熱田神宮②|愛知|八剣宮から徹社まで。南エリアの摂末社を一挙公開。
名古屋市熱田区にある「熱田神宮」には、「三種の神器」のひとつ「草薙剣」が祀られている。
それゆえに式内社の「名神大社」にして、明治時代から戦後までは「官幣大社」であり、しかも「勅祭社」であったという、極めて格式高く霊験あらたかで由緒ある神社である。
さて、熱田神宮のある場所から南側を見ると、なだらかな下り傾斜になっている。また東側の森の外側は低いながらも崖になっていて、崖下を道路が走っている。
太古の昔、ここは「名古屋湾に突き出た岬」であったらしい。そういわれると、確かに頷ける地形である。
さて今回は、境内を北・中・南に三分割した「南エリア」をご紹介しようと思う。
さらに南エリアを3分割して、八剣宮エリア・南東エリア・休憩アリアとする。
熱田神宮 概要
- 所在地 愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
- 電話番号 052-671-4151
- 主祭神 草薙神剣
- 創建年 192年(伝)、646年(伝)
- 社格 名神大社・尾張三宮・勅祭社・官幣大社・別表神社
- 公式HP https://www.atsutajingu.or.jp/
熱田神宮 アクセス
MAP
最寄り駅
- 名鉄名古屋本線「名鉄神宮前駅」徒歩3分
駐車場
- あり(無料)
熱田神宮は、南北に長い敷地の北側に、南向きに鎮座している。よって南が正門だ。南の鳥居から入場しよう。
地下鉄:伝馬町駅を下車し、南門の鳥居前に立つ。
神域からあふれ出てくる冷気が心地よい。あちらこちらで虫の声が響いている。蒸し暑い日ではあるが、秋の訪れを感じる瞬間だ。
南門の鳥居の手前、すぐ左手に別の鳥居がある。
鳥居をくぐると、ひとつの独立した神社の境内のような壮大な構えである。それもそのはず。熱田神宮の別宮で、本殿に準じる位置づけである。
別宮「八剣宮」
元明天皇の御代、和銅元年(708)というから、平城京遷都直前のことである。草薙剣を模した宝剣を新たに鋳造し、ここに祀ったのが始まり。
本宮と同じく、主祭神は「熱田大神」。相殿神に「天照大神」「素盞嗚尊」「日本武尊」「宮簀媛命」「建稲種命」を祀っている。
社殿も本宮と同じ神明造り。さらには、神事も本宮と同様に行われるらしい。まさに、本宮のミニチュアである。
当然、何のために同じものを造営したのか、疑問に思うのであるが、この疑問に迷い込むと出口が見つからなくなるので避けておく。
八剣宮は武門の信仰が篤く、織田信長、徳川家康、徳川綱吉等により社殿の修造造営が行われてきたようだ。
上知我麻神社・事代主社・大国主社
上知我麻神社(かみちかま)
中央に見える拝殿が「上知我麻神社」。祭神は「乎止與命」(おとよのみこと)。
「乎止與命」は「日本武尊」の妃となった「宮簀媛命」の父親で、尾張国造すなわち尾張氏当主である。朝廷をも凌ぐとされた、相当な勢力を持つ氏族の長である。
ご利益は「知恵授け」「合格祈願」と「商売繁盛」である。
事代主社と大国主社
上知我麻神社を守るように、左右に小さな社が鎮座している。
左手の小さな社が、「事代主社」。恵比寿様を祀る。もちろんご利益は「商売繁盛」である。
右手の小さな社は、「大国主社」。大黒様を祀る。こちらも「商売繁盛」だ。
この一帯は、「剣」から連想されるような「強力」で「男性的」なパワーではなく、非常にやさしい雰囲気に包まれている。
特に、八剣宮前の「太郎庵椿」の周囲は、落ち着く。是非、立ち寄っていただきたい。
て、八剣宮の境内を後して南門の鳥居をくぐると、そこは熱田神宮の正参道である。下鴨神社の糺の森のような景観であるが、雰囲気は異なる。極めて軽い。いやいや、軽快な気である。
正参道を本宮方向へ歩いていくと、右手に小路が見える。「楠之御前社」へと続く。
南東エリアの摂末社
安産のパワースポット 「楠之御前社」
正参道から一歩入ると、また雰囲気がガラッと変わる。こちらは少し陰気な雰囲気がするのだが、私だけであろうか。
祭神は、伊弉諾尊と伊弉册尊。社殿はなく、玉垣の中に大楠が生えている。
地域の人々からは「子安の神」あるいは「お楠さま」と呼ばれている。種々の病気を治し、とくに安産の神としての信仰が篤いといわれている。
従って、種々の病気を治すとのことだが、これも婦人病に強いのではないかと勝手に想像するのである。
小さな鳥居がたくさん納められている。干支や氏名を書いて奉献すると願い事が叶うらしい。見ると「子宝に恵まれますように。。。」「安産祈願」「母子ともに無事で、、、」などの願い事が書かれてあった。
淡路一之宮「伊弉諾神宮」の「夫婦楠」を思い出させる。夫婦和合・子孫繁栄のご利益があるとされている。
厄病退散のパワースポット 「南新宮社」
「楠之御前社」を通り過ぎると、朱塗りの社殿が目を引く「南新宮社」がある。
祭神は、「素戔嗚尊」。牛頭天皇ともいわれる。素戔嗚尊は「京都祇園まつり」で有名な八坂神社に祀られる神だが、この「祇園祭り」は京の都に蔓延した疫病の退散を願って行われたのが始まりである。
よって、こちら「南新宮社」も疫病退散のご神徳があるといわれている。疫病すなわち「流行り病」のことである。
孫若御子神社
南新宮社から一旦南に下ることにする。南新宮社の社殿の右に小路がある。そこを通ると、「孫若御子神社」が鎮座する。
祭神は、天火明命(あまのほあかりのみこと)。尾張・美濃に強大な勢力を誇った尾張氏の祖神とされる。
この神社も、式内社の名神大社である。現在は熱田神宮の摂社となっているが、格式は非常に高い神社なのだ。
さて、日本書紀によると、
天火明命は天押穂耳命と高木神の娘との間に生まれた御子で、天押穂耳命は天照大神と素戔嗚尊の誓約によって生まれた神である。したがって、天火明命は天照大神の孫。すなわち「天孫」。
ニニギ尊は、天火明命の弟とされる。
先代旧事本紀では、天押穂耳命の御子は饒速日尊とされており、このことから天火明命と饒速日尊は同一神との見方もある。
「ホアカリ」とは「穂赤熟」で、稲穂が熟して赤らむ意味らしい。天皇に繋る他の神と同様、稲に関係のある名前でもあり、太陽神であり農業神として信仰されている。
日本書記では、「天照国照彦火明命」(あまてるくにてるひこほあかり)。「名は体を表す」である。
日割御子神社(ひさきのみこじんじゃ)
孫若御子神社から、さらに南へと小路を進む。境内の東南の角にある神社が「日割御子神社」(ひさきのみこじんじゃ)である。
祭神は、先にご紹介した「天忍穂耳尊」(あまのおしほみみのみこと)。なんとこちらも式内社の名神大社である。
この鎮座地は太古の昔、海に面した「干崎(ひさき)」と呼ばれた場所らしい。天照大神の御子なので、合わせて「ひさきのみこ」。わかりやすい。
親子の名神大社が南北に並んでいるというわけだ。
第一のパワースポット 浄化の「徹社」
ここで一旦、正参道に戻り、改めて本宮方面へ歩を進める。先ほどの「楠之御前社」に入る小路の前を通り過ぎると「徹社」(とおすのやしろ)が鎮座する。
参道の途中に、参道に向かって鎮座する社を見ると、反射的に「祓戸社?」と思ってしまう。しかし、なんと、こちらの祭神は「天照大神の和魂」である。
和魂が参道を行く参拝者を見守っておられるというわけだろか、などと考えながら正面に立つ。
二礼二拍手一礼。天津祝詞。
本日最初の強力なパワースポットである。浄化だ。いつものごとく、脳みそが膨らむのがわかる。磁場がかなり強いのだろう。
そういう意味では、祓戸社的な役割を担っておられるように感じた。
休憩エリア
二十五丁橋
このまま、本宮へと進みたいところなのだが、この余韻を楽しもうと横道にそれる。ちょうど「徹社」前あたりに正参道から西へとそれる小路がある。そこに入ることにした。
そこに「二十五丁橋」があった。
あまり綺麗とは言えない小川というか溝というか、、、にかかる反り橋である。二十五枚の花崗岩板を組んでいるので二十五丁橋と言われている。名古屋で最も古い石橋らしい。
この小路を奥に進むと、池の奥側に出る。「南神池」である。子猫が数匹、石の上でじゃれていた。なかなか、可愛いものである。
宮きしめん
池に沿って歩くと、休憩所と「宮きしめん」がある。
ちょど昼時だったので、きしめんを食べることにする。食堂チックなうどん屋風の佇まいで、リラックスして食べられるのが嬉しい。一品料理もある。
十数種類のメニューの中から、「宮きしめん」を注文する。店名を冠するからには、よほどの自信作なのであろう。一番安いのだが。。。
つゆは「醤油」と「すまし」の選択制。ネギは入れ放題だ。私は「醤油」にした。
1~2分で出来上がるから、カウンターの前で待つのがいいだろう。
出来上がりがこれである。
トッピングは具沢山だ。
椎茸、鳴門、揚げ、ほうれん草、かつお節。そして入れ放題のネギである。甘い味付けの関西風の揚げが嬉しい。
つゆは、東京のかけ蕎麦のつゆに近いかもしれない。若干の甘味がそう感じさせる。
麺は、モチッとした食感で、食べごたえがある。600円程度だったと思うが満足である。
休憩所でコーヒーを飲みながら「南神池」を鑑賞する。なんと贅沢な時間であろうか。
次回に続く
熱田神宮・・・熱田神宮の概要についてを「熱田神宮①」でご紹介
南エリア・・・南鳥居から休憩所あたりまでを「熱田神宮②」でご紹介
北エリア・・・本宮・一の御前社・ここの小径を「熱田神宮④」でご紹介
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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