建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)|三貴神(三貴子)
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)は、日本神話に登場する神。
神話では、子供っぽい側面、粗暴な側面、そして英雄としての側面など、多様な人格で描かれていて、実に人間臭く描かれている。子供から大人に成長していく過程を見るようだ。
建速須佐之男命は三貴神の一柱として生まれた天津神にあって、高天原からの「追放」という形ではあるものの「最初に地上世界に降り立った神」である。その系譜には日本建国の黎明期に活躍したであろう神々が名を連ねる。
建速須佐之男命について
建速須佐之男命の神名
- 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)≪≫古事記
- 須佐乃袁尊(すさのおのみこと)≪≫古事記
- 素戔男尊(すさのおのみこと)≪≫日本書紀
- 素戔嗚尊(すさのおのみこと)≪≫日本書紀
- 神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)≪≫出雲国風土紀
- 須佐能乎命(すさのおのみこと)≪≫出雲国風土紀
建速須佐之男命の本地仏
神仏習合の時代、建速須佐之男命の本地として定められた神は、、、
- 祇園神(ぎおんのかみ)≪≫ 牛頭天王と同一。
- 牛頭天王(ごずてんのう)≪≫ 建速須佐之男命の本地。
- 薬師如来(やくしにょらい)≪≫ 牛頭天王の本地。
祇園神・牛頭天王とは、仏教における祇園精舎を守護する神、薬師如来は東方浄瑠璃世界という浄土を主催する教祖である。
牛頭天王に須佐之男命が習合したのか、須佐之男命に牛頭天王が習合したのか、定説はないが、
いずれにしても、「須佐之男命」を祀る神社の多くは、感神院祇園社から全国に勧請された祇園社・牛頭天皇社であり、明治維新後の神仏分離までは「牛頭天王」「祇園神」を祀っていた。
もちろん習合などせずに、終始一貫して「須佐之男命」を祀り続けている神社があることは言うまでもない。
建速須佐之男命の神格
- 海原の神・・・伊邪那岐命から命じられた。古代文明は海洋民族とともに海を渡ってきた。
- 豊穣神・・・五十猛命とともに大八洲(日本列島)に植樹した功績か。
- 防災除疫の神・・・牛頭天王信仰 ⇒ 御霊信仰 ⇒ 疫病退散
- 歌人の神・・・日本で初めて和歌を詠んだため。
- 冥府の神・・・若き日の大国主命は「黄泉の国」にいる須佐之男命を訪問する。
- 荒ぶる神の祖・・・荒れ狂う国津神の祖という意味になる。
私見だが、荒ぶる神の祖については、荒ぶった結果の「スクラップ」だけでなく、その後の「ビルド」も含まれているような気がする。
「洪水によってすべてが流される。しかし洪水は、肥沃な土壌を供給する。」のイメージだ。
建速須佐之男命の神徳
- 水難除け
- 火難除け
- 病難除け
- 五穀豊穣
建速須佐之男命の系譜
古事記を参考に、建速須佐之男命の系譜を記載しておく。
高天原における系譜
- 父 ≫≫伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
- 母 ≫≫なし(とはいえ、伊邪那美命を母とする)
- 姉 ≫≫ 天照大神(あまてらすおおみかみ)
- 弟 ≫≫ 月読命(つくよみのみこと)
天照大神との誓約で生まれた子神(高天原時代)
- 子 ≫≫ 多紀理毘売命 ≫≫ 宗像三女神の一柱
- 子 ≫≫ 市寸島比売命 ≫≫ 宗像三女神の一柱。神仏習合において弁財天と習合。
- 子 ≫≫ 多岐都比売命 ≫≫ 宗像三女神の一柱
日本書紀で素戔嗚尊の子とされる神々(高天原時代)
- 子? ≫≫ 五十猛命(いたけるのみこと)≫≫ 母神の記述なし。イザナミ命の可能性あり?
