若一(にゃくいち)神社|京都|開運出世の神と座敷わらしさん

2020年12月16日

若一神社は、京都市下京区にある神社。京都の西を南北に走る大通り西大路通りに面した神社だ。

この西大路通りは、北は桜で有名な平野神社あたりから、南は九条通り(171号線)に突き当たるまでの約6kmを一直線に走っているのだが、途中200mだけ、何かを避けるように湾曲している。

その200mにあるのが若一神社なのだ。「平清盛公ご創建の社」という看板を目にした方も多いのではなかろうか。

さて、この神社には、どんな由来があるのか、興味の湧くところである。

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若一神社について

若一神社の概要

  • 所在地    京都府京都市下京区七条御所ノ内本町98
  • 電話番号   075-313-8928
  • 主祭神    若一王子
  • 社格     
  • 公式HP   

若一神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • JR京都線 西大路駅 徒歩8分

車でのアクセス・駐車場

  • アクセスに問題なし
  • 駐車場なし

駐車場はない。お隣のスギ薬局さんには駐車場があるが、用もないのに駐車するのは良くないと私は思う。

スギ薬局さんの裏にタイムズがあるから、そこに駐車するのがよかろうと思う。

しかし、スギ薬局さんでお買い物をされるのであれば、もはや私の関与する範疇では無かろうと存ずる。

若一神社の祭神

若一神社の祭神は、若一王子にゃくいちおうじである。「にゃくいち」と読む。よって、神社も若一神社にゃくいちじんじゃと読む。

若一王子の王子は、星の王子様とか天皇の皇子みことかの、王様の子供という意味ではない。神仏習合における神の名なのである。

熊野十二所権現という名称を聞いたことがあると思う。

十二所権現というのは、熊野地方にある3つの神社(熊野三山・・・熊野本宮大社・速玉大社・那智大社)に祀られる12柱の神々の総称で、3つのグループに分かれる。

三所権現

トップ3の神々。伊邪那美いざなみ命・伊邪那岐いざなみ命・須佐之男すさのお命の三神とされる。

五所王子

天照大神から始まり神武天皇に至るまでの系譜上の5柱の神々のことを指す。

具体的には、天照大神あまてらすおおみかみ天忍穂耳尊あめのおしほみみ瓊瓊杵尊ににぎ彦火火出見ひこほほでみ尊・鸕鶿草葺不合うがやふきあえず尊。

四所明神

イザナミの死に際して生まれた神々の内の4柱。

具体的には、軻遇突智かぐつち埴山姫はにやすひめ神・弥都波能売みつはのめ神・稚産霊わくむすひ

で、若一王子は?というと、、、五所王子の筆頭であるところの天照大神を指すという。

若一神社の創建

若一神社の創建年は仁安元年(1166年)のこと。平清盛公が祀ったのが始まりという。

その経緯について、次のように伝わっている。

宝亀3年(772年)、天王寺にいた威光上人が紀州熊野に参拝したときに、庶民の苦しみを和らげようと、若一王子の御分霊を持ち帰った。

そして、ご神体を背負ってこの地にやってきて、森の中のお堂に泊まったその時、御神意が下り、そのお堂の中にご神体を安置した。その後、その御神体は土の中に入っていかれた。

時は流れて平安時代末期。六波羅に住まいしていた清盛公が、その地に別邸を造営した。
それはそれは壮大で、西八条御所と呼ばれた。 

仁安元年(1166年)。清盛公が熊野詣に行かれた際に「土中に隠れている御神体を掘り起こして奉斎せよ」との神のお告げがあった。

帰京して、邸宅内を探していると、敷地の東にある築山が光を放った。清盛公自らが掘ってみると、若一王子の御神体が現れ、邸宅内に社殿を造営して鎮守とした。

ということは、創建は1166年だが、創祇は772年ということになろう。

若一神社のご利益

若一王子の御神体をお祀りした清盛公は、開運出世を祈った。すると翌年の仁安2年、太政大臣に任ぜられた。

ということであるからして、開運出世のご利益があると言われている。

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若一神社 参拝記録

清盛公お手植えの楠

京都市街の西を南北に貫く西大路通り。北から南へと走っていくと、左側に大きな楠が見えてくる。

これが、若一神社の社頭にある大楠だ。清盛公の手植えの楠だと言われている。

西大路通りが、この楠を避けて通っている。その理由は、、、

もともと、この木を切ったり移し替えようとすると祟りがあると伝えられているのだが、

昭和初期。市電敷設工事に際して、この楠を撤去する計画が立てられた。それから間もなくのこと、工事関係者に相次いで事故や不幸が、、、そんなことで計画は変更され、楠を迂回するルートがとられた。

他にも、

枝が邪魔だといって木に登り、枝を切り落とした人が、そのまま木から落ちて死んだ、、、

といった言い伝えがある。

座敷わらし

大楠を囲むようにして、この「座敷わらしさんとご一緒に」の張り紙がたくさん張られていた。

宮司さんに尋ねると、

清盛公御手植えの楠の木には、たくさんの座敷わらしさんが宿っていて、気に入った人と一緒に、その人の家までついてくる。

これを宮司さんは、「連れて帰る」と表現しておられた。

そして、座敷わらしさんを連れて帰ることができた人の家に棲みついて、幸福に導いてくれるらしい。

そんな話を頂いたあと、

「ところで、この座敷わらし守りを持っていると、連れて帰ることができるかもよ~」

と、セールストーク。なかなかもって、お上手だこと。

これが、座敷わらし御守り。ひとつづつ手作りなので、それぞれお顔が微妙に違う。私は娘に似た座敷わらしさんを選んだ。今、私のPCにぶら下がっている。

もしかしたら、平清盛公の隆盛は、若一王子に加えて、座敷わらしさんの霊力によるものだったのかもしれない。

その後の没落は、座敷わらしさんが離れたためか。。。栄枯盛衰の理か。。。

次ページに続く!

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京都,出世運

Posted by リョウ