平安神宮|現代に蘇る龍穴!縁結びの神様「平安神宮」で心身ともに活性化されよう!
平安神宮(へいあんじんぐう)は、京都府京都市左京区にある神社である。旧社格は官幣大社、勅祭社であった。
この平安神宮は、平安京の大内裏の正庁である「朝堂院」(八省院)を8分の5の大きさに縮小して復元した、いわば平安京のジオラマのようなものである。
大きな朱色の神門は、朝堂院の「應天門」。その内側の神楽殿・額殿は、「朝集堂」。外拝殿は、朝堂院の正殿である「大極殿」を復元したものという具合だ。
建築様式は、平安時代後期の第3次八省院を再現したものとなっている.
平安神宮について
平安神宮 概要
- 所在地 〒606-8341 京都府京都市左京区岡崎西天王町
- 電話番号 075-761-0221
- 主祭神 桓武天皇、孝明天皇
- 創建年 明治28年(1895年)
- 社格 官幣大社・勅祭社・別表大社
- 公式HP http://www.heianjingu.or.jp/
平安神宮 アクセス
MAP
最寄り駅
- 地下鉄東西線「東山駅」下車、徒歩10分
- 京阪鴨東線「三条駅」「神宮丸太町駅」徒歩15分
駐車場
- なし
平安神宮の専用駐車場はないが、岡崎公園の駐車場がある。(有料)
平安神宮の創建
1895年4月1日に平安遷都1100年を記念して京都で開催された「内国勧業博覧会」の目玉として、平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画された。
そもそもは、実際に大内裏があった千本丸太町に朱雀門が位置するように計画されたのだが、用地買収に失敗。郊外の岡崎に建設されることとなったらしい。
このようにして、博覧会開催の半月前の1895年3月15日。「平安神宮」は京都の総氏神として創建された。
平安神宮の祭神
平安京に遷都した天皇である第50代「桓武天皇」、平安京最後の天皇である第121代「孝明天皇」の二柱を祀る。
天皇を祀っているから「神宮」なのだ。
桓武天皇
桓武天皇は光仁天皇の皇子として西暦737年に誕生。西暦781年に第50代の天皇として即位。
天皇は仏教寺院勢力を政治から排除するため、仏教思想で造られた「平城京」から「長岡京」に遷都した。しかし「長岡京」では大洪水や疫病による混乱が続く。それを「早良親王が怨霊となって祟っている」と信じ、その祟りから逃れるために「平安京」へと再び遷都した。
平安京では、早良親王を祀る「上御霊神社」をはじめ数々の神社を創建し、既存の大社を組み込んで「怨霊封じ」を行った。その効あってか、京都は明治までの1000年余りの間、日本の国都として栄えてきたわけだ。
孝明天皇
孝明天皇は仁孝天皇の皇子として西暦1831年に誕生。西暦1847年、第121代の天皇として即位。
時まさに幕末。黒船来航から始まる、尊王攘夷、開国、倒幕という激動の世を生きた天皇である。開国には大反対だったらしい。
大政奉還の前年に天然痘により急死したとされているが、暗殺されたとする説が根強くあるのも事実。
時代祭
京都三大祭の一つ。毎年10月22日に行われる。
武天皇、孝明天皇のご神霊に、発展した京都の街並みをご覧いただくことが祭の主旨であるが、ご神霊を守り随行する行列「時代行列」が目玉となっている。
明治維新時代、江戸時代、安土桃山時代・・・と各時代の風俗を忠実に再現して市内を練り歩く。京都の歴史と文化が一目で理解できるようにと、京都市民全体で盛り上げている祭だ。
平安神宮のご利益
明治の創建ということで「ご利益は無い」などとおっしゃる向きもあるが、そうなると明治神宮はどうだろう。橿原神宮は?湊川神社は?創建年代は関係ないのである。と、最近は思う。
縁結びのパワースポット
平安神宮は「縁結び」の神様として有名である。
それは、戦後平安神宮では「神前婚」が流行り、多くのカップルがここで結ばれたことに由来している。
結ばれた二人の幸せな気持ちが平安神宮に積み重なっていくのだろう。
京都五社めぐり
平安京は、神社などの「怨霊封じ」が仕掛けられているだけでなく、そもそも風水の「四神相応」に適った好立地なのだ。
四神とは四方を守る神獣である。
平安京の四神相応
- 北・・・玄武・・・山や丘陵がある・・・船岡山
- 東・・・青龍・・・河川の流れがある・・・賀茂川
