建部神社|鹿児島|足元にトンネルを掘られた神社とは、、、気になる、、、

2018年9月6日

建部神社(たけべじんじゃ)は、鹿児島市武3丁目の武岡トンネル出口の真上に鎮座する神社である。

当然、好きこのんでトンネルの上に鎮座しているわけではなく、鎮座地の真下に穴を掘られてしまったのである。

これって大丈夫なのだろうか。。。多くの人が、そのような興味を持つ。そんな神社である。

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建部神社について

建部神社 概要

  • 所在地   鹿児島県鹿児島市武2丁目43−16
  • 電話番号  099-258-1466
  • アクセス  鹿児島市電「中洲通」徒歩10分
  • 駐車場   あり(無料)
  • 主祭神  日本武尊、大名持命
  • 創建年      鎌倉時代(伝)
  • 社格   村社
  • 公式HP     なし

MAP

建部神社の創建

創建年代は、今から800年ぐらい前というから鎌倉時代の前期あたりだろうか。

大隅半島の有力国人であった禰寝氏(ねじめうじ)が、近江国の一之宮である「建部大社」から祭神2柱を勧請、大隅国小根占郷に社殿を造営して奉斎したのが始まり。

小根占は、大隅半島の南西部。ちょうど指宿の対岸にあたる。

1520年、武村の内高麗町あるいは上之園に遷宮。元文年間あるいは明和年間に現在地に遷座。

以降、武大明神、あるいは大田大明神(でめ神社)と称され、近在近郷の産土神として尊崇されてきた。

建部神社の祭神

名神大社にして近江国一之宮である「建部大社」から勧請された、日本武尊大名持命を祀る。

倭建命/日本武尊(やまとたけるのみこと)

第12代景行天皇の御子で、第14代仲哀天皇の父。

16歳にして熊襲を討伐し、さらには三種の神器の一つ「草薙剣」を以ってして東国をも平定した、日本神話に登場する伝説の英雄である。

草薙剣を持たずに伊吹山の荒ぶる神と戦ったため敗れ、32歳という若さで亡くなってしまった悲劇の英雄でもある。https://googleads.g.doubleclick.net/pagead/ads?us_privacy=1—&client=ca-pub-8368244099051458&output=html&h=280&adk=3367652163&adf=675904906&pi=t.aa~a.261052116~i.27~rp.4&w=710&fwrn=4&fwrnh=100&lmt=1630391063&num_ads=1&rafmt=1&armr=3&sem=mc&pwprc=1088574743&psa=0&ad_type=text_image&format=710×280&url=https%3A%2F%2Fspiritualjapan.net%2F13476%2F%3Fpreview_id%3D13476%26preview_nonce%3Dbcc30c21e5%26preview%3Dtrue%26_thumbnail_id%3D13382&flash=0&fwr=0&pra=3&rh=178&rw=710&rpe=1&resp_fmts=3&wgl=1&fa=27&uach=WyJXaW5kb3dzIiwiMTAuMCIsIng4NiIsIiIsIjkyLjAuNDUxNS4xNTkiLFtdLG51bGwsbnVsbCxudWxsXQ..&tt_state=W3siaXNzdWVyT3JpZ2luIjoiaHR0cHM6Ly9hdHRlc3RhdGlvbi5hbmRyb2lkLmNvbSIsInN0YXRlIjo3fV0.&dt=1630391060192&bpp=4&bdt=1189&idt=4&shv=r20210826&mjsv=m202108300101&ptt=9&saldr=aa&abxe=1&cookie=ID%3D4a70ceb0341e4fb0-224d55c63bcb0093%3AT%3D1630391059%3ART%3D1630391059%3AS%3DALNI_MaefjUam7XZVLCQ_XB7iUzVovTwTw&prev_fmts=0x0%2C336x280%2C336x280%2C336x280&nras=5&correlator=4647256456497&frm=20&pv=1&ga_vid=1342185950.1630391060&ga_sid=1630391060&ga_hid=1144371669&ga_fc=0&u_tz=540&u_his=1&u_java=0&u_h=1024&u_w=1280&u_ah=984&u_aw=1280&u_cd=24&u_nplug=3&u_nmime=4&adx=89&ady=3909&biw=1263&bih=913&scr_x=0&scr_y=400&eid=42530672%2C44747620%2C21067496%2C31062297&oid=3&pvsid=1234750072313488&pem=910&ref=https%3A%2F%2Fspiritualjapan.net%2Fwp-admin%2Fpost.php%3Fpost%3D13476%26action%3Dedit&eae=0&fc=384&brdim=0%2C0%2C0%2C0%2C1280%2C0%2C1280%2C984%2C1280%2C913&vis=1&rsz=%7C%7Cs%7C&abl=NS&fu=128&bc=31&ifi=4&uci=a!4&btvi=4&fsb=1&xpc=Tbi9KUtcbb&p=https%3A//spiritualjapan.net&dtd=3386

