赤坂神社|無人小規模神社のあるべき姿ではなかろうか。氏子さんの神社愛を感じる癒しの空間であった。
大阪市平野区長吉六反、住宅地の一角に鎮座する神社である。
この地は、もと丹北郡土師鄕赤坂村と呼ばれたらしい。
しかし、元弘元年(1331年)、勤王「楠木正成」が金剛山麓の「赤坂城」を拠点にして鎌倉幕府に対して反旗をあげた。
同名の「赤坂村」の名では間違えられて幕府軍から攻撃される恐れがあるとして、赤の字から縦の線を、坂の字から土を取り「六反」になったと伝わる。
そのころ隣接に渋川郡の六反村があったため、渋川六反、丹北六反と区別して呼んでいた。
天井川である平野川沿いに位置した渋川六反村は、洪水の被害を受けることが多く、住民は次第に丹北六反に移住し、渋川六反は無人村となってしまったらしい。
よって明治20年に、渋川六反は丹北六反に吸収されたという。これが現在の平野区長原六反である。
赤坂神社について
赤坂神社 概要
- 所在地 大阪府大阪市平野区長吉六反1丁目14−24
- 電話番号 06-6708-9107
- 主祭神 素戔嗚尊・菅原道真公
- 創建年 不明
- 社格
- 公式HP
赤坂神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 地下鉄谷町線「長原駅」徒歩17分
駐車場
- なし
赤坂神社の祭神
素戔嗚尊・菅原道真公を祀っている。
素戔嗚尊
伊邪那岐命の禊祓で、最後に鼻を洗ったときに生まれた神。同時に左目から天照大神、右目から月読命が生まれたことから、この三柱の神を総称して「三貴神」と呼ばれる。
八坂神社の主祭神。平安時代の本地垂迹思想・神仏習合の中で、祇園精舎の守護神「牛頭天王」と習合した。疫病除けの霊力を持つとされ、全国各地の神社に牛頭天王が祀られるようになる。
古地図・絵図などを見ると「牛頭天王社」の記載をよく見かけるだろう。
五穀豊穣の「稲荷社」と「病気除け・厄除け」の牛頭天王社。庶民の心の拠り所だったと想像する。
明治維新前後から本格的に始まった神仏分離政策によって、牛頭天王を祭神とした神社は、一斉に素戔嗚尊に神名を変更していった。
菅原道真公
平安時代の貴族で政治家。実力で右大臣まで昇りつめた大秀才であり、それが学問の神様といわれる所以。しかし、ライバルの讒言によって福岡の大宰府に左遷。ほどなく死去した悲運の人である。
死の前にして拝天山に登り、自らの潔白を宣言した祭文を読み上げると、「天満大自在天神」と尊号が書かれた祭文が下りてきたという。この時点で神となったのだろう。
その怨念は凄まじく「祟り神」となった。「日本三大怨霊」の一人とされているほどである。(他、崇徳天皇・平将門公)
後に、怨霊を鎮めるために北野天満宮が創建され、現在ではすっかり「学問の神様」として昇華されたとされる。
赤坂神社の創建
創建は不明である。もともとは、素戔嗚尊の一柱を祀る神社であったらしい。
おそらくは牛頭天王社であったのだろうと想像する。
明治5年、一村一社政策を受けて、近隣三社すなわち素戔嗚尊神社・天満社・御神社を合祀。祭神が2座となる。道真公は天満社からの合祀であろう。
ということは、御神社も祭神は素戔嗚尊だったということか。
社名をかつての地名であった「赤坂神社」に改名したとされる。
赤坂神社 参拝記録
中央環状線と長居公園通りが交わる交差点。「スシロー」が目印。これを東に入る。
かつては、長居公園通りは中央環状線が終点。T字路になっていた。中央環状線から長居公園通りに入る車で朝夕は大渋滞であった。
長居公園通りが中央環状線を突き抜けたのはいつの頃か、覚えていないのだが、太子堂から長居公園や湯里方面に行く機会が増えたので、最近よく利用するのである。
走っていると、通りに面して、わりかし「綺麗目な神社」がある。ここいらの神社にしては珍しく綺麗目なのだ。ずっと気になっていたが立ち寄る機会がなかった。
というわけで今回の参拝である。私は自転車での参拝である。
駐車場は無い。路駐でも構わないだろう。また近所にコンビニやシャトレーゼがあるので、少し止めさせてもらったいいのではないだろうか。弁当の一つ、シュークリームの一つでも買っていけば文句は言わないと思うのだが。。。保障はしない。
綺麗目に見えるのは、玉垣が新しいからか?鳥居はそこそこ年代を感じる。
少しばかり、水にホコリが浮いている。
そんなことよりも、特徴的なのは「瓦」。
隅棟止瓦の飾りであるが、これは何を表しているのだろう。
火災よけらしい。
拝殿
神社幕が新しい。これも綺麗目に見える要因?「五葉の木瓜紋」が鮮やかに染め抜かれている。
二礼二拍手一礼。
本殿
これは、どういうことか。本殿を厳重にガードしている。板塀に有刺鉄線まで。
鳥獣除けには見えない。人除けのようだ。いったい、どんな輩が本殿に忍び込むというのだろう。
実に興味深い。
遥拝所
こちらの遥拝所で注目するは、狛犬である。拝殿前の狛犬よりも明らかに年代物である。
合祀した神社のものだろうか。よくわからない。したがって興味深い。
そして、遥拝所の後ろ側に、、、
切り株
これは、結構な樹齢の大木であったと見受けられる。境内で最も古い神木と思われる。
寿命だったのか。。。わからないことが多くて、興味深い。
最後に
赤坂神社に、宮司さんはいない。志紀長吉神社の管轄下にある。
しかし、氏子さんたちが自発的に率先して神社の活性化を図っているそうだ。それは地域の活性化・地域住民の結束につながるからだ。
だからこそ、綺麗に清掃されているのだ。
そうか。綺麗目に見える最大の要因はこれだ。地域住民が常に気にかけている神社だということなのだ。
それが神社の端々から感じられ、自然に「癒し」と「元気」が心と体に染み込んでくる、そんな神社であった。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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