八尾神社|物部一族「栗栖氏」の氏神様は浄化のパワーを秘めていた。
八尾神社は近鉄八尾駅北口から徒歩3分、フラワーロード商店街にある神社である。現在の境内規模は小振りであるが、かつては河内国若江郡の式内社であった。
八尾市はかつて、大和と河内や摂津とを結ぶ交通の要所であったためであろう、古代史最大の軍事氏族である物部大連の本拠がおかれた地域である。
物部守屋の邸宅跡ともいわれる渋川神社をはじめ、矢作連の矢作神社、弓削連の弓削神社、後に阿刀連になる「守屋の阿都」の跡部神社など、物部一族の中でも有力軍事集団が住み着き、その氏神を祀る神社が旧大和川(長瀬川)やその支流(玉串川や楠根川や平野川)沿いに鎮座している。いわば八尾は物部ワールド。
この八尾神社も同様で、まさしく物部氏由来の神社。物部一族の一つである栗栖連が、その祖神を祀った神社なのだ。
かつて、かなりの水量をもって旧大和川から分岐して北上し大川(淀川)に注ぎ込んでいた楠根川。この楠根川が八尾神社付近を流れていたらしい。
八尾神社について
八尾神社 概要
- 所在地 大阪府八尾市本町7丁目7−27
- 電話番号 072-993-4435
- 主祭神 宇麻志麻治命
- 創建年 不詳
- 社格 式内小社・村社
- 公式HP なし
八尾神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 近鉄大阪線「近鉄八尾駅」徒歩3分
駐車場
- あり
八尾神社の創建
創建年代は不詳である。
延喜式神名帳に記載されている、河内国若江郡「栗栖神社」の比定地となっているため、平安初期には存在したことは確実である。
しかし前述のとおり、このあたりには物部氏が本拠を構えていた。本拠を構えると同時に氏神を祀るわけだ。
と考えると、創建時期は、物部氏一族が河内国に住み着いた時期、すなわち飛鳥時代もしくは古墳時代にまで遡るべきかと思う。かなりの古社である。
南北朝時代には、八尾城の一廓を形成していたらしく、何度も戦火にさらされたという歴史がある。
江戸時代には「牛頭天王社」、明治維新後に延喜式に則って「栗栖神社」に改名したが、明治41年に近隣の神社を合祀した際に「八尾神社」に改称したようだ。
牛頭天王社は時代の流れでそうなったのであろう。
しかしなぜ「八尾神社」に改名する必要があったのだろうか。個人的には「栗栖神社」のほうがカッコいいと思うのだが。。。
八尾神社の祭神
八尾神社の祭神は、次の通り。
宇麻志麻治命(うましまぢのみこと)
天孫・饒速日尊とナガスネヒコの妹である三炊屋姫との間に生まれた御子であり、物部氏の祖神とされている。
河内国では、東西の弓削神社、上下の石切劔箭神社など、物部氏系の神社の祭神として祀られている。
私は、神武東征の際に長髄彦を殺して神武天皇に帰順の意を示したのは、饒速日尊ではなく宇麻志麻治命であると思っている。饒速日尊はすでに崩御していたと思われるからである。
その後、宇麻志麻治命は尾張国、美濃国、越国を平定し、石見国の平定に向かい、石見の物部神社あたりでその生涯を閉じたという。
しかし、前述のとおり江戸期には牛頭天王社であったので、牛頭天王を祀っていたわけだ。それが、享保20年に式内社の栗栖神社に比定されたことがきっかけで、明治維新後に祭神を宇麻志麻治命に変更したとのことである。
戦火にさらされ、混乱、荒廃を余儀なくされた時期に、祭神すらわからなくなっていったのだろう。
品陀和気命(ほむだわけのみこと)
応神天皇。すなわち八幡大神である。近隣の八幡社を合祀したことによって祭神となった。
八尾神社のご利益
宇麻志麻治命といえば、父である饒速日尊譲りの十種神宝の使い手である。十種神宝は死者をも蘇らせることができる神霊を持つ。このことから、起死回生や病気平癒のご利益があると考えられる。
また、神武にいち早く恭順の意を示したこと、十種神宝を使った祭祀(鎮魂祭として現在も続いている)と軍事力によって王城を警護したことなどにより、天皇の信頼を得ることになる。これが物部氏の繁栄の基礎を気づくことになるわけだが、これはある意味、世渡り上手であり出世術なのかもしない。
よって、物部神社(石見国一之宮)のご利益である文武両道の神・鎮魂の神・勝運の神に加えて、出世運や人間関係改善のご利益もあるのでは?と思うのである。
八尾神社 参拝記録
近鉄八尾駅から徒歩3分程度であろうか。フラワーロードというアーケード商店街の入り口付近、スーパーはやしの角を南に曲り細い道に入るとすぐ右手に八尾神社の裏参道がある。見逃しやすいので気を付けたい。
駐車場は無い。路駐も無理。というか車では接近できない込み入った場所にある。近隣のパーキングに止めるしかないだろう。
せっかくなので、商店街を通って神社の表玄関に回り込む。
住宅地の中にぽっかりと口を開けるように、明るい神域が広がっている。この青い空。
境内中央の広場に面して「西郡会館」という集会所が建てられてある。神社が地域のコミュニティーの場になっていた。昭和の香りが。。。
唐獅子であろうか。水口が珍しい。手水舎の隣に井戸があるようだ。
手水舎の前、浄化系のパワーを感じる。
玉光大神・玉姫大神
「玉光大神・玉姫大神」と書かれてある。
玉光大神と言えば、八坂神社の末社に「玉光稲荷神社」がある。
玉姫大神と言えば、伏見稲荷大社のお塚信仰で「玉姫大神」として祀られているので、伏見稲荷大社からの勧請か?