- 西・・・白虎・・・大きな道路がある・・・山陰道・山陽道
- 南・・・朱雀・・・平野や海など視界が開けている・・・巨椋池
まさしく「四神相応」である。これに倣って、
平安神宮の四神相応
平安神宮は「上賀茂神社」「八坂神社」「松尾大社」「城南宮」を「四神」と提唱する。
そして中央の平安神宮を含めて「京都五社めぐり」。
五社を巡ると開運招福、厄除け、商売繁盛、縁結び、学業成就のご利益を倍増できるという。
- 北・玄武・・・上賀茂神社
- 東・青龍・・・八坂神社
- 西・白虎・・・松尾大社
- 南・朱雀・・・城南宮
平安神宮 見どころ
下鉄東西線の東山駅を下車。1番出口で地上に出る。出たら左(東方向、山側)に歩く。最初の曲がり角を左へ。ほどなく突き当り。そこを右へ。ほどなく小川が見えるだろう。
その小川沿いの道を北上する。小川には柳が植えられており、なかなか風情がある。
この小川沿いの道を歩けば、「仁王通り」に出てくる。大鳥居が見えるからわかるだろう。
大鳥井に向かって進んで頂きたい。
大鳥居
神宮道にそびえ立つ、高さ24m、幅18mの明神造りの大鳥居で、日本最大級の鳥居である。
昭和天皇の御大礼(即位に係る一連の儀式の総称)を記念して、昭和3年に着工、昭和4年に竣工奉告祭が催された。
大鳥居のはるか向こうに、朱色の神門が見える。そこまでの道には美術館や図書館がある。この岡崎地区は文化ゾーンとして整備されているのだ。
應天門
平安京大内裏の正庁「朝堂院」の正門であった「應天門」のレプリカを、平安神宮の神門とした。碧瓦葺の二層楼門である。
なんと、国の重要文化財である。昭和の建築物が重要文化財に指定されるのは珍しい。
應天門をくぐると、境内だ。ドーンと視界が広がる。広い。橿原神宮も広いが、ここもかなり広い。
白虎楼・蒼龍楼
正面の大極殿の両側に、特徴的なフォルムの楼閣がそびえる。白虎楼と蒼龍楼だ。
四神相応における、西の白虎、東の青龍である。
かつての朝堂院には四つの楼郭があったらしい。すなわち、白虎楼・蒼龍楼・棲鳳楼・翔鸞楼。
そのうちの白虎楼・蒼龍楼だけが復元されたわけだ。
「白虎楼」と「蒼龍楼」は、平安神宮と同じように「大極殿」の前方の東西に対で建てられ、「棲鳳楼」と「翔鸞楼」は朝堂院の回廊の外、すなわち應天門の前方の東西に対で存在したという。
大極殿
天皇の即位式なども執り行った、平安京大内裏で最も重要な役所建築物「大極殿」を、8分の5のスケールで復元したもの。碧瓦と朱色が美しい。これも国指定の重要文化財だ。
これで、当時の8分の5?当時はこの倍ぐらいの大きさだったってこと?信じられないのである。
神苑
回廊を取り巻くように、回遊式の日本庭園が造られている。神社の庭園を神苑と呼ぶ。他には、曲水の宴で有名な城南宮の神苑「楽水苑」や、清正井で有名な明治神宮の神苑などがよく知られる。
中神苑に「蒼龍池」、西神苑に「白虎池」が設えられてあり、境内でも四神相応が意識されている。
最後に
この平安神宮が鎮座する岡崎の地は、比叡山から稲荷山まで続く「東山連峰」の中ほど、平野部が山側に入り込んだような場所である。
その入り込んだ平野部の真ん中に「吉田山」がある。湖に浮かぶ小島のようだ。
このエリアの断層を調べてみると、比叡山方面から吉田山まで南北に走る「花折断層」、知恩院あたりから伏見・桃山まで南北に走る「桃山断層」の、2本の大きな断層がある。
平安神宮は、この2本の断層が切れている部分にある。そう、平安神宮が断層の切れ目にあるというわけだ。
断層と龍脈が一致することが多いと聞く。となれば、平安神宮は龍穴となるのやもしれぬ。
実に興味深い土地である。吉田山はさらに興味深いのである。パワーがひしめき合っているような。
明治維新によって京都は壊滅し、1000年以上続いた「天皇の住まう京」から陥落した。
しかし、その後の復興は目覚ましいものがある。いまや全世界の人々が一度は訪れたいという「世界の京都」に生まれ変わった。私の住む大阪とは大違いだ。
これも、平安神宮の創建により京都のパワーが増大したからなのかもしれない。などと考えながら、帰途につくのである。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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