櫛田神社|博多の総鎮守|縁結びをはじめ、ありとあらゆるご利益を頂けそうな摂末社群が魅力的!
櫛田神社は、福岡市博多区上川端町に鎮座する博多の総鎮守・総氏神である。そして、夏の風物詩「博多祇園山笠」の舞台とおなる神社だ。
7月に行われる博多祇園山笠は、山を担いで博多の街を走り回る祭りだ。
その祭りのクライマックスが、追い山での櫛田入り。担ぐだけでも大変だが、それを担いで全力疾走するとは、、、
他にも5月の「博多どんたく」では櫛田神社から松囃子一行が出発する習わしになっている。また10月の「博多おくんち」も櫛田神社の祭だ。
博多の人々に愛される神社であり、また、交通の便が良い事もあって外国人観光客も多く訪れる神社である。
櫛田神社について
櫛田神社 概要
- 所在地 福岡県福岡市博多区上川端町1−41
- 電話番号 092-291-2951
- 主祭神 大幡大神、天照皇大神、祇園大神
- 創建年 757年(伝)
- 社格 県社・別表神社
- 公式HP なし
櫛田神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 地下鉄空港線「祇園駅」徒歩5分
駐車場
- あり
櫛田神社の祭神
櫛田神社には、次の三柱の神々が祀られている。
正殿:大幡主神=櫛田大神(櫛田宮)
伊勢国松坂の櫛田神社から勧請した神とされている。別名を大若子命といい、天御中主神の19世の子孫で、伊勢の皇大神宮の神主一族である渡会氏の祖神である。
この神が祀られるもっと以前に、別の祭神(謎)で創建されていたという説がある。
左殿:天照皇大神=皇大神(神宮)
言わずと知れた日本神道の最高神、伊勢の神宮の祭神であり、皇祖神であり日本の総氏神である。太陽神とされ、女神とされている。
右殿:素戔嗚尊=祇園大神(祇園宮)
こちらも、言わずと知れた三貴子のうちの一柱で、京都の祇園八坂神社の主祭神である。祇園・牛頭天王とも言われる、厄除け・疫病除けの守護神である。
櫛田神社の創建
社伝によると、天平宝字元年(757年)松阪にあった櫛田神社を勧請したのに始まるとされる。
そして、松坂の櫛田神社の祭神である大幡主神が、皇大神宮の初代神主であるところの渡会氏の祖神であったことから、天照皇大神も一緒に勧請されたとする。
さらに、天慶4年(941年)小野好古が藤原純友の乱を鎮めるために京都の八坂神社に祈願し、平定した後に当社に素盞嗚神を勧請したとする。
しかし社伝とは異なり、平清盛が日宋貿易の拠点とした際、自身の所領である肥前国神埼にあった櫛田宮を博多に勧請したという説もある。
後者のほうが有力なようだ。
櫛田神社は戦国時代にかなり荒廃し、その後、豊臣秀吉によって博多の町とともに再建された。それまでは三柱をそれぞれ別の社殿に祀っていたとのこと。
櫛田神社 ご利益
不老長寿、厄除け、疫病除け、縁結び、夫婦円満、子宝、商売繁盛などなど、参拝記録をご参照願いたい。
櫛田神社 参拝記録
博多駅から地下鉄で一駅の「祇園駅」を下車。2番出口を出て西方向に徒歩で5分程度。
大博通りを北西に90mほど進むと、櫛田神社一の鳥居がある。そこを左折。真っすぐドン突きが櫛田神社である。
もしくは、国体道路を中州方面に歩くと「萬行寺」という大きなお寺が左手にある。その交差点を右に曲がると櫛田神社の鳥居が見える。
1月16日。松の内も開けたが、提灯や幟が立ち並ぶ賑やかな玄関である。鳥居の下に佇む女性と鳥居や門の大きさを比べていただきたい。その大きさがよくわかると思う。
この門の天井に、色彩豊かな方位盤が設置されている。今年は、矢印が指している「巳」と「亥」の方角が吉方位のようだ。
巳と言えば奈良の「大神神社」。亥と言えば京都の「護王神社」だ。近いうちに参拝に行こう。
なかなか綺麗なフォルムの手水舎である。しかし、こんな張り紙がされてあった。
