大依羅(おおよさみ)神社|名神大社|水の気配があふれる浄化のパワースポット。

2018年7月14日

大依羅神社は、大阪市住吉区庭井に鎮座する、延喜式神名帳に「並名神大社」と記載される霊験あらたかな神社である。

さらには「八十嶋祭」で幣帛を受ける数少ない神社の一つでもあり、住吉大社に次ぐ摂津国の大社と言えよう。

神社の表参道に「依網池跡」という石碑がある。崇神天皇の御代、ここに大きな溜池が造営されたらしい。(「依網」=「依羅」)

そぐそばに大和川が流れているのに?水が必要?と思われるかもしれないが、大和川は江戸時代に掘削された人工の川であるため、創建当時には存在しなかった。

さらに仁徳天皇の御代には、依網屯倉(よさみ みやけ)が設置された。これは、この地域を王権直轄地としたということ。

国家にとって、よほど重要な地域だったのであろう。

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大依羅神社について

大依羅神社 概要

  • 所在地   大阪市住吉区庭井2丁目18−16
  • 電話番号  06-6691-3315
  • 主祭神      建豊波豆羅和氣王、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命
  • 社格   名神大社、府社
  • 公式HP   なし

大依羅神社 アクセス

  • 地下鉄「我孫子南」の交差点からスタート
  • 東へ進む。約400メートル先の4つ目の信号を大きく斜めに右折。
  • 目印は、右側に「肉の岡山直売所」左側に「よさみ神社前バス停」がある交差点。
  • 曲がったら直進。阪南高校が見えてくる。
  • 阪南高校を左へ。高校沿いを進むと、北門が見える。

大依羅神社 MAP

大依羅神社の創建

創建年代は不詳である。

文献での初見は、「新抄格勅符抄」大同元年(806年)牒。

天平神護元年(765年)に「大依羅神」に対して、摂津国から8戸、備前国から10戸の計18戸が神戸として充てられていた。

との記述がある。

よって、奈良時代には確実に存在していたことになる。

記紀での記述

記紀には、依羅(依網)の地名や人名が記載されているが、神社に関する記述はない。

  • 崇神天皇が、依網池を造った。(古事記・日本書記)
  • 神功皇后が、依網吾彦男垂見(よさみのあびこおたるみ)を筒之男三神を祀る神主とした。(日本書紀)
  • 依網屯倉の阿弭古(あびこ)が、仁徳天皇に鷹を献上した。(日本書紀)
  • 推古天皇が、依網池を造った。各国に屯倉を設置した。(日本書紀)

「池を造るということは、神を造ることに等しい」と聞いたことがある。よって依網池に水の神あるいは田の神が祀られた可能性は十分にある。それが崇神天皇であるかどうかは別にして。

とはいえ、崇神天皇の御代であるとするなら、創建は紀元前90年~30年頃となろうか。

依網屯倉が設置されていたことが伺える神功皇后の御代の創建であれば、西暦200年代か。

依網屯倉が確実に存在していたであろう仁徳天皇の御代であれば、西暦300年代かも。

いずれにしても、西暦300年頃までに創建されたと思われる。依網氏の氏神が屯倉の守護神として祀られたのだろう。

依羅氏の勢力拡大とともに発展し、祈雨の大神として名神大社に指定されるに至ったと考えるのが自然だと思う。

想像の域を出ないが。

大依羅神社の祭神

延喜式神名帳には「摂津国住吉郡 大依羅神社 4座」とある。その4座をめぐっては、2つの説があり、なんとその2の説の両方が祀られている。

  1. 大己貴命、月読命、垂仁天皇、五十猛命を4座する。
  2. 建豊波豆羅和氣王、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命を4座とする。

1の説は、摂津名所絵図の解説によるものだが、しっくりくるものではない。由来も不詳とのこと。

2の説については、「建豊波豆羅和氣王」は依羅氏の祖であり、依羅氏は筒之男三神を祀る神主であったことから、至極自然な祭神と言えよう。

しかし、どちらかに決めることなく、これらの8柱を合わせて祀っているところに、懐の深さを感じるのである。

さらに、明治40年に近隣の神社を合祀した関係で、次の8座も合わせ祀っている。

  • 草津大歳大神・・・式内社「草津大歳神社」より
  • 奴能太比売大神・・・式内社「奴能太比売神社」より
  • 建速須佐男大神・・・「我孫子神社」より
  • 奇稲田媛大神・・・「八阪神社」より
  • 八柱御子大神・・・「八阪神社」より
  • 素盞嗚尊 ・・・「八阪神社」より
  • 素盞嗚尊 ・・・「山之内神社」より
  • 大山咋大神・・・「大山咋神社」より

さずがは名神大社。式内社を合祀するとは。。。

大依羅神社のご利益

当然ながら、そもそも祈雨の神である。そこにもってきて、大歳大神や奴能太比売、そして大山咋神が合祀されているとなれば、五穀豊穣と農業の順調を強力に守護していただけると確信するのである。

