久佐々神社|能勢|雰囲気最高!大阪府最北の式内社
久佐々神社は、大阪府豊能郡能勢町宿野に鎮座する神社で、延喜式神名帳に記載ある式内社である。
鬱蒼と茂った社叢、苔むした境内、永年の風雨に晒された枯れた趣きの社殿。そこに流れる清く澄み切った空気。
悠久の時の流れを感じつつも、元気・活力が湧いてくる、不思議な神社である。
久佐々神社の祭神
久佐々神社 概要
- 所在地 大阪府豊能郡能勢町 宿野274−1
- 電話番号 072-734-2017
- 主祭神 賀茂別雷神
- 創建年 713年
- 社格 式内小社 郷社
- 公式HP なし
久佐々神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 「能勢町宿野バス停」徒歩3分
駐車場
- あり(無料)
久佐々神社の祭神
主祭神として賀茂別雷命を祀り、猿田彦命・大歳神・速素戔嗚尊・応神天皇を合祀している。
賀茂別雷命
賀茂氏が奉ずる天津神にして、上賀茂神社の祭神である。
神名の「別雷」は、「雷を別けるほどの力を持つ神」という意味。雷神ではない。
山城賀茂氏の始祖「賀茂建角身命」の娘「玉依姫命」が鴨川で遊んでいたら、川上から朱色の矢が流れてきた。それを持ち帰って寝床に置いておいたところ妊娠出産。生まれた神が「賀茂別雷命」である。
と伝わる。
ちなみに、「賀茂建角身命」と「玉依姫命」は、ともに下鴨神社の祭神である。
猿田彦命
伊勢国鈴鹿の地主神。すなわち国津神。
天孫「ニニギ命」が高天原から地上に降臨する際、お迎えにあがって、道案内をしたという。よって、導きの神・開運の神といわれている。
その風貌はまるで天狗のよう。修験道の祖ともいわれている。
大歳神
素戔嗚尊と神大市比売(大山津見神の娘)の間に生まれた、穀物をつかさどる神。
稲作文明においてなくてはならない神のひとりである。
速素戔嗚尊
天照大神の弟。姉の天照大神、兄の月読尊とあわせて三貴子と称される。
中世において仏教の牛頭天王と習合。
疫病除けの神として全国各地に祀られたが、もっぱら牛頭天王として牛頭天王社あるいは祇園社に祀られていた。
江戸後期から明治にかけての神仏分離の流れの中で、牛頭天王社は八坂神社などに社号を変更し、祭神名も牛頭天王から素戔嗚尊に変更されていく。
全国津々浦々の小さな神社に「素戔嗚尊」が祀れれていることが多い理由のひとつであろう。
応神天皇
15代の天皇。父は14代仲哀天皇、母は神功皇后。とかく朝鮮半島に近しい時代の天皇である。
全国各地の八幡宮や八幡神社に祀られる八幡大神(やはたのおおかみ)は、この応神天皇である。
久佐々神社の創建
712年(和銅6年)の創建と伝わる。
また、当社に伝わる文献には「祭神天穂日命、御合殿祭神賀茂別雷神、右大同年間奉祭する」とある。
賀茂別雷神は、大同年間すなわち806~810年に合わせ祀られたということになる。
祭神「天穂日命」時代
このように、創建から100年近くは「天穂日命」を祀る神社であったことが伺える。
それを裏付けるように、ここ久佐々地区には天穂日命を祖神とする土師連系の民部が居住していたという文献がある。
日本書紀雄略天皇17年(473年)の条に、
朝夕の食事に使われる清き器を献納するよう土師連に詔がくだり、土師連の祖先である「吾笥」が、摂津國の来狭村や山背国の内村などに居住している土師連配下の私民部を、贄土師部と名付けて天皇に献上した。
とある。
で、この土師連の遠祖が「天穂日命」なのである。
これらのことから、久佐々神社は、来狭村の贄土師部の氏神として創建されたであろう。と推察することが出来る。
祭神が「賀茂別雷神」へ
賀茂別雷神が祀られるようになったのは、、、
713年(大宝6年)に能勢郡が独立し郡司が設置され、能勢郡の郡司となったのが神人為奈麻呂。もともとの居住者である贄土師部を支配する立場となった。
この神人為奈麻呂は賀茂氏とは同祖であることから、「賀茂別雷神」を祭祀したと考えられるのである。支配される側の祖神「天穂日命」にかぶせて。。。
久佐々神社のご利益
賀茂別雷神のご神徳というと、厄除け・災難除けである。雷除けなども。。。
猿田彦命のご神徳から、開運のご利益を頂こう。また、進路に迷ったときにもお力添えを頂けそうだ。
大歳神からは、五穀豊穣と家内安全を。
素戔嗚尊のご神徳により、病気除け・病気平癒のご利益を頂戴したい。
応神天皇からは、勝運を頂けるのである。
久佐々神社 参拝記録
毎年11月中旬になると、ここ能勢町で高校駅伝近畿地区大会が開催される。今年も11月18日に開催されるわけだが、今年は今までと少しく異なる。
何が異なるのか?
5年に一度の記念大会なのだ。県大会優勝校以外に、近畿地区全体で2校の特別出場枠が与えられる。そう。全国大会への切符が2枚多いのだ。
須磨学園や薫英学園そして立命館宇治などの強豪校に阻まれ続けた、それぞれの府県の2番手・3番手校にとって、この2枚の切符は眞に垂涎の的である。
もう一つ、いつもの大会と大きく異なる決定的な点を申し上げておくことにしよう。
我が家の「お嬢」が出場するのだ。しかも、所属高校は残り2枚の切符に手が届きそうなポジションにある。
いやが上にも熱が入るというものだ。
というわけでレース一週間前に前乗りし、レースの無事と好成績を祈願するために、能勢の鎮守様に参拝したという寸法だ。
おっと、前置きが長くなってしまった。
国道175号で川西から能勢町へと車を走らせる。トンネルをいくつか通り抜け、最期のトンネルを抜けたところ「下田交差点」を左折して能勢の田園地帯に入る。
しばらく進むと左側に能勢町役場が見える。役場から600mほど進むと左手に鳥居が見えてくるだろう。
社頭
紅葉が色づき始めていた。
画像右に映っている生垣の向こう側が駐車場スペースだ。生垣の切れ目からグルっと入り込むことができる。
車高の低い車は底を擦る可能性が高い。その場合は、お向かいにあるコイン精米所の駐車スペースをお借りすればよいと思う。
内参道
鳥居をくぐる。紅葉の絨毯を歩く。グッと涼しくなる。
左側は社務所だが、通常は不在のようだ。電話を掛けると10分ぐらいで来ていただける。お札とお守りを購入した。
手水盤
なかなか風情のある手水盤である。井戸水なのか水道水なのかわからないが、口に含むとほんのり甘かった。いい水だ。
手口を漱いで、いざ神門をくぐろう。
神門
この枯れた感じが歴史を物語っているのである。
舞殿
神門をくぐると正面に舞殿が立つ。屋根は銅葺きだろうか。地面の緑は草ではない。苔である。
ここまでくると、ものすごい清涼な空気の流れを感じることができる。元気が湧いてくるのである。
長床(ながとこ)
長床とは、板敷きの上に一段高くして畳をしいた構造の建物で、熊野系の神社に多いらしい。
神社の本殿前に置かれ拝殿として使用されたり、舞殿として使用されたり、はたまた修験道者の宿泊施設として利用されたりしたようだ。
こちらでは奉納芝居が行われていたと伝わる。
近畿圏では珍しいらしい。知らなかった。
拝殿
檜皮葺きの神門が拝所となっている。
二拝二拍手 天津祝詞 祈願祝詞(自作)二拝二拍手一拝。
今回は特別に思い入れのある参拝なので、少しだけ本格的な作法で祈願させていただいた。
本殿
垣内に建つ本殿。春日造りの庇部分に唐破風を持つ、面白い様式である。地車っぽい印象を与える。
境内社
本殿向かって左側に末社が治まる長屋がある。近隣神社の廃止などによって、こちらに合祀された神々が祀られている。
こちらの風情も素晴らしく好きである。この枯れ感がたまらない。
奥から3社
いずれも、立派なお社である。
大国主神社
大国主神、大歳神、大山祇神、知多那美神、天水分神、応神天皇、速素戔嗚命、菅原道真公、猿田彦命、宇賀御魂神
事代主神社
事代主神、金山彦命
豊受姫命神社
豊受姫命
手前の2社
奥の3社に比べると、こぶりな祠である。
宇賀御魂神社
宇賀御魂命、豊受姫命
曽我神社
曽我時宗、曽我祐成
能勢と曽我兄弟の関係性がよくわからないが、共通点として思いつくのは「浄瑠璃」。
日本三大仇討として有名な曽我兄弟の仇討は浄瑠璃の題材として知られる。一方、能勢町は200年続く素浄瑠璃の里。
どうだろうか。他に何かあるのだろうか。。。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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