いずれにしても「宇迦之御魂大神」であり、この小祠は稲荷社となる。
しかし、祠の中には卵が供えられている。こうなると誰しもが「巳さん」を連想するだろう。祠の後ろに聳える楠に、蛇が住み着いていそうな感じがしてくるから不思議なものだ。。。
正解は謎のままである。
さて、祠を離れて本殿へと向かう。
拝殿
拝殿の屋根が限界に近付いているようだ。アルミパイプが張られている。これは工事中ではない。補強している感じだ。屋根に陥没の跡も見える。痛々しいではないか。
鈴の上にある「神紋」は「五瓜唐花」であろうか。
「五瓜唐花」と言えば八坂神社。八坂神社=「素戔嗚尊」の神紋であり。いわば「牛頭天王社」の神紋だ。
こんなところに「牛頭天王社」の名残があった。
二礼二拍手一礼。
私が参拝している30分程度の間に、参拝に訪れた人の数は10名強。これが多いのか少ないのか。私は多いと思う。地域密着型の神社だ。
謎の手作りの鳥居
拝殿に向かって左手。見た目がなんともDIY感満載の鳥居である。そこには樹木が植わっているのだが、榊ではないようなのだが。。。見た感じ、キンモクセイ?
浄化系パワースポット
本殿前のスペース。手水舎の前。何か感じるものがある。高圧電線の近くに立ったような、脳みそが沸きたつような感覚。
一番感じる場所を探そうと本殿前の広場をうろうろする。変なオジサンに見えるのだろうな~。
あった。その場所を説明するには文章では難しいが、表現してみよう。
手水舎の「唐獅子」と拝殿上部の彫刻「龍」の白く輝く目を結ぶ線上で、その線上を「玉姫大神・玉光大神と書かれた祠」側を向いてカニさん歩きをした時に、その祠が自分の正面になる位置。
言い換えると、「唐獅子ー龍の目の直線に対して、祠からの垂線が交わる点。」この方がスッキリする。
そこが浄化系パワー強く感じた場所だ。その場で直立不動。やっぱり変な人。
では、本殿の右手奥に進もう。
合祀殿
素戔嗚尊、武甕槌命、菅原道真の三柱を祭神とする合祀殿である。
素戔嗚尊は本殿に合祀されていたが、後年、摂社に遷座。そこに、武甕槌命と菅原道真を勧請したのか、近隣神社を合祀したのか。しかし、武甕槌命を祀る神社が近隣にあったとは思えない。経津主命ならわからないでもないが。なぜなら、ここ八尾の地は「物部ワールド」だからである。
よって、武甕槌命、菅原道真の二柱の神は勧請したのだろうと、私は思う。違ってたら、ごめんなさいである。
金運のパワースポット 白龍社
祭神は白龍大神。祠の中に社はなく、磐座が鎮座している。白蛇の置物がある。誰がどう見ても白龍・白蛇を祀る祠である。
こちらに、白龍・白蛇を祀る祠があるということは、先ほどの祠はやはり稲荷社と見るべきだろう。と、納得したのであった。。。が、伏見稲荷大社にも「白龍大神」「黒龍大神」というお塚があったのだった。
うーん。となるとこちらも稲荷社ということになるのだろうか。。。そんなことはもういいのである。
白龍さんのご利益と言えば、「金運」である。
最後に
境内には、他にも「矢尾城址」の石碑だとか「従軍紀年碑」だとかが設置されていたりして、小さな境内ではあるが、気が付くと結構な時間が過ぎているのに驚くのである。それほど、居心地のいい神社であるということだろう。
駅近なので、お近くに来られた際には是非とも参拝いただきたい神社である。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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