梶無神社|東大阪|神武天皇による創祀とされる古社

2018年12月4日

梶無神社は、東大阪市六万寺にある神社。延喜式神明帳に「河内国河内郡 梶無神社 鍬」とある、由緒正しき式内社である。

往生院六万寺へと上る坂道の途中を北へ。山と里の境目あたりの、なかなかに込み入った住宅t地の中に鎮座している。

毎年、アオバズク(フクロウの仲間)がやってきて、境内の楠に巣をつくり、子育てをするらしい。まさに里山の風情である。

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梶無神社について

梶無神社 概要

  • 所在地   大阪府東大阪市六万寺町3丁目14−31
  • 電話番号  072-981-1615
  • 主祭神   瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命
  • 創建年      不明
  • 社格   式内小社 村社
  • 公式HP     なし

梶無神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 近鉄奈良線「瓢箪山駅」徒歩17分

駐車場

  • 微妙

梶無神社の祭神

江戸期の資料によると、ここは船山明神と称され、祭神は不詳となっていたようだが、現在は、瓊瓊杵尊と木花咲耶姫命を祀っている。

瓊瓊杵尊

天照大御神の孫にあたる。よって「天孫(てんそん)」。天孫降臨神話で高千穂の峰に降臨した神である。

山の大神「大山津見神」の娘「木花咲耶姫」を后とする。4代後に神武天皇が生まれる。すなわち皇統の始まりである。

木花咲耶姫命

大山津見神の娘。美しい女神であったとされる。

瓊瓊杵尊に嫁いですぐに妊娠したことから、自分の子ではないのでは?と瓊瓊杵尊から疑われた。

身の潔白を証明するために、「燃え盛る産屋の中で出産しましょう。あなたの子なら無事に産まれるでしょう。あなたの子でなければ母子もろとも焼け死ぬでしょう。」と提案。

その通りに実行して、無事に出産したという。豪傑である。

このようなことから、富士山を司る神として富士山本宮浅間大社に祀られている。

梶無神社の創建

創建年代は定かではないが、社伝によると、

神武天皇の東征の際、御船を白肩津から入江深くにさかのぼって来たが、生駒颪によって波高く、梶(舵)が折れ、海上を漂流するという危機に直面した。

神武天皇が祖神の御加護を求めて祈祷を行ったところ、さしもの強風も鎮まり波も穏やかになって、附近の丘に御船を付けて上陸することができた。

天皇は、祖神の御加護を深く歓ばれて、その上陸した処に祖神の瓊瓊杵尊と木花咲耶姫命を祭神とした祠を建て、神々に感謝をした。

この祠が後年、梶無神社になったという。

現在の梶無神社の北側に、かつて梶無の里と呼ばれる地域があり、そこが神武天皇上陸の地とされている。そこに祠を建てたとなれば、現梶無神社はそこから東へ500mほど移動したことになる。

しかし、これら縁起は延喜式神名帳記載の梶無神社が当社であることを前提としたものである。

かつてこの神社は「船山明神」と称され祭神も不詳となっており、ここが式内社であるところの梶無神社である確証はないようだが、そんなことは気にしないでよい。歴史は作られるのであるからして。

梶無神社のご利益

当社の縁起と船山明神と称されていたことなどから、水難除け、交通・海上安全のご利益を基本とする。

さらに、瓊瓊杵尊のご神徳により、事業成功のご利益がいただける。

そして、木花咲耶姫命のご神徳により、夫婦和合、家内安全のご利益も。

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梶無神社 参拝記録

大阪東部を南北に貫く「外環状線」の「下六万寺」の交差点を東(山側)へ入る。

「東六万寺」交差点を直進。ここから道路幅が狭くなっていく。車両の行き違いも少し難しい。

右手にファミリーマートがある。ここからさらに162m進むと「梶無神社」と書かれた小さな看板がある。

そこを左折。左折したら直進。神社が見えてて来るだろう。この左折ポイントを間違うと大変なことになるので、慎重さが要求されるのだ。

社頭

鳥居前に駐車場がある。これが神社の駐車場なのか近隣住民の駐車場なのかわからないのだが、とりあえず、他に駐車スペースがなかったので、止めさせていただいた。

鳥居をくぐると、体感温度が3度下がる。この感じが好きだ。

拝殿

というわけで、急いで参拝することとする。

二拝二拍手一拝。

本殿

春日造りの本殿。美しい。

末社 春日神社

本殿の手前に見える屋根が末社「春日神社」である。

奈良の春日大社や、同じ東大阪の枚岡神社の祭神である、天児屋根命・比売神・武甕槌命・経津主命を祀る。江戸期に、今西家の邸宅にあったものをこちらに遷して合祀。

末社の合祀殿

こちらには、3社が合祀されている。

桜井神社

大己貴命を祀る。六万寺村から遷して合祀。

白峯神社

崇徳天皇を祀る。保元の乱で敗北し讃岐に流され非業の死を遂げた。日本三大怨霊とも言われる。

歴代天皇の一人でありながら永らく讃岐の白峯御陵に祀られていたが、明治天皇によって京都に遷し社殿を造営してその御霊を祀られた。それが白峯神宮。

よって、こちらに祀られたのもそれ以降、すなわち明治前半の勧請と思われる。

八幡神社

誉田別命すなわち応神天皇を祀る。明治期に六万寺村から遷して合祀された。

ご神木

ひときわ高いご神木。初夏になるとアオバズクがやってくるのだろう。

最後に

梶無神社は、神武天皇東征に際して神武天皇自身で創祀した祠が原点という神社である。

しかし、このように神武天皇に深くかかわる神社であるにも拘わらず、神武天皇が祀られていないのは何故だろう、、、などと考えてしまう神社なのである。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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