そんな奴、おるんかいな。柄杓ですくって犬に水を飲ませる?そもそも神域はペット同伴不可のはずだが。。。
霊泉 鶴の井戸
これが、無病息災の霊水が湧き出る井戸として名高い「鶴の井戸」である。
が、昨年(平成28年)の秋から飲用できなくなってしまったようである。保健所からの水質検査や成分分析などの諸手続きが煩雑になったためとか。。。
とはいうものの、ちょっと飲んでみたくなるのが人というもの。舐める程度に飲んでみた。塩辛い水であった。海水が混じっている?と思われる。だから水が泡立っているのだ。納得である。
そんなことはどうでもいいのだ。本殿下から湧き出る泉である。これはまさしく大地の恵みであり、パワースポットの原点なのだ。そういえば、祇園八坂神社の本殿地下からも泉が湧き出ている。
櫛田神社 拝殿
太い注連縄だ。出雲大社の注連縄を少しコンパクトにしたような形状である。注連縄の両サイドの上部に狛犬の彫り物がある。珍しい。
あっかんべーしているコミカルな風神・雷神の彫り物もあるのだが、目の悪い私には見えなかった。と思っていたが、今、画像を見てて発見した。写っていたのか。。。唐破風の両サイドに。
さて、鈴緒が三本垂れ下がっているが、この鈴はいくら振っても音が出ない。音が無いというのは頼りないものである。
三宮の扁額が設置されている。祇園大神は須賀大神となっているようだ。須佐之男=須賀=素鵞=蘇我氏などという説を聞いたことがあるような気がする。ここでは深くは触れないでおこう。
天井の格子に様々な絵が描かれている。これにも何か意味があるのだろうか。
二礼二拍手一礼。新年のご挨拶。大阪からこちらに来て商売させていただく旨の報告を行う。
では本殿エリアから出て、本殿裏側にある摂末社をば、時計回りに参拝して行こうと思う。
境内南の摂末社
境内散策のスタートは、境内の東角にそびえる、大銀杏である。秋の黄金色に染まった大銀杏は、さぞや美しいのであろう。
この銀杏の木の前がバス専用の駐車場になっており、それなりのスペースがある。
ここが、祇園山笠の山笠タイムレース?で回転する「あの場所」らしい。
次に、山笠だ。
飾り山笠は、こんなにデカイ。ビックリである。
昔はこれぐらいのモノを担いで走っていたらしい。おそるべし博多っ子。
横手に夫婦銀杏があった。
山笠展示ブースの隣に「夫婦銀杏」があり、夫婦円満・縁結びの霊樹とされる。
その前には「夫婦恵比寿」が鎮座する。
夫婦恵比寿神社
「夫婦恵比寿神社」の祭神は、事代主大神と玉櫛姫大神。大漁・商売繁盛・夫婦円満・良縁成就のご神徳である。
男女二柱の神を祀る恵比寿神社は珍しいらしい。
奈良の春日大社の摂社には夫婦大黒社があった。「大国主命」とその正妻「須勢理姫命」を祀る珍しい大黒社であった。
柏手がよく響く、いい拝殿である。一番パワーを感じたのが、この恵比寿神社だ。杭全神社の恵比寿社に似た、濃厚な癒し系のパワーを感じる。
「児安社」「白龍権現社」
夫婦恵比寿の右奥にも、銀杏とともに社があった。
児安社は「子安観音」。慈悲・養育・智恵・安産の功徳と水子供養である。
白龍社は「白龍権現」。商売繁盛・金運・幸運・財布の神だ。
観音菩薩が祀られ、功徳・供養など仏教用語が使われている。神仏習合の名残である。
本殿裏の摂末社
石堂宮?
少しずつ形状が異なる鳥居がいくつか建てられており、その先には平たい石板が置かれている。磐座ではなかろう。なんだろうと思いながら、鳥居をくぐり、ふと上を見上げると。。。
二つ目の鳥居
三つ目
四つ目
五つ目
六つ目
なんと、それぞれ扁額が異なるのである。これが一直性に並んでいる。おそらく、近隣の神社を合祀した際に鳥居もこちらに移設したんだろうと思った。珍しい。
予備知識なしでこの鳥居に気づいた自分を褒めてやりたい!
