北野天満宮②|京都|国宝の本殿はじめ重厚かつ可憐な建築美も楽しみのひとつ。
京都の北野天満宮は、菅原道真公を主祭神とする神社で、全国の天満宮の中心的存在。
修学旅行で京都を訪れる全国の中学生をはじめとする学生諸君には、必須の参拝スポットではないだろうか。平日は制服姿の学生諸君、土日は関西の学生諸君で、大いに賑わう神社である。
もちろん、本殿に鎮座する学問の神様「道真公」が目当てであろう。
私としては、いの一番に「地主神社」にお挨拶申し上げたい所であるが、皆さんのご意向はそうでは無かろうからして、今回は、正面玄関である一の鳥居から入り、速攻で本殿に参拝しようではないか。
下図を参照頂きたい。
今回の記事で訪れるスポットについて、スポット名を黄色表示しておいた。
北野天満宮 概要
- 所在地 〒602-8386 京都府京都市上京区馬喰町
- 電話番号 075-461-0005
- 主祭神 菅原道真公
- 創建年 947年
- 社格 二十二社
- 公式HP http://kitanotenmangu.or.jp/index.php
北野天満宮 アクセス
MAP
最寄り駅
- 京福電鉄北野線「北野白梅町」徒歩8分(大鳥居まで)
駐車場
- あり(有料)
私が参拝した時は、パーキングの出口は開放されていた。よって無料だった。
参道の様子
公共交通機関を利用する場合は、京福電鉄の北野白梅町駅から徒歩で8分、もしくは京都市内の主要駅から市バスを利用するといいだろう。
車の場合は、無料の駐車場がある。一の鳥居の右手から進入する。入り口にはゲートがあり駐車券が発行されるのだが、出口のゲートは解放されていた。
北野天満宮の北西には「平野神社」がある。天満宮の梅、平野の桜。春に訪れたいスポットだ。
一の鳥居
今出川通りに面した一の鳥居。神額が美しい。
影向の松(ようごうのまつ)
鳥居をくぐったところにある「影向の松」。北野天満宮の七不思議のひとつ。①
初雪が降ると、菅原道真公の御魂がこの松に降りてきて、和歌を詠むという言い伝えがある。
なんとも「雅」である。
さあ、真っすぐに伸びた参道を進もう。
子育ての守護神 伴氏社(ともうじしゃ)
参道の中ほど、二の鳥居の付近に「伴氏社」がある。
こちらは、道真公の御母様が祀られている。御母様は大伴氏の出身。よって伴氏社である。
道真公を立派に育て上げられた母君であるがゆえに、子供の成長を願う、また子供の大成を望む母親達の信仰を集めている。
社が造営されたのは明治に入ってから。それまでは五輪塔が置かれていた。その五輪塔は北野天満宮の隣にある東向観音寺の境内に移されている。
参道の途中に鎮座する社は、「祓戸社の役割」を果たしたり、本殿に近しい「ご挨拶申し上げるべき神」が祀られていると、私は認識する。
よって、必ず参拝していただきたい摂社と言えよう。
こちらの鳥居は、京都三珍鳥居の一つ。額束が島木にめり込んでいる点、台石に蓮弁が刻まれている点が珍しいということのようだ。
他は、木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)の「三柱鳥居」と京都御苑内にある厳島神社の「唐破風鳥居」だ。
楼門から三光門まで
楼門
巨大な楼門が現れる。両サイドの格子の中には右大臣・左大臣が、阿吽の形相で配置されている。
この楼門をくぐると、いよいよ神域である。
楼門内の参道
楼門をくぐった正面から真っすぐ伸びる参道。
通常であれば、この参道の正面に本殿が配置されるのだが。。。無い。本殿が参道正面に無いのである。
これを、「筋違いの本殿」といいい、北野天満宮七不思議のひとつに数えられている。②
神社によると、参道の正面には元々この地に祀られていた神を祀る「地主神社」が鎮座していたからとのこと。
