波牟許曽神社|復活した式内社は、古代大和川の岸辺に鎮まる「蛇の社」だという。
波牟許曽神社は、東大阪市長瀬1丁目に鎮座する。旧大和川(長瀬川)沿いにあり、弥刀神社の対岸の位置となろうか。
延喜式神名帳に記載のある古社で、河内国渋川郡式内六座のうちの1座だ。
波牟許曽神社について
波牟許曽神社 概要
- 所在地 大阪府東大阪市長瀬町1-10-9
- 電話番号 06-6722-0591
- 主祭神 天照皇大神、伊弉那岐大神・伊弉那美大神
- 創建年 不詳
- 社格 式内社
- 公式HP なし
波牟許曽神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 近鉄大阪線 「長瀬駅」 徒歩2分程度
駐車場
- なし
波牟許曽神社 祭神
現在の祭神は、天照皇大神、伊弉那岐大神・伊弉那美大神とされているが、本来の祭神には諸説あり。後述する。
波牟許曽神社 創建
創建年代は不詳である。延喜式神名帳に「河内国渋川郡 波牟許曽神社」と記載される式内社であるからして、平安初頭には存在したということだ。
明治の一村一社制の導入を受けて、長瀬神社に合祀された。ちなみに合祀時点の祭神は「伊弉那岐大神」「伊弉那美大神」の2座であったようだ。
その後、歴史ある式内社であることから、氏子たちの働きかけによって再び旧鎮座地に遷宮。現在に至る。
波牟許曽神社 社名の由来
波牟許曽と書いて「はむこそ」と読む。「はむ」は蛇。「こそ」は社。従って「蛇の社」。
かたや、この地の旧村名は「蛇草」と書いて、「はみくさ」「はむくさ」と呼ばれていた。
さて、社名と地名、どっちが先だったのだろう。
現在の祭神を見ると蛇と関わりある神ではなさそうなので、社名に蛇をつける必要性は感じられない。よって、地名が先ということになるが、、、
かといって、地名が蛇だからといって社名に蛇を使うだろうか?元の祭神に蛇につながる祭神はなかったのか?と考えてみるのが人の性というものだ。
波牟許曽神社 現祭神以前の祭神
諸説ある。
埴安神・波牟埴安姫(はむはやすのひめ)
イザナミ命の大便から生まれた「粘土の神」「土の神」。
彦己蘇保理命(ひここそほり)?
凡河内国造の祖神。「許曽」は己蘇保理の略、「波牟」は彦己蘇保理命がこの地を食べた(噛んだ:領有した)の意ではないかというが。。。
長背連の祖神?
長瀬の地は、高句麗から渡来した長背王の子孫「長背連」が棲みついた地域と言われている。よって、長背連の祖神が祀られていた可能性もあるという。
物部氏の祖神?
神社由緒の案内板によると、、、
「この地は物部の氏人の村であり、蛇草という地名の起源はこの宮の名から起こったと伝わる。」
「物部の村であり」と「蛇草という地名の起源・・・」の部分は、説明が飛んでしまっているように感じる。つながらない。
「物部の村だから、当然蛇を祀っていた。だからこの村の名は蛇草となった。」とも読みとれる。
物部の祀る蛇神といえば、饒速日尊、あるいは大物主命あたりに落ち着くのだが。。。
由緒の最後に、
また一説には、蛇を祀れるものかとも伝えられる。
なかなか、すっきりとした答えは出ないようだ。。。
波牟許曽神社 参拝記録
近鉄大阪線の長瀬駅を降りる。改札を出て線路沿いの道を北へ少しばかり歩くと「東大阪生協病院」が見える。その裏手に「波牟許曽神社」が鎮座する。
一の鳥居
素朴な木製の「神明鳥居」である。祭神を天照皇大神とする神社らしい。
鳥居をくぐる。境内は奥に長細いが想像していたよりも広いと感ずる。
伊勢神宮遥拝所
鳥居のすぐわきに、神宮遥拝所があった。
二の鳥居は、一転、石製の「明神鳥居」だ。
二の鳥居をくぐると、正面に拝殿・本殿がある。
拝殿
本殿
高床式倉庫風の覆屋がある。本殿はこの中に鎮まっているようだ。
境内社
猿田彦社・天鈿女社
本殿の左手に「猿田彦社」と「天鈿女社」が並んでいる。
猿田彦命は、天孫降臨神話に登場する国津神で「導きの神」。
天鈿女命は、岩戸隠れや天孫降臨神話に登場する天津神で「芸能の神」。
両神は夫婦神となったとされている。
素戔嗚命社
拝殿の右横に「素戔嗚命社」がある。
素戔嗚尊は、天照大神の弟であるから天津神で、それも結構な地位のはずだが、追放され出雲の神の親玉となった。八岐大蛇退治で有名な勇猛な神である。
天照大神との誓約(うけい)によって5男3女が生まれる。これを婚姻(政略結構)と見る向きもある。
現在の素戔嗚尊を祀る神社の多くは、江戸時代には疫病除けの神として流行した「牛頭天王」を祀った「牛頭天王社」であったが、こちらがどうだったかは知らない。
二の鳥居から拝殿までの内参道の右側に小祠がいくつか並んでいる。
奥から順番にご紹介しよう。
松龍大神社
素戔嗚社の前にある祠が「松龍大神」
榎龍神
その次に「榎龍神」。
旧:阪合村(現:明日香村)にも「榎龍神」がある。そして、長瀬川上流域には八尾市小阪合村がある。何か関係があるのだろうか。ないだろう。
子守勝手大神
奈良の吉野からの勧請であろうか。
吉野山には、山頂に金峯山寺、山腹に吉野水分神社、山麓に勝手神社があり、
それぞれ、「蔵王権現」、「子守権現」、「勝手権現」とし三所権現と呼ばれた。
子守権現(女神)と勝手権現(男神)は、夫婦神とされる。この神社には2組の夫婦神が祀られているのだ。
ご利益は、子宝と勝運。
白光大明神
白光大明神。
白光というと、八尾の竹渕神社の「水神白光竜王大神」、松原の「白光竜王大神」、藤井寺の「白光竜王大神」そして玉造の「白光大神」。
いずれも「水」「龍神」に関係するようだ。
御神水
この覆屋の中に井戸が祀られている。
やはり、ここにも「水」
おもかる石
御神水の前に「おもかる石」が置かれてある。
願いを心の中で唱える。そして石を持ち上げる。予想よりも軽く感じたら願いは叶う。
白龍大神
白龍は、全身の鱗が白い龍で、他の龍よりも空を飛ぶスピードが速いという。ときおり魚に化けて、地上の泉などで泳いでいるらしいから、我々も見たことがあるやもしれない。。。
このように、龍神を祀る祠が多いようだ。
これらの末社の創建年代や由来は不詳である。
天龍不動明王
境内の西の端に「天龍不動尊」が祀られていた。やはり「龍」である。
真言:のうまくさんまんだ ばざら だん せんだん まかろしやだ そわたや うんたらた かんまん
以上で参拝レポートを終わらせていただくが、なんとも得体の知れない神社であった。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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