応神天皇陵|誉田御廟山古墳|世界遺産に登録された古市古墳群の中心的存在。
応神天皇陵は、大阪府羽曳野市誉田にある古墳である。
応神天皇陵とは一般的な呼び名。誉田御廟山古墳あるいは誉田山古墳などと称され、宮内庁では「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」という。
「応神天皇」の陵(みささぎ)として治定されてはいるが、実は被埋葬者は明らかになっていない。
応神天皇陵周辺には他にも多くの古墳が造営されており、「古市古墳群」と呼ばれている。
応神天皇陵について
応神天皇陵 概要
- 所在地 大阪府羽曳野市誉田6丁目11−3
- 電話番号 072-955-1115
- アクセス 近鉄南大阪線「土師ノ里駅」徒歩25分
- 駐車場 宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所
- 主祭神 応神天皇
MAP(駐車場の場所を表してます)
古市古墳群
令和元年7月 「百舌鳥・古市古墳群」として世界文化遺産に登録された、古墳の集積地帯。
古市古墳群には、現存する古墳が87基、そのうち国の史跡に指定されたものが20基。宅地開発などで破壊されてしまった古墳も含めると大小123基を数えるという大規模な古墳群だ。
主な古墳を上げると、、、
- 誉田御廟山古墳(15代応神天皇)・・・前方後円墳
- 仲津山古墳(仲津姫命=応神天皇皇后)・・・前方後円墳
- 岡ミサンザイ古墳(14代仲哀天皇)・・・前方後円墳
- 市ノ山古墳(19代允恭天皇)・・・前方後円墳
- 軽里大塚古墳(日本武尊)・・・前方後円墳
- 島泉丸山古墳(21代雄略天皇)・・・円墳
応神天皇陵の規模
応神天皇陵の大きさは、
- 長さが425m、
- 前方部の幅が300m、
- 後円の直径が250m、
- 前方部の高さが36m
- 後円部の高さが35m。
面積、体積とも、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)に次いで、国内で2番目に大きな古墳である。
応神天皇陵の不自然な形状
応神天皇陵は、仁徳天皇陵と比較すると、どうも形が歪なのだが、その理由は次の2点と考える。
くの字に曲がった濠堤
東の側面に「二ツ塚古墳」があるが、この古墳は応神天皇陵よりも30年~50年前の築造と推定されるらしい。
ということは、応神天皇陵は既にある古墳をわざと食い込ませるような形で築造したということになる。
となれば、二ノ塚古墳がここにあるからこそ、応神天皇陵はここに築造されたと考えるのが自然だろう。
では、二ノ塚古墳に埋葬された人物とは、、、
残念ながら不明である。応神天皇に極々近しい人物が埋葬されていたのだろうと想像する他ない。
西側の欠けや崩れ
西側が崩れているのは、応神天皇陵の真下のやや西側に「誉田断層」が走っているから。
かつての大地震で、前方部の西北角が欠け、後円部に掛けて西側面が崩れ落ち、濠が埋まってしまった様子が見える。
ついでに
仲津山古墳、古室山古墳、大鳥塚古墳、誉田丸山古墳、応神天皇陵、誉田八幡宮が、誉田断層に沿って綺麗に並んでいるのが面白い。
現地に行くと、この断層を境にして東と西には、かなりの高低差があることがよくわかる。
応神天皇
ここに埋葬されていると伝わるのが、15代応神天皇。一般的に、実在した可能性が高い天皇と言われている。
- 誉田別尊(ほむだわけのみこと)
- 誉田別命(ほんだわけのみこと)
- 大鞆和気命(おおともわけのみこと)
- 誉田天皇(ほむたのすめらみこと)
- 胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)
誉田(ほむた)は、弓具の鞆(とも)(=古語:ほむた)のこと。生まれたとき、腕に鞆を巻いたような盛り上がりがあったためという。
生まれたとき既に「鞆」をつけているということで、生まれながらの武神であるとされた。
また、誉田別尊などは「諱(いみな)」であるが、生前にも使われていた実名であるという。
胎中(はらのうち)は、神功皇后のお腹にいる頃から天皇になる宿命であったことから。住吉大神の子だからということか。
応神天皇と秦氏と八幡大神
応神天皇の御代、秦氏の祖先であると伝わる「弓月君(ゆづきのきみ)」の渡来を助けたとの伝承がある。
これによって、大量の渡来人が大陸の先進技術を携えて日本にやってきた。秦氏である。
応神天皇自身が新羅の出身であるとの説もあるが、そうでないにしても新羅・秦氏と応神天皇の関係は深いものがあったに違いない。
後世、秦氏が奉じる「八幡神」に応神天皇が習合したことは、大いに合点のいくところだ。
というわけで、全国の八幡宮に祀られる八幡神は応神天皇であるということになっている。
応神天皇陵 参拝記録
西名阪道の葛井寺インターを降り、左(東)へ曲がる。曲がるとすぐにある「沢田」の交差点を右へ。外環状線に入る。
そこから約800m進み「西古室」の交差点を左(東)へ。250mほど道なりに進むと応神天皇陵拝所の入り口が見える。
拝所入口には駐車スペースは無い。すぐ手前奥の「古市陵墓監区事務所」の敷地に駐車することが出来る。
玄関
宮内庁の管轄である。
手水
ちょっとわかりにくいが、手水盤がある。奥には井戸が。
手口を清めて、いざ。
参道
左手の森は、誉田丸山古墳。
参道を進むと、じわじわと応神天皇陵が迫ってくる。じわじわと、その大きさを認識させられるのである。
応神天皇陵 拝所
画像ではわかりにくいが、墳丘の森全体がものすごい勢いで迫ってくる。ビッグウェーブのように。
二拝二拍手一拝。天津祝詞。
比べても仕方ないのだが、仁徳天皇陵よりも大きく見える。墳丘の高さは同じぐらいのはずだが、樹木が勢いが旺盛なのだろうか。。。
エネルギーに満ち溢れたパワースポットである。
西側の外濠と外堤
この緑のラインが外濠跡で、黄色い道が外堤跡だと思われる。ここに立つと、さらにその大きさが実感できるのである。
後円部の先に、日本最古の八幡宮と言われる「誉田八幡宮」が鎮座する。合わせて参拝したい。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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