若江鏡神社|河内國謎の大三角形②|摂社:水神社のパワーが凄すぎる!

2016年2月28日

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若江鏡神社は、東大阪市若江南に鎮座する神社。

かつての古代大和川河口の中洲であっただろう場所に鎮座されている。

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若江鏡神社について

若江鏡神社 概要

  • 所在地   大阪府東大阪市若江南町2丁目3−9
  • 電話番号  06-6721-2340
  • 主祭神   大伊迦槌火明大神、仲哀天皇、神功皇后
  • 創建年   不明
  • 社格    式内社・旧郷社
  • ご利益   智力・健康・安産・金運
  • 公式HP   http://www.hct.zaq.ne.jp/wakae-kagami/

若江鏡神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 近鉄奈良線「若江岩田駅」より徒歩約15分

駐車場

  • あり(無料) 10台程度

若江鏡神社の創建

創建年代は不明だが、式内社であろうことから平安時代前期には存在していたであろう。

また、854年の文献に「授河内国大雷火明神従五位下」と従五位の神階を授かった旨の記述もある。

よって、7世紀前半以前の創建であろうことは間違いなかろう。

若江鏡神社の祭神

祭神は、大伊迦槌火明大神、仲哀天皇、神功皇后の三柱である。

大伊迦槌火明大神(おおいかづちほのあけのおおかみ)

あまり聞かない神名である。おそらくは当神社だけだと思う。

「大伊迦槌」は「大雷」で、「雷神」あるいは「すごく強大な様子」を表しており、そして「火明」は「火明命」をさすだろうことから、すなわち「荒々く強大な火明命」となる。

となると、先代旧事本紀でいうところの、「天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊」と同一神といえなくもなという。

仲哀天皇

第14代の天皇である。陵は古市古墳群に属する岡ミサンザイ古墳が比定されている。

九州に縁が深い天皇で、福岡の香椎宮で「神託」を疑ったため、住吉三神の逆鱗に触れて崩御なされたという、とても哀しい天皇である。

神功皇后

14代仲哀天皇の皇后で、15代応神天皇の母。住吉三神の守護のもと三韓征伐を成し遂げた勇敢な女傑。

身籠りながらの出兵だったため、懐に石を抱いてお産を遅らせ、帰還してすぐに出産した。よって安産の神として崇敬されている。

若江鏡神社のご利益

神社の発表によると

  • 大伊迦槌火明大神・・・安全・産業振興・智力
  • 仲哀天皇・・・安心・健康・生活安定
  • 神功皇后・・・安産

とのことだ。

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若江鏡神社 参拝記録

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鳥居の両側と向かい側に駐車場がある。そこに車をとめて。

一礼して神域に入る。いつものことだが、一歩入ると空気が変わるのがわかる。いつも思うのだが不思議だ。

鳥居から、まっすぐ正面に拝殿が見える。

拝殿に向かって内参道を進むと左手に手水舎があるのだが、その前の灯篭にさしかかったとき、冷気が左斜め前方から流れ込んでくるのがわかる。

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あれっと思い、少し戻ってからもう一度灯篭の前に。やっぱり、冷気が左斜め前方から流れてくる。

普通に風が吹いているなら、他の場所も左前方から吹いているはず。しかしそんな風は吹いていない。不思議だ。

左斜め前方に境内社が見える。少しく興味深い。

境内社3社

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右側にも、末社が並んでいる。熊野権現社(祭神:熊野権現)・鏡竜社(祭神:錦竜権現)・八雲歓喜天社(祭神:カヤの木に宿る巳さん)だ。

歓喜天といえば、生駒の宝山寺に歓喜天が守護神として祀られている。金運・福運の神様として関西の商売人の信仰を集める、現世利益を追求する寺院だ。

宝山寺といえば、門前町の花街も有名。若い頃はお世話になった。懐かしい。

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本殿の右に塚本稲荷社がある。この裏に、鏡塚があるらしいののだが気付かなかった。

鏡神社と呼ばれる前は、塚本大明神とよばれていたという伝承があるように、ここも重要な場所と推察する。

拝殿・本殿

拝殿前に立つ。拝殿と本殿の間に「雷神の手形石」というのがあって、雷さんの手形が付いた石が二つあるらしいのだが見えず。

本殿も見えない。少し離れた二棟の社の間にもう一社造ったような造形になっているらしい。真ん中の社は四方を壁で覆われているため中を見ることができないとのこと。よくわからん。

ここは、穏やかな気が本殿から流れ出てきているような感じがする。雷というような荒々しさはない。

水神社

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拝殿の左側に、天照皇大神社があり、さらにその横に、とひときわ小さな水神社がある。水神社は水分神(みくまりのかみ)をお祀りしていると思う。

ここが、燈篭のところで感じた風、パワーの源だと直感した。ここから強烈なパワーが噴出しているように感ずるのだ。祠の前にひざを折って祈るとガンガンくる。揺さぶられる。このとき、この地に一番最初に祀られた神様は、この水神社なんだと悟った気がした。

水の神、すなわち龍神。さらには饒速日尊へと、ここでもつながっていくように思うわけである。

古代の生活において、水は最も大切な資源。なくてはならない。しかし反面、氾濫すると全てを流してしまう怖さもある。この頃は、わずかに河内湖が残っていた時代だろうか。であれば、若江付近は河口に近かったと思われる。

大和川が大量の水と土砂を運んで流れ来る場所。当然、肥沃な大地をもたらすと同時に大氾濫も頻発していたはずだ。そんな恐ろしくも大切な水をコントロールするべく、水分神を祀ったと考えるのである。生きていくために。

最後に

このあたり周辺は、住宅密集地で神社にたどり着くのも大変だったのだが、鳥居から山に向かって真っすぐに伸びる参道だけがパカーンと開けていて、それが妙に印象的だったため、後で調べてみるに、、、

春分秋分の日には、この参道から見える山(生駒山ではなく、少し南にある山)の頂きから太陽が昇るらしい。

そして冬至には信貴山の方向から太陽が昇る。日読みの地ということだ。

ちなみに、奈良の八尾にある「鏡作坐天照御魂神社」も日読みの地で、天照国照彦火明命が主祭神だ。同じ、火明命だ。

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