御野縣主神社|旧大和川の堤防跡を歩いてみる。タイムスリップしたような感覚に、癒されるのである。

2017年1月27日

御野縣主神社(みのあがたぬし)は、大阪符八尾市上之島南町に鎮座する式内社。上之島村の氏神であり、古代豪族の美努連(みぬのむらじ)、三野縣主一族の祖神である。

かつて、この神社の西側には、旧大和川の本流で川幅200mを超えたとされる「玉櫛川」が流れていた。その豊な水量と肥沃な大地の恩恵にあずかりながらも、度重なる洪水に悩まされた歴史があったであろうことは、容易に想像がつく。

だからこその神祀りなのだ。

そして、御野縣主神社の境内には、玉櫛川の自然堤防の跡が残っている。玉櫛川水系では唯一の堤防跡だという。薄れゆく旧大和川の痕跡を今に残す、数少ない遺構である。

ちなみに、境内から南へ少しの場所に、式部御野縣主神社がある。こちらは、御野縣主神社の分霊を祀った神社で、かつて水利権争いによって村が分裂した際に神社も分裂したということらしい。

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御野縣主神社について

御野縣主神社 概要

  • 所在地   大阪府八尾市上之島町南1丁目-71
  • 電話番号  072-924-0966
  • 主祭神  角凝魂命 天ノ湯川田奈命
  • 創建年      不明
  • 社格   式内小社
  • 公式HP     

御野縣主神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 近鉄大阪線「河内山本駅」徒歩13分

駐車場

  • あり(月極共用)

御野縣主神社の創建

創建年代は定かではない。延喜式神名帳に「河内国若江郡の御野縣主神社二座」と記載されていることから平安時代以前にはあったと判断できるだろう。

また、三野縣主が連の姓を賜ったのが西暦685年。飛鳥時代の末期のことである。

よって、飛鳥時代から奈良時代にかけてのどこかで創建されたと考えることができる。

御野縣主神社の祭神

社伝によると、角凝魂命 天ノ湯川田奈命の二柱の神が祀られているとのこと。いずれも、美努連(みぬのむらじ)、三野縣主一族の祖神とされている。

角凝魂命(つのこりむすひ)

神皇産霊神の御子とされている。

一説には「五十猛命」と同一神であるとも。。。阪南市の波太神社の祭神で、鳥取氏の祖神として祀られている。

天ノ湯川田奈命(あめのゆかわたな)

角凝魂命の三世孫とも四世孫ともいわれる。実はこの神、記紀の中で大活躍した神である。それは、、、

垂仁天皇の御子「誉津別命」は30歳になっても言葉を発することが出来なかった。

そんな皇子が、ある日、白鳥が飛んでいくのを見て「あれは何か?」と言葉を発した。それを見た天皇は大層よろこんだ。そして「誰かあの白鳥を捕えてくるように!」命じるわけだ。

この白鳥を捕えて来たのが「天ノ湯川田奈命」。皇子は白鳥と戯れる中で次第にしゃべることができるようになったという。

その功績によって「天ノ湯川田奈命」は鳥取造を賜ったという。

御野縣主神社のご利益

出世運、子孫繁栄、学業向上、事業成功、五穀豊穣、水難消除

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御野縣主神社 参拝記録

大阪府立山本高校の東側には、玉串川という幅3メートル程度の小川が流れている。この川沿いの歩道は桜並木になっており、春になるとピンクの小径になる。そして散り始めると、今度は小川がピンクに染まる。とても綺麗である。

この玉串川が、かつて大和川の本流である玉櫛川である。調査した結果、その当時の川幅は200mを超えていたらし。大河である。

さてその山本高校がある交差点「山本高校前」から住宅地方面へと入る道路を覗き見ると、一見して神社のそれとわかる垣根と森が見える。そこが今回の目的地「御野縣主神社」である。

駐車場について

境内は南北に細長い。細長い境内の東側に正門の鳥居があり、その脇に駐車場がある。南面にも駐車場があった。しかし、それらの駐車場は月極駐車場でもあるため、参拝者は社務所で受付をする必要があるようだ。

ところが私が参拝したときは、社務所に誰もいらっしゃらない。勝手に止めようかとも思ったが、今回は諦めることにした。

ひとまず帰ろうと元の道から交差点に出る、まさにその角。「産婦人科」があるではないか。結構流行っているようで、妊婦さんが出入りしている。車の出入りもある。そして、駐車場にも余裕がありそうだ。受付からは死角で見えない。。。これ以上は言うまい。。。

先ほどの交差点から見えた垣根まで歩く。正門までは大きく迂回しないといけない。しかし私には後ろめたさがあるため、時間的な焦りがある。

とそのとき、この裏門を発見した。ここなら最短距離で本殿前にすすむことができそうだ。

灯籠の真ん中に、入るな!と言わんばかりに鉄柱が立っている。おそらくこれは自転車除けであろう。と、勝手な結論付けをする。

本殿横を通り過ぎて、正門の鳥居へと急ぐ。

社頭

見よ!この抜けるような青空を!といった感じである。あらためて、神域に足を踏み入れようではないか。

龍の水口である。水を司る「龍神様」を意識しての龍の水口。暴れ川であった玉櫛川の神を鎮め奉る神社にはピッタリである。

ご神木

手水舎前

手水舎横

このご神木は石に支えられている。そして何やら石碑がある。で、私のシルエットが映り込んでいた。

拝殿左

上部は切られている。落雷にでも遭ったのだろうか。

本殿右

古木のため、支えが必要なのだ。

拝殿

落ち着きのある雰囲気の拝殿である。木造だ。二礼二拍手一礼。清々しい氣に包まれようではないか。

拝殿から本殿を望む

神額に三柱の神々の名が刻まれている。

んっ、なに?三柱だと?よく見ると、角凝魂命 天ノ湯川田奈命の二柱に加えて「天日大明神」とある。

江戸時代この神社は「天日大明神」と呼ばれ、この地域の氏神であったらしい。

なので、ここを式内「御野縣主神社」と比定したのは明治になってからのこととのこと。

上記の二柱の神を「天日大明神」と呼んだのか、それとも「天日大明神」という神が別に存在したということなのか。。。詳細は不明である。

境内の様子

合祀殿と稲荷神社

向かって左手が合祀殿。右手が稲荷神社である。

合祀殿

右から順に、

日吉大神、春日大神・菅原大神、天照皇大神、八幡大神、厳島大神を合祀している。

稲荷神社

稲荷大神である。

御野縣主池

南北に長い境内の南半分は、池と堤防なのである。この池は、古代大和川が作り出した三日月湖だろうか。くの字に曲がっている。

堤防跡

このこんもりとした高い部分が堤防の畝部分である。この画像をまっすぐ進むと堤防の上を歩いていることになる。

落ち葉が溜まっており、ふわふわとした感触。ここを昔の人々も歩いていたかと思うと感慨ひとしおである。

八尾市にお越しの際は、是非お立ち寄り頂きたい、癒しスポットであると申し上げておこう。

さあ、早く、車に戻ろう。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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