神社の歴史(自然信仰~社殿の造営)
自然神への信仰
神社の起源といいますか神道の起源は、自然信仰といわれています。
日本人は、自然の山・岩・木・皮・海など、あらゆるものに神が宿っていると信じられてきました。山には山の神、川には川の神、太陽は日の神、海には海の神。「八百万(やおよろず)の神」です。
太古の人々は、自然の恵みがあればこそ生きることができ、自然の脅威は受け入れるしかなく、恐れおののくしかなかったわけです。自然に対する畏敬の念は、現代の我々とは比べられないほど強いものだったと思います。
日照りが続けば雨乞いを、大雨が降れば暴れ川を鎮める。豊作を願って山の神に祈り、感謝する。航海の無事を祈り、海の恵みに感謝する。海が荒れれば、鎮める祈りを行う。
そこで、磐座(石・岩)や神木などを依り代、「神籬(ひもろぎ)」として祭祀を行い、神様に降臨していただき、祈願や感謝の意を伝え祈りました。
神籬(ひもろぎ)は常設ではなく、祭祀のときに臨時的に設営されました。
地鎮祭の祭壇セットをイメージして下さい。
ですから、神様は常にそこにいらっしゃるという考え方はなく、神様にお越しいただくという考え方だったと思います。
沖縄の御嶽(うたき)は、原始的な磐座・神籬による祭祀の姿を今に残すものだといわれています。
人格神信仰のはじまり
古墳時代になると、それまでの自然信仰に加えて、人格神への信仰が行われるようになったといわれています。
伊邪那岐、須佐之男、大物主、大国主などなど。。。
有力な豪族が自らの氏族の祖先を崇め奉る祭祀を墳墓で行うようになります。これが氏神信仰の始まりとされています。
さらには、打ち負かした政敵などの祟りを封じるのための祭祀なども行われたと思われます。
私の考えですが、三輪山信仰は祟り封じの祭祀だと思います。
この時代も、常設の社ではなく、臨時の神籬を設営して祭祀を行っていたとされています。
社殿の建立
6世紀の前半に百済から仏教が伝来し、寺院の建築様式が日本に伝わります。
6世紀が終わる頃には、古墳時代が終末期を迎え、7世紀前半には古墳の築造が無くなってくるとともに、常設の祈りの場として社殿が造営されるようになったと思われます。
7世紀末には、伊勢の神宮にて第一回式年遷宮が行われたとされていますので、7世紀半ばには社殿を持つ「神社」での祭祀が行われていたことでしょう。
造営場所の選定は、山頂に磐座がある場合はその山の麓に建立するといった具合に元の依り代の近くだったり、分霊などにより新しく造営する場合は、その祀る神の縁起によって場所を選定したり、参拝しやすい場所だったり。
いずれの場合でも、清浄でパワーの集まる場所が選ばれたと思われます。
そういう意味でも、神社の多くがパワースポットであることがわかりますね。
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