須賀神社|浅草橋|病気平癒と目的完遂の守護神
須賀神社は、東京都台東区浅草橋、江戸通りに面して鎮座する古社である。江戸時代には牛頭天王社であり、庶民からは団子天王社や蔵前天王社と称されていたようだ。
須賀神社について
須賀神社 概要
- 所在地 東京都台東区浅草橋2丁目29−16
- 電話番号 03-3851-7044
- アクセス JR総武線「浅草橋駅」 徒歩3分
- 駐車場 なし?
- 主祭神 素戔嗚尊
- 創建年 601年(伝)
- 社格 村社
- 公式HP なし
MAP
須賀神社の祭神
現在の祭神は素戔嗚尊である。
素戔嗚尊
伊弉諾尊が黄泉の国の汚れを祓うために禊を行った際、最後の最後、鼻を漱いだときに生まれた神である。
左目から姉「天照大神」が、右目から兄「月読尊」が生まれた。この三神をもってして「三貴子」あるいは「三貴神」と称される。
泣き虫で暴れん坊な荒ぶる神。その悪行の数々の罰を受け、高天の原から追放された。
その後、御子の五十猛命らを連れて朝鮮半島に渡った後、再び日本に帰ってきて出雲に降臨する。有名な八岐大蛇退治は、この時のこと。
出雲の根之堅洲国にある須賀(島根県雲南市)に住んだ。
牛頭天王と習合
平安時代には荒ぶる神つながりで、仏教における祇園精舎の守護神「牛頭天王」と習合。牛頭天王は疫病除けの神として、全国各地津々浦々に、天王社や祇園社の社名で祀られた。
明治維新の神仏分離を受けて、天王社や祇園社は八坂神社や須佐神社あるいは須賀神社に社名を変更。祭神名も牛頭天王の習合がはずされたため素戔嗚尊と表記されるようになった。
現在、素戔嗚尊を祀る神社が多い理由は、ここにある。
須賀神社の創建
創建年代は定かではないが、601年(推古天皇9年)、武蔵国豊島郡に疫病が流行した時のこと。
村人たちが牛頭天王に病難平癒を祈ったところ疫病が治まったので、ここに牛頭天王の祠を建てて創始したと伝わる。
1639