古事記では「倭建命」と書く。建は武力を意味することから「日本を武力で平定した命」という神名であり、文字通り建設するという意味から「日本を建てた命」という神名でもあると思われる。

景行天皇は息子の死を悲しんで、日本武尊を奉斎する軍事的部民「建部」を各地に配置した。これが建部氏の始まりであり、日本武尊を祀る建部大社の始まりとなろう。

実は実は、その建部氏の流れを受け継ぐのが、大隅国の禰寝氏。正式には「建部朝臣禰寝氏」(たけべのあそん ねじめうじ)。

日本最南端である大隅国の小根占に日本武尊を勧請した理由は、まさに禰寝氏の氏神様だからである。

大名持命(おおなもちのみこと)

大国主命の亦の名。国津神の主宰神で出雲大社の祭神。

日本書記では素戔嗚尊の息子。古事記では須佐之男の娘「須勢理姫」と結婚して後継ぎとなる。いずれにしても、素戔嗚尊から出雲国の王権を引き継ぎ、さらに周辺国を平定した地上世界の大王。

もともとは大和国の大神神社(おおみわじんじゃ)から近江国の建部大社の権殿に勧請され、さらに大隅国に勧請されたということになる。

建部神社のご利益

倭建命・・・開運・出世・必勝・厄除け・災難除

大名持命・・・縁結び・商売繁盛・家内安全・病気平癒・醸造

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建部神社 参拝記録

鹿児島に出張となると、必ず通るのが武岡トンネル。トンネルの真上に鎮座する神社は、否が応でも見える。気になっていた。

タクシーの運転手さんの話によると、「神社の下にトンネルが出来た当初は、交通事故が多かった。神様の祟りだとか、墓地の下を通っているからだとか、噂はいろいろありますね~」

そんな話を聞いてしまうと、無性に訪問したくなるのである。

トンネルに向かって左側に車で乗り入れることが出来る参道がある。急な坂道だが大丈夫。

神社の境内に駐車スペースがある。2台ぐらいしかとめられないが。

建部神社の鳥居

トンネルが出来てから通ることが出来なくなった鳥居。

鳥居からは、このように桜島が見える。

これは、一見の価値ありである。

手水鉢

風流な手水だと思いつつ見ると、手水鉢は貝殻である。かなり大きな貝殻だ。本物らしい。

これも、一見の値打ちありである。

拝殿

綺麗な拝殿である。神紋は下り藤。ガラス面に桜島が写りこむ。ついでに自分も映り込む。

これまた、一見の価値ありである。

二拝二拍手一拝。

本殿

手水舎の左から山中へ入る坂道が伸びる。そこから本殿を見る。いい感じに反りが入った流造りである。

石段が見えた。奥宮などがあるのだろうか?ちょっと山中に入ってみようかと思ったそのとき、宮司さんがコチラをジーっと見ながら近づいてくる。

行くなと言っているように感じたのでやめた。やめたら宮司さんも境内に戻っていった。

後から調べると、どうやら裏山の奥で。。。やめておこう。

神社には、そのような邪的な気配は全くないので安心して頂きたい。

最期に

境内に戻ると、宮司さんがまだそこにいらっしゃった。宮司さんから声をかけていただいた。

宮:どちらからですか?
私:大阪です。
宮:大阪ですか~。実は先月、大阪に旅行したんですよ。
私:そうなんですか。大阪のどちらに?
宮:住吉大社です。島津家初代当主の誕生の地ですから。
私:私は、今しがた島津家の照国神社に参拝したところです!

思わぬところで、住吉大社の誕生石の話を聞けた。確実につながりを感じた。

↓ 島津家初代当主の誕生の地 の記事はコチラです。↓

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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