銀杏岡八幡神社|浅草橋|商売繁盛と学業向上なら、銀杏岡八幡へ!
銀杏岡八幡神社は、東京都台東区浅草橋に鎮座する神社である。
浅草橋駅の北方70mと、すこぶる駅近で、雛人形・五月人形を取り扱う商店や個人経営の飲食店などがごちゃ混ぜに建ち並ぶ「これぞ浅草橋」といった街並みに溶け込んでいる感じがいい。
銀杏岡八幡宮について
銀杏岡八幡神社 概要
- 所在地 東京都台東区浅草橋1丁目29−11
- 電話番号 03-3851-1691
- アクセス JR総武線「浅草橋駅」 徒歩1分
- 駐車場 なし
- 主祭神 誉田別命・武内宿禰命
- 創建年 1062年
- 社格 村社
- 公式HP なし
MAP
銀杏岡八幡神社の祭神
主祭神を誉田別皇命とし、相殿に武内宿禰命をお祀りする。
誉田別皇命
15代応神天皇である。歴史家の中では「実在する可能性が高い最初の天皇」などと言われている。
(私としては、実在したかしなかったかは、さほど重要なことではない。)
両親は14代仲哀天皇と神功皇后。しかし、仲哀天皇の崩御と応神天皇の誕生との時間的整合性について議論あり、仲哀天皇の御子ではないという説がある。
もっと言えば、大臣である武内宿禰との間の子ではないかなどと、下衆なことをいう輩までいる。(そんなことは放っておこう)
誉田「ホムタ」は、弓で矢を射るときに腕にはめる武具。
生まれた時から腕に「ホムタ」のような盛り上がりがあったことから、「ほむたわけ」と命名されたとか。
生まれながらにして「武」の神であったと言われる由縁である。
武内宿禰命
12代景行天皇からはじまり、16代仁徳天皇までの、なんと5代にわたって仕えた忠臣である。計算すると300歳を超える長寿ということになるが構わない。
紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など、上古に活躍した錚々たる氏族の祖とされる。
銀杏岡八幡神社の創建
平安末期。奥州の安部氏征伐のため派遣された源義家公が隅田川沿いの高台で休憩していたとき、川上より2本の銀杏の枝が流れてきた。
義家公はその枝を丘の上にさし立てて「朝敵退治のあかつきには枝葉栄うべし」として太刀一振りを捧げて、心の中で八幡宮を思いながら祈願した。
平定の後、再びこの地に返ってきたとき、その銀杏が大きく繁茂していたので、義家公は神恩に感謝して八幡宮を勧請した。1062年のことである。
その後、その銀杏は「一里塚」あるいは「八幡塚」と称され、川を往来する船舶や街道を行く人々の目印とされたが、1745年(享2年)の台風で折れ、1806年(文化3年)の文化の大火によって焼失してしまった。
現在の銀杏は、明治神宮から移植したものだとか。
銀杏岡八幡神社のご利益
こちらのご利益は、商売繁盛、学業成就、健康長寿、家内安全である。
銀杏岡八幡神社 参拝記録
浅草橋駅から北に歩くこと1分で到着する。
東向きに立つ鳥居。
この鳥居を一歩くぐると、周囲の雑踏が嘘のような静かな空間に入る。不思議だ。
手、口を漱いで身を清める。これは必ず行っていただきたい。
拝殿
コンクリート造の拝殿。南向きに鎮座。白を基調とした”まろやか”な印象である。
第六天榊神社も同じ色調だった。白にエメラルドグリーン。妖怪「コマさん」である。
二拝二拍手一拝。
此葉稲荷神社
境内社はこちらだけ。拝殿の右、東向きに鎮座する「此葉稲荷神社」である。
創建由来や年代などは不明なるも、古くからこの地にて祀られていたと聞く。
祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。すなわち「稲荷神」である。須佐之男命の御子神にして、穀物・食物を司る神。一般的には女神と考えられている。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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