社格 神宮とは
伊勢の神宮、石上神宮、出雲大社、春日大社、伏見稲荷大社、伊雑宮、北野天満宮、石清水八幡宮。。。。
普段から自然に耳に入ってくるこの、心地よいフレーズの数々。
「伊勢」とくれば「神宮」、「出雲」とくれば「大社」。。。
この「神宮」とか「大社」とか「宮」という呼称のことを「社号」と言います。
では、この社号を付けるのには何かルールがあるのでしょうか。
伏見稲荷大社が、「伏見稲荷は、生まれ変わりました!来月から『神宮』と呼んでくださ~い。ヨロシク!」というのはダメ?
というわけで、今回は、「神宮」という「社号」について、まとめてみました。
神宮ってのは、やっぱいエライんです
日本書紀の神宮
720年完成の「日本書紀」に書かれている神宮は、たったの3社しかないんです。それは、、、
出雲大神宮とは、一般的には現在の出雲大社のこととされていますが、京都の亀山に元出雲と言われている出雲大神宮の社伝によると、「島根の出雲大社は、亀岡の出雲大神宮からの分霊であって、名称も、杵築大社だったでしょ。」とのことで、日本書紀に出てくる出雲大神宮は当社である!と主張しています。
まあ、そんなことは置いといて、言いたいのは、神宮と称する神社は日本に3社しかなかったということです。
延喜式の神宮
時は移り、、、醍醐天皇の御代
927年完成の「延喜式、神名帳」でも、神宮はたったの3社しかないんです。
大神宮、香取神宮、鹿島神宮。
大神宮とは、伊勢神宮の内宮のこと。これは、うなずけます。
さて、香取神宮と鹿島神宮ですが、この両社は、時の権力を独占していた藤原氏の氏神を祀る神社ですね。
では、石上神宮と出雲大神宮は、どうなっちゃんたんでしょうか。
石上神宮は、石上坐布留御魂神社と表記されています。
石上神宮の祭神は、布都御魂大神(フツノミタマ)、布留御魂大神、布都斯御魂大神でしたよね。
香取神宮の主祭神が経津主神(フツヌシ)、鹿島神宮の主祭神が建御雷神、別命、建布津神(タケフツノカミ)。
石上神宮は、かつては朝廷の武器庫であり、奈良時代はじめには、物部氏(石上麻呂)の最後の拠り所でした。
藤原氏(中臣氏)によって、石上神宮(物部氏の象徴)は、香取神宮と鹿島神宮(藤原氏の象徴)に変更されたということでしょうか。
では、出雲大神宮は?
出雲大神宮は、島根の泉出雲であれば、杵築大社と表記されています。
亀岡の出雲であれば、出雲神社と表記されています。
ややこしくなるので、出雲の杵築大社としましょう。
日本書紀編纂のころは、まだまだ出雲はそれなりの勢力を持っていたんだと思います。
しかし、出雲国造の強制移転が行われ、熊野大社を本拠地としていた宮司家も、杵築大社(現出雲大社)に遷宮させられます。
その後100年あまりにわたり、大国主命の現人神とされた宮司が都へ上がり、朝廷・天皇への忠誠を誓う「神賀詞」を奏上する(奏上させられる)儀式が続きます。
これらの施策により、出雲国の独立性は徐々にに減退して、延喜式の作成時には、出雲への遠慮が不要となった。
だから、「大神宮」なる称号を外した。
というような、推測をしました。
近代の神宮
さらに、時は移り、、、明治天皇の御代
天皇、皇祖を祀る神社、あるいは、大和朝廷の設立と安定に貢献した神様を祀る神社を、「神宮」と改称していくことになるんですが、改称するには天皇の勅許が必要でした。
明治維新時点での、神宮を名乗る神社は、、、
国懸神宮と日前神宮は、どの時点で神宮になったんでしょうか。延喜式神名帳では神社号だったはず。。。
それはそれとして、この5神宮は、期せずしてかどうか、中央構造線上にありますね。興味深いです。
明治政府誕生から太平洋戦争終戦まで期間に、神宮に改称した神社は、、、
熱田神宮 | 御神体:三種の神器の一つの天叢雲剣(草薙剣) |
宇佐神宮 | 主祭神:応神天皇、神功皇后 |
霧島神宮 | 主祭神:天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊 |
鹿児島神宮 | 主祭神:天津日高彦穂々出見尊 |
鵜戸神宮 | 祭神:日子波瀲武鸕鶿葺不合尊 |
石上神宮 | 御神体:布都御魂 |
橿原神宮 | 祭神:神武天皇 |
気比神宮 | 主祭神:伊奢沙別命、副祭神:仲哀天皇 |
平安神宮 | 祭神:桓武天皇、孝明天皇 |
宮崎神宮 | 祭神:神武天皇 |
吉野神宮 | 祭神:後醍醐天皇 |
明治神宮 | 祭神:明治天皇 |
水無瀬神宮 | 祭神:後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇 |
白峯神宮 | 祭神:崇徳天皇、淳仁天皇 |
赤間神宮 | 祭神:安徳天皇 |
近江神宮 | 祭神:天智天皇 |
石上神宮の復活と、熱田神宮、吉野神宮が、神宮号に改称されていること。画期的だと思います。
・石上神宮は、物部氏の総氏神。
・熱田神宮は、物部氏の最有力氏族である尾張氏の氏神。
・吉野神社は、南朝の後醍醐天皇を祀る神社。
江戸時代までの政治の流れ、裏側で常に根底に潜んでいる、ある歴史的な何かが、大きく変わったことを表しているようで、興味深いです。ユダヤ、原始キリスト教・八咫烏などがキーワードかな?
ちなみに、
橿原神宮、平安神宮、明治神宮、近江神宮は、明治以降に新設された神社で、新設時から「神宮」を名乗っています。
橿原神宮なんて、なによ今更って感がなきにしもあらずですが。。。
いずれにしても、明治・大正・昭和天皇のお許しを得て「神宮」を名乗ることができたということです。
終戦後の神宮
終戦を迎え、GHQが占領軍として日本に乗り込み、各種の改革を断行しました。
最大の目的は、帝国主義・軍国主義の排除なわけで、その手段の一つが政教分離です。
これで、神社は国からの管理・保護を離れることになり、内務省神祇院の後継であるところの「神社本庁」の傘下に入って運営を継続するようになります。
神社本庁は、庁とつくので公的機関のように見えますが、伊勢の神宮を本宋とした宗教法人です。
さて、神宮の話に戻ります。
天皇の勅許は不要となった「神宮」への改称には、天皇の勅許が必要だったわけですが、現在でも神社本庁に属している神社については、神社本庁の特別な許可が必要なんです。
しかし、言い換えると、神社本庁に属していなければ改称は自由ということですね。
新日吉神宮(京都)、山辺神宮(島根)は、そのパターンです。
亀岡の出雲大神宮も単立の宗教法人です。
ちなみに、戦後、神社本庁に属している神社で神宮号に改称した神社は、、、3社のみ
伊弉諾神宮 | 祭神:伊弉諾尊、伊弉冉尊 |
北海道神宮 | 副祭神:明治天皇 |
英彦山神宮 | 祭神:正哉吾哉勝速日天忍穂耳尊 |
以上、伊勢の神宮から数えて、23社です。
神宮を名乗るからには、それだけの自信が必要。それなりの責任もある。おいそれと名乗れない。ということなんでしょうか。
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