- 子? ≫≫ 大屋都比賣命(おおやつひめのみこと)≫≫ 五十猛命の妹との記述のみ。
- 子? ≫≫ 都麻都比賣命(つまつひめのみこと)≫≫ 五十猛命の妹との記述のみ。
葦原中國での系譜
- 妻 ≫≫ 櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)
- 子 ≫≫ 八島士奴美命(やしまじぬみのみこと)≫≫ その子孫に大国主命。
- 妻 ≫≫ 神大市比売(かむおおいちひめ)≫≫ 大山祇神の娘神。
- 子 ≫≫大歳神(おおとしのかみ)≫≫ 饒速日尊と同一との説あり。
- 子 ≫≫宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)≫≫ 稲荷神。
建速須佐之男命が登場する神話
三貴神誕生(古事記)
黄泉の国からなんとか帰還した伊邪那岐命は、穢れから身を清めるために、「竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あはきはら)」で禊を行う。
その過程で、さまざまな祓いの神々が誕生。祓戸大神、住吉大神なども、この禊祓で誕生した。
最後に、伊邪那岐命が顔を洗うのだが、まず左目から「天照大神」が誕生、右目から月読命が誕生、最後の最後、鼻を漱いだときに誕生したのが、われらが建速須佐之男命なのである。
そして伊邪那岐命は、この貴い三柱の子神に、それぞれ役割を与えた。
- 天照大御神に「御倉板挙之神」という首飾りの玉の緒を渡して高天原を委任した。
- 月読命には夜の食国を委任した。
- 建速須佐之男命には海原を委任した。
アマテラスとスサノオの誓約(古事記)
建速須佐之男命は海原の統治を任命されたが拒否。母がいる根之堅洲国に行きたいと泣きじゃくる。
大男が手足をバタバタさせて大声で泣きじゃくったため、天地に甚大な被害を与えた。
これに怒った伊邪那岐命は「すきにせよ!」と、建速須佐之男命を追放。
建速須佐之男命は根之堅洲国に行く前に、姉である天照大神に挨拶をしようと、高天原に向かう。
天に昇ってくる弟を見た天照大神は、「攻めてきたのでは?」と思い、武装して待ち受ける。
それを見た建速須佐之男命は、姉の誤解を解くために誓約(占い)を提案。
まず、姉が身に着けていた玉を、弟が噛み砕き、吹き出した息の霧から男神が誕生した。合計、五個の玉から五柱の男神が誕生する。
この五柱の男神は、姉の持ち物から生まれたので姉の子とした。
次に、弟の十拳剣を三つに割り、それを姉が噛み砕き、吹き出した息の霧から女神が誕生した。分割されて三つになった剣から、三柱の女神が誕生したのである。(宗像三女神)
この三女神は、弟の持ち物から生まれたので弟の子とした。
誓約(占い)の結果、建速須佐之男命は「自分の心が潔白だから私の子は優しい女神だった」とし、天照大神も同意した。
この誓約を結婚と解釈する説もある。
天照大御神は、建速須佐之男命が出雲から九州へ進出した際の、九州における妻ではなかったかという説だ。
誓約によって潔白が証明された建速須佐之男命は、高天原に居座り、なぜか悪行の限りを尽くし、岩戸隠れ神話へとつながるのだが、岩戸隠れについては「天照大神」の記事を参照願いたい。
八俣遠呂智(八岐大蛇)
岩戸隠れの後、高天原を追放された建速須佐之男命は、五十猛命とともに新羅に向かったとされる。しかし、そこでも歓迎されなかったため、ふたたび出雲の鳥髪山に降り立った。
そのあとの話。。。
鳥髪山を流れる川に箸が流れてきたので、上流に向かうと、美しい娘と両親がいて泣いていた。話を聞くと、、、
ここいらには、高志(福井県あたりか)という場所からから八俣遠呂智という、8つの頭と8つの尾をもつ大蛇があらわれる。
毎年この季節に現れては、娘を一人ずつ食べてしまう。8人いた娘も、とうとう最後の1人になってしまい、この娘もそろそろ、、、
この美しい娘の名は「櫛名田比賣」。その両親は「足名椎命と手名椎命」といい両者とも「大山津見神」の子である。
建速須佐之男命は、櫛名田比賣との結婚を条件に、八俣遠呂智退治を請け負った。
まずは、櫛名田比賣を櫛に変えて自分の髪に挿した。
次に、両親に強い酒を8樽用意させた。そして8つの門を作って、そこに酒樽を置く。
やってきた八俣遠呂智は、案の定、その酒樽に頭を突っ込んで酒を飲み始めた。
酔っぱらって寝てしまったところを、十拳剣でもって切り刻んで退治。
ひとつの尾を切った時、何かに当たって十拳剣が欠けた。その当たったものというのが「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」である。
のちに天照大神に献上して三種の神器のひとつとなる霊剣である。
櫛から元に戻った櫛名田比賣と暮らす場所を探して、母の故地である出雲の「根之国堅洲国」の須賀の地にたどり着き、
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」と詠んだ。
八俣遠呂智の退治とはいったい何を象徴しているのか?について
① 川の氾濫を治めた、いわゆる日本初の「治水工事」を描いたのではないかという説。
オロチは水を司る龍の化身。櫛名田比賣は田の象徴として描かれているという解釈である。
② 製鉄に優れた技術=鋼鉄(はがね)をもった氏族との戦いを描いたものではないかという説。
十拳剣が欠けたという記述は、鉄よりも堅い金属の出現を意味するという解釈である。
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