あと、一般的なご利益で申し訳ないが、筒之男三神(住吉大神)によって航海安全と戦勝守護がもたらされる。

さらには、素戔嗚尊が3社から合祀され、その妻神と御子神が勢揃いしているとなれば、厄除け・厄払い・病気退散のご利益が頂けるのである。

そしてこの土地。依網池に加えて、後述するが龍神井そして庭井の井と、水にまつわるパワーが豊富な場所であるからして、濃密な浄化のパワーが存在するのである。

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大依羅神社 参拝記録

大依羅神社は、長居公園の真南、直線距離にして1.5kmの場所に鎮座。最寄りの駅は地下鉄「我孫子駅」だ。

車でお越しの場合は、阪南高校の北面に沿って東に入っていくと、右手に北門が見える。

これが北門。かつての裏門であるが、現在はこちらが正門らしい。

この北門の左手の細い道に入り、すぐ境内に入る。駐車スペースがあるが、2台ぐらいしか止められないだろう。

まずは境内を突っ切って、かつての正門である南門から参道に出よう。

阪南高校の校庭沿いに参道を歩き、境外に出ると、そこに依網池跡の石碑が立っている。

依網池跡

ここから向こうは池だった。阪南高校もかつての池の上に建っている。

大きさは、30~60ヘクタールと推定されている。ちなみに、USJが50ヘクタール、長居公園が65ヘクタール。

しかし、この池は単なる大きな人工池では済まされない。天皇の命令によって作られた日本最古級の池なのである。国宝級の歴史的造作物なのである。

ところがなんたることか!その池のど真ん中に大和川を通したのだ!

この時、川の両側は埋め立てられ農地となり池の3分の2が消滅したという。

その後、残った池も次第に埋め立てられ、今はこの石碑を残すのみ。人々の記憶からも消え失せようとしている。。。寂しいことである。

石碑の前で感傷にふけるのである。

そして振り返ると、大依羅神社の南参道がお待ちかねだ。こちらがかつての表参道であった。そのころの風格は今も健在だ。

およそ100mの参道を歩くと、南門が口を開いていた。

南門

北門より重厚な門構えだと思わない?

神橋を渡り、南門をくぐる。そして、手水を使い、神前へ進もう。

拝殿

コンクリート造りの拝殿である。

1657年造営の旧社殿は昭和44年に火災によって焼失し、昭和46年にコンクリート造りで再建されたらしい。

もともとは依網池を向いて南向き建てられていた本殿は、このとき東向きに建て替えられたという。

依網池が大和川に変わってしまった今、南を向いて鎮座するなど、けたくそ悪いということだろうか。

二拝二拍手一拝。

拝し終わってふっと見上げると、、、

ハチの巣

釣り灯篭に小振りではあるがハチの巣がくっついていた。穴からは微妙にハチのお尻が見えるではないか!

お蔭様でハチに刺されることはなかったが、やぶ蚊に刺された。。。5か所。。。

本殿

見えにくい。旧社殿は流造で唐破風がついていたとのことだが、新社殿は、、、見えない。

さて、本殿に向かって左側にある境内社を紹介しよう。

神楽殿

神楽殿には天鈿売命(あめのうずめのみこと)を祀っている。

天鈿売命は、「天岩戸神話」で天照大神の気をひくために、天岩戸の前で半裸体で踊った女神として描かれている。

神楽殿に祀るにふさわしい。

境内社

龍神社

龍大神を祀っている。

かつてここに龍神井という雨乞井があったらしい。

依網池に棲んでいた龍蛇神が助けてもらった見返りとして井戸に入り、その井戸の水をくみ上げて神前に供え祈雨の奉斎を施すと、必ず雨が降る

という伝承がある。

次に本殿に向かって右側の境内社を紹介しよう。

道祖神社

八衢比古神・八衢比売神・久那斗神を祀っている。いずれも「道祖神」の原型とされる。

八衢比古神・八衢比売神(やちまたひこ・ひめ)

集落や道の入り口に立ち邪神・悪霊の侵入を防ぐ神。伊邪那岐命の禊祓で褌から化成した道俣神と同神とも。

久那斗神(くなど)

外からの外敵や悪霊の侵入を防ぐ神。「くな」は「来るな」。「ど」は「所」。よって「来てはいけない所」という意味と解釈される。

稲荷社

道祖神社の奥に「稲荷社」がある。倉稲魂神を祀っている。狐さんが居ないので、稲荷社には見えない。

旧神楽殿

息長帯姫命(神功皇后)を祀っている。

前述の通り、依網吾彦男垂見を筒之男三神の祭りの神主に指定した皇后である。大依羅神社の生みの親ともいうべきか。

安産の神として祀られることが多い。

庭井の跡

庭井の泉は、水量が豊かで水質もいい清水であったようだ。神社の庭の泉ということで「齋庭井の清水」と呼ばれ、いつしか「庭井」がこのあたりの地名になったという。

枯渇してからも井戸跡はあったのだが、前述の建て替え時にその井戸跡も埋められたようだ。

なぜ埋める!

次に本殿のはす向かいにある末社群を紹介しよう。

天神社と白龍社と神明社

一番左の小さい祠が天神社。菅原道真公を祀っている。

一番右の大きいのが神明社。天照大神と豊受大神を祀っている。

その間に挟まれた石が白龍社。白龍大神を、祀っている。(灯篭に隠れてしまった)

▼眩しい!神明社

藤原定家の歌碑

天神社の前を塞ぐように建てられた歌碑。

「君が代は 依網の杜の とことはに 松と杉とや 千歳栄えむ」とある。

そして、この歌碑の裏側には、、、

「祈安産」と刻まれていた。

誰かが安産祈願のために、この歌碑を寄進したということなのだろうか。

安産・子宝のご利益があると言いたい。

最期に

早朝6時の参拝であったが、境内には4名ほどの近隣の方々がおられて、竹ぼうきで綺麗に清掃していらっしゃった。

神社も寺院も、掃除に始まり掃除に終わるという。

清浄であること。それが奉斎の基本であり、決して疎かにしてはいけない最重要項目なのだ。

野球で言えばキャッチボール。

現在を生きる我々も実は同じ。身の回りが不浄であると、いい気が流れ込まない。淀むのである。それが知らず知らずのうちに心身を蝕んでいくのだ。

さあ、今日は大掃除をしよう!

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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