須佐神社|和歌山|田辺に鎮座する南紀の須佐神社

2020年1月16日

須佐神社は、JRきのくに線「紀伊田辺駅」から内陸部へ1.5kmほど入った和歌山県田辺市中万呂にある神社。

須佐神社が鎮座する小山は岩船山という。

梅林を中心とした田園風景の中にポッカリと浮かぶ岩船山は、いかにも神宿る信仰の山というべき佇まいを呈している。

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須佐神社について

須佐神社の概要

  • 所在地  和歌山県田辺市中万呂5
  • 電話番号  0739-22-5075
  • 主祭神  須佐之男命
  • 創建年    神武天皇即位年(伝)
  • 社格   村社
  • 公式HP   なし

須佐神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • JRきのくに線「紀伊田辺」からバス。中万呂バス停下車

駐車場

  • あり(有料)

須佐神社の祭神

主祭神は須佐之男命。配神に、稲田姫命、五男三女神を祀る。

須佐之男命

伊邪那岐命の御子にして、天照大御神の弟。生まれつき粗野で狂暴な神で、高天原の聖なる田を荒らし、聖なる神殿を穢したことで、高天原を追放される。

古事記では、

追放されたあと、出雲に降臨して八岐大蛇を退治したことから英雄視される。その後、須賀の地に宮を建てて出雲の王となり、やがて根の国に隠れる。

日本書紀の一書によると、、、

一旦は新羅のソシモリに渡ったが、「ここに住みたくない」と言って日本に戻ったとされる。

いずれにしても、粗野で狂暴な神は英雄となり、出雲系の神々のドン的存在となる。大国主神も須佐之男命の御子もしくは娘婿だ。

稲田姫命

須佐之男命の正妻。

須佐之男命は、八岐大蛇を退治することで、大蛇に食べられる運命だった美しい稲田姫を妃にした。

五男三女の神

須佐之男命と天照大御神の誓約で生まれた八柱の神々である。稲田姫との御子ではない。

  • 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・・・天照大御神の後継ぎ。
  • 天穂日命・・・出雲国造の祖
  • 天津日子根命・・・凡河内氏ら、多くの氏族の祖
  • 活津日子根命・・・滋賀県の彦根の地名に関係あり?
  • 熊野久須毘命・・・出雲や紀伊にある熊野の祭神だったという説あり
  • 多紀理毘賣命・・・宗像三女神の一柱
  • 狭依昆賣命・・・宗像三女神の一柱で市杵嶋姫命の別名
  • 多岐津毘賣命・・・宗像三女神の一柱

須佐神社の歴史

創建年代は定かではない。社伝は、神武天皇が即位した年を創祀としている。となれば、紀元前の創祀となるが、定かではないのである。岩船山の頂上には、創建当初の磐座があるらしい。

その伝承によると、この小山「岩船山」は須佐之男命が新羅のソシモリから日本に帰ってきた時に降臨した場所だという。

豊臣秀吉による紀州征伐の際は、ここだけが戦火を免れた。それは、秀吉に味方した玉置氏が祀る神社だったからだと言われている。

中世から近世の神仏習合時代は牛頭天王社と称され、牛頭天王(ごずてんのう)が祀られていた。須佐之男命の本地が牛頭天王だったからだ。

きっとその当時は、稲田姫ではなく、牛頭天王の后であるところの波利采女(ばりさいじょ)が祀られていたのだろう。

明治の神仏分離政策により、牛頭天王(仏教に由来する神)を祀る神社は悉く須佐之男命に神名を改めたのだが、当社も同様に神名と神社名を改めた。

須佐神社のご利益

牛頭天王=須佐之男命は、祇園神ともいわれている。なぜなら牛頭天王は祇園精舎の守護神だからだ。

京都八坂神社の祇園祭は、梅雨時の疫病が流行る時期に行われた、ズバリ疫病除けの祭りであった。

こちらの神社も同じく、厄災除け・疫病退散・病気平癒のご利益があると言えよう。

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須佐神社 参拝記録

国道42号線を南部から白浜方面を進む。天王池交差点を左折すると、正面にこんもりとした森が見える。それが岩船山だ。

右側に天王池を見ながら森の前まで進むと鳥居が見える。

鳥居の右に2台程度止めることが出来るスペースがあるので、そこに駐車しよう。

社頭

今回の参拝は、1月6日。松の内ということで門松が飾れれていた。狭くて急な石段に、紫の幟が美しい。

拝殿

綺麗に清掃された境内だ。拝殿前の石段の下で、二拝二拍手一拝。

本殿

この社殿の築年数は分からないが、この枯れた感じが、古社の雰囲気を醸し出している。

本殿左の境内社

右の祠は、合祀殿。

  • 神明神社・・・伊邪那美命、天照大御神、豊受大御神
  • 猿田彦神社・・・猿田彦命、天鈿女命
  • 万呂王子社・・・熊野九十九王子の一つ

神明神社に伊邪那美命が祀られるは、熊野参道「中辺路」の入口にある神社にはふさわしいと感じる。

万呂王子は、ここから1.5kmほど東にあったが、明治10年に合祀したという。元の場所は、今は田になっている。

左の祠は、

  • 厳島神社・・・市杵嶋姫命・太田命・大宮日賣命・手置帆負命・大汝命・彦佐知命

厳島神社の祭神は少しく違和感がある。一般的には厳島神社には市杵嶋姫命を中心とした宗像三女神が祀られることが多いからだ。

太田命は猿田彦命の後裔。本来なら猿田彦神社に祀られるべき。

大宮日賣命を大宮売命とすると、「古語拾遺」に太玉命の御子神とある。そして、手置帆負命と彦佐知命は太玉命の部下で讃岐忌部氏・紀伊忌部氏の祖であるからして、この三柱は太玉命繋がりで、忌部氏関連の神々だ。

さらに「日本書紀」によると、その手置帆負命と彦佐知命は高天原に帰順した大物主神に仕えたとされる。大物主神=大国主神とされるため、すなわち大汝命と同一神だろう。

このように、厳島神社に祀られる神は、市杵嶋姫命、太田命、太玉命グループという異質な3社が1社にまとめられた感がある。こちらも合祀殿であろう。

本殿右の境内社

左は合祀殿。

  • 金毘羅神社・・・金山彦命、金山姫命
  • 玉置神社・・・迦具土命、蘇民将来

玉置神社は、この地方を治めていた玉置氏に関係するものか。蘇民将来とは珍しい。

右の祠が、

  • 稲荷神社・・・宇迦之魂神、大宣都姫命、稚産霊神

稚産霊神は、豊受大神を生んだ神であるからして稲荷神社に祀るに相応しいと感ずる。

最後に

参拝を終えて石段を降りてくると、若いカップルが参拝にやってきた。私の見た感じ「新婚さん」。徒歩でやってきたようなので、すぐ近くに住まいする地元の方であろう。

まさに、産土神である。

このカップルは、赤ちゃんが誕生したらばここでお宮参りをするのだろうなぁ、成長すると晴れ着を着せて七五三かぁ、、、などと、他人の将来を勝手に想像しては嬉しくなる私であった。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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