だから、私もまずは「地主神社」へ、、、と思うわけなのだ。
しかし今回は、本殿へ向かうのであるからして、左にそれて「絵馬殿」の正面の参道に入る。
絵馬所から本殿へとまっすぐに伸びる最後の参道の両側に、重要な摂社が並んでいる。
福部社
福部社の祭神は「十川能福」。道真公の舎人であった。
老松神と同じく天神の眷属となり、水害を引き起こす神となったと言われている。
現在では、その名から転じて「開運招福の神」として祀られている。
白太夫社
福部社の向かい側に「白太夫社」が鎮座する。
祭神は「渡会晴彦」。伊勢の外宮の神官である。若くして白髪だったため「白太夫」。
菅原家には跡継ぎが無かった。この春彦が子授けの祈願をすると、道真公が誕生。その縁で道真公の守役として使えることになった。
子授け・安産の神として祀られている。
老松社
老松社の祭神は「島田忠臣」。眷属第一の神とされている。
天神の代行や補佐をする神。よって、どのような願いもまずは老松神に祈り、その後、天神に祈らなければならないという。
植林・林業の神、そして長寿の守護神である。
火之御子社
老松社の向かいに「火之御子社」が鎮座する。祭神は「火雷神」。雷除け・五穀豊穣の神。
「火雷神」は北野の地に元々祀られていた地主神である。雷への畏怖、すなわち古代自然信仰から生まれた神であろう。
ちなみに、こちらの祭神ではないが、第三の眷属「火雷気毒王」という厳めしい名の神も存在する。この神が清涼殿落雷事件を起こし、醍醐天皇の肉体、臓器を爛れさせ、死に至らしめたされている。
やはり祟りの実行は眷属が行うのだ。
本殿エリア
三光門
これが本殿エリア南の玄関「三光門」である。極彩色に彩られた彫刻が美しい。
三光とは「日」「月」「星」。
この彫刻の中に「日」と「月」はある。残りの「星」がない。「星欠けの門」といい、これも北野天満宮七不思議のひとつとされている。③
一説には、「星」は、門の上空にあるとする。当時の大極殿から北野天満宮を遥拝するとき、門の上空に北極星が輝くという段取りになるという説だ。
では、三光門をくぐろう。とその前に。。。
祓戸
三光門の右に「祓戸」がある。祓戸は神職や巫女が神事に際して禊祓を行う神聖なる場所である。神社によって異なるが、白玉石が敷き詰められ中央奥に榊が植えてある。杉や楠・檜など、その神社に縁のあるご神木が植えてある場合もある。
紅和魂梅(べにわこんばい)
拝殿前の左手「紅和魂梅」飛梅伝説伝承の、樹齢350年以上の梅の木である。
近年、葉と根とでは遺伝子が異なることが分かり、接ぎ木の技術が用いられたことが明らかにされた。
接ぎ木の技術に関する記述で最古のものは「八重桜」。平安時代後期の文献に記載されている。もしかしたら、この梅の木も、本当に道真公が愛した梅だったのかもしれない。
拝殿
▲修学旅行の生徒たち真剣に祈る。それぐらい真剣に勉強するべきである。
桧皮葺の屋根が重厚感を醸し出しつつ、絢爛豪華な装飾の数々。
それもそのはす。この社殿は、桃山時代末期の1607年、豊臣秀吉公の遺命により秀頼公が造営した、現存する最古の権現造りの社殿である。
普通、天満宮と言えば臥牛。座り込んだ牛がシンボルとなっているのだが、この拝殿の彫刻に、一体だけ立ち姿の牛が彫られてある。七不思議のひとつだ。④ おさがしあれ。
二拝二拍手一拝。
本殿と石の間と透塀
拝殿と本殿を石の間で連結する独特な様式である。
- 石の間は、画像の右端。金色の釣灯篭がぶら下がっている部分の奥。
- 画像中央の三角屋根は本殿。
- 本殿を囲む赤い塀が透塀。
すべて、欄干には極彩色の彫刻が彫り込まれてあり美しい。
学生諸君。これで、本殿への参拝は終了した。次は、境内社を巡ることにしよう。
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