坐摩神社行宮|厄除け・病気平癒のご利益あり?坐摩神社の元鎮座地は大阪一の聖地かもしれない。

2017年1月21日

坐摩神社(いかすりじんじゃ)行宮(あんぐう)は、大阪市中央区石町2丁目に鎮座する。現在は坐摩神社の境外末社となっているが、もともとはこの地が坐摩神社の鎮座地であったという。

この地は、かつては「上町台地の北端の西の角」となる、まさに「岬」であったと思われる。今もこの周辺を散策すると、西方向や北方向に向かって下り坂となっており、西に海が、北には淀川の河口があった当時の様子を容易に想像できる。

この上町台地の北端地域(今は大阪城がある場所の周辺エリア)は、太古の昔からパワースポットとされていたであろう。というのも、この地に難波宮が造営され、生國魂神社、磐船神社、坐摩神社、玉造稲荷神社などの聖域が存在した。これらの多くは大阪城築城のために南へ遷座されることになったのだが。。。

また、飛鳥時代には物部守屋の邸宅もあったという。元四天王寺(神社)も、この上町台地の北端地域に存在したといわれている。

まさに、聖域でありパワースポットなのである。

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坐摩神社行宮について

坐磨神社 行宮 概要

  • 所在地   〒540-0033 大阪府大阪市中央区石町2丁目2−15
  • 電話番号  300年前後か
  • 主祭神      豐磐間戸神、奇磐間戸神
  • 創建年      不詳
  • 社格   
  • 公式HP   

坐磨神社 行宮 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 京阪本線「天満橋駅」徒歩6分

駐車場

  • あり

行宮の創建

行宮の創建は、すなわち坐摩神社の創建である。

西暦210年頃か330年頃のこと。神功皇后が三韓征伐から帰還したとき、神武東征に倣ってまずは浪速の大江岸に上陸。それが、大川沿いの渡辺の地である。

そして、そこにあった石の上で休息をとり、その場所に宮中八神殿に祀られていた坐摩神を祀ったとされる。

坐摩神については、坐摩神社の記事をご参照いただきたい。

行宮の祭神

現在、この行宮に坐摩神は祀らていていない。なぜならば、現鎮座地の久太郎町に遷座されたからだ。

現在の祭神は、豊磐間戸神(とよいわまど)、奇磐間戸神(くしいわまど)の二柱の神である

豊磐間戸神、奇磐間戸神

この2柱の神は、天太玉命の御子とされている。天太玉命とは、岩戸隠れの時に勾玉や鏡を祭壇に飾り付けた神である。

そして、御子の豊磐間戸神と奇磐間戸神は、天照大御神が隠れた岩の戸を神格化した神であるともいわれ、御門の神として、もっぱら神社の参道や神門の両サイドに祀られることが多い。

寺院でいうところの仁王像の位置づけである。

さて、この行宮で「御門の神」として守るべきは何なのであろうか。神功皇后?、天照大御神?坐摩神?

行宮のご利益

門の神が祀られているのである。門の神は外敵から守ってくれる。外敵とは?

厄病や邪霊である。よって、厄除け、病気平癒のご利益があると考えられる。

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坐摩神社|行宮 参拝記録

以前に坐摩神社参拝の折に、行宮の存在を知った。早く行宮に参拝したいと思いながら半年以上が経過していた。今回、ひょんなことからそのチャンスを得たので、意気揚々と参拝するのである。

京阪本線もしくは地下鉄谷町線の天満橋を下車し西へ徒歩で5分程度。大阪府労働会館「エルおおさか」の手前角を南へ曲がるとすぐに鳥居が見える。

車でお越しの方、こんな大阪のビジネス街のど真ん中にある、小さな小さな境内に駐車場など無い。と思いきや、境内の南側面に2~3台の駐車場があるのだ。しかも無料。ありがたい。

近くのOLさん達が通りを行き交う。そんな中、スーツ姿のサラリーマンが鳥居を撮影しているわけで、結構、恥ずかしいのである。

手早く撮影して、中に入ろう。

鳥居をくぐると、静寂な世界が広がる。ほんの2mほど中に入るだけで、なぜこんなに静かなんだろう。

これ、都心の神社に参拝すると必ず感じるのである。

神のなせる業か。それとも周りをビルに囲まれて騒音がシャットアウトされるからなのか。。。

小さな手水舎だが風情がある。日本庭園か茶室のイメージである。

ここからまっすぐに参道が伸びる。

拝殿

これを割り拝殿と呼ぶのかどうかわからない。冷気が漂う空間である。

本殿

正面奥に本殿がある。私はてっきり「磐座」が横たわっているものだと思っていたので意外であった。

二礼二拍手一礼。柏手の音が思ったほど響かなかった。。。

鎮座石

本殿前に神功皇后が休憩のために腰かけた「鎮座石」がある。アルミ製の保護柵が設けられており、中の石はほとんど見えない。隙間から撮影出来なくもないが、そこまでするのは失礼だと思い遠慮した。

窪津王子跡

ここには、熊野詣の第一王子であるところの「窪津王子(渡辺王子)」があったと言われている。

熊野信仰が盛んな平安時代、熊野詣の人々は、平安京の南の鎮守である城南宮で旅の安全を祈願し、船に乗って淀川を下り、まずここ渡辺津で上陸する。

そして熊野詣の第一王子であるところの「窪津王子(渡辺王子)」を参拝して、紀州熊野への陸路の旅が始まるわけだ。

まさしく聖地である。

ちなみに、その窪津王子は、四天王寺七宮の一つであるところの「堀越神社」境内に遷座している。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

最後に

境内には、他にも「矢尾城址」の石碑だとか「従軍紀年碑」だとかが設置されていたりして、小さな境内ではあるが、気が付くと結構な時間が過ぎているのに驚くのである。

それほど、居心地のいい神社であるということだろう。

駅近なので、お近くに来られた際には是非とも参拝いただきたい神社である。

坐摩神社の記事はコチラ!
➡ 「坐摩神社」 摂津一之宮 住居の守護神「坐摩神」は、宮中で祀られる大いなる神である。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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