。
内線電話で「写経したいんですけど・・・」と伝えると、若いお坊さんがやってきた。
若いお坊さんが、親切丁寧に作法を教えてくれる。写経も修行の一つと心得ていただきたい。作法は大切なのだ。お坊さんは退出する。
部屋の突き当りに不動明王像が安置されている。まずは、教えてもらった作法の通り、不動明王像に挨拶である。
次に写経台に着席し、二つのお経を唱える。一人きりだから、声に出して読経した。
いよいよ写経のスタートだ。半紙の下に手本が敷いてある。透けた文字を毛筆でなぞるだけなのだが、結構むずかしいものだ。
最初のうちは邪念が入る。しかし、そのうちに文字を書くことだけに集中できるようになるから不思議なものである。
所要時間は、人によってまちまちだろうが、心静かに、一字一字丁寧に、かつ無心で書き進めると、1時間~2時間はあっという間に過ぎる。文字と時間に性格が出ると思った。
本格的な写経は始めての経験だったのだが、書き終えた時の爽やかさは筆舌に尽くしがたいものがある。心が洗われる。まさに浄化だ。
さて、エレベータ―で4階に進もう。
大日如来座像
内仏殿の4階には、大日如来座像が安置されている大きな部屋がある。
広い部屋の中央奥に木像の大日如来が鎮座している。そして天井には蓮の花と大日如来のお顔が描かれている。
こちらの部屋も静かである。先客がおられると、入っていくのもはばかられるような雰囲気を持つ。しかし入ってしまえば、心地いい。
正面に正座してみよう。そして、大日如来のお顔を見上げよう。
あの半眼(薄く開いた目)が素晴らしくいいのである。優しく見守られている感がある。癒されるのだ。許されるのだ。いや、許された気になるのだ。
一人なら寝そべってもいいだろう。天井の大日如来のお顔がよく見える。こちらも癒される優しいお顔である。
この部屋は、いつまでも居たいと思わせる何かがある。
最後に
他にもたくさんのスポットがあるのだが、結果として「護摩祈祷」の実況が今回の記事の大半を占めてしまった。
これは「護摩祈祷には、人を惹きつける何かしらのパワーがあることの証明」と言っては言い過ぎだろうか。
一度体験していただきたいと思う。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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