二十二社
平安時代に選定された国家的祭祀を行う二十二社を祀っているのか?と思いきや、天津地祇二十二柱を祀っているとの説明であった。
ご神徳は、天候の神・旅行の神・山の神・田の神・開拓の神・武の神・相撲の神・織物の神・道祖神。とのこと。
合祀殿
8つの社がずらりと並ぶ。
横から見るとこんな感じ。私は、このような規則正しく並んでいる様が、大好きなのである。
右から(奥から)順番に、
- 松尾神社—大山咋神—酒造・醸造・農業・雨請・山林の神
- 諏訪神社—建御名方神—武・スポーツ・狩猟・農業・健康の神
- 金刀比羅宮—大物主神ーーー海上安全、造船・漁業・交通安全の神
- 皇大神宮—豊受比賣神ーーー食物・農業・酒・寿司・菓子・染物呉服の神
- 竈門神社—奥津彦命、奥津姫命—かまどの神 2柱
- 白鳥神社ーーー日本武尊—鳥の神・防火の神
- 淡島神社ーーー少彦名神社—婦人病の神・薬の神
- 今熊野神社ーーー伊邪那美命—家内安全
- 少彦名神社ーーー少彦名命—病気平癒・温泉
- 手置帆負神社—手置帆負命ーーー工匠・林業・造船の神
- 松木天満宮—菅原道真公—学問・書道・雷の神
- 石堂宮—吾田片隅神、宗像三神—国防・海洋安全・交通安全 4柱
全部で16柱の神を祀っているのだ。まるで、ご利益のデパートだ。。
んっ!さっきの鳥居の行列は、まさにこの末社群のものではないか?皇大神宮と竈門神社の鳥居は無かったが、他はすべてさっきの鳥居と合致するではないか!
こういうことに気が付くと、嬉しくて嬉しくてたまらない。
注連懸稲荷神社
注連懸稲荷=「しめかけいなり」と読む。またの名を「あしどめ稲荷」。
祭神は、豊受比賣命(倉稲魂命)で、商売繁盛・刀・五穀豊穣・開運・芸事化粧・金融の神とされている。
こちらの鳥居も二番目の鳥居が石製で、扁額には「宇賀神社」の銘がある。これも合祀された稲荷社のモノなのだろうか。
ガラス戸が張られているのは勿体ないと思う。肌で感じられる部分が削がれてしまうようで。。。
これで、本殿裏の摂末社の参拝は終了だ。
稲荷神社の前には、「博多塀」がある。
「博多塀」と「博多っ子 小便小僧」
この「博多塀」は、戦国時代の戦火によって荒廃しきった博多の街の再建時、町割りのために豊臣秀吉によって作られた塀である。町中に散乱していた焼石や瓦などの廃材を利用して堅牢な塀を作ったのだ。
熱田神宮には「信長塀」が現存する。よく似た構造だと思いながら眺める私であった。
小便小僧は、外国人旅行客に人気、特に女性に人気のようだ。キャッキャ、キャッキャとはしゃいでいた。
しかし、この、「少しヒザを曲げてすこし右に傾いた態勢」で用を足すのは、なかなかに困難であろう。
この態勢になるのは、、、そうだ、最終段階のみである。すなわち、元の鞘に収める時のみだ。
とまあ、いろんなことを思いながら、都会のオアシス・博多の総鎮守「櫛田神社」で新年のご挨拶と、自らのパワーの充填を行い、さあ、商談に挑もうではないか!
最後に
あっ、もうひとつ。櫛田神社から住吉神社へ向かう途中に「下照姫神社」を見つけた。
先日、大阪の玉造稲荷神社に参拝したばっかり。そこの祭神の一柱が下照姫命なのだ。私的には、玉造稲荷の隠れ主祭神ではないかと思うところがあり、マイブームになりつつあった神様である。
なんとも、偶然とは思えない遭遇だ。ビルに挟まれた、小さな小さな境内だが、なんとも言えない存在感を示していた。
近日中に記事にしたいと思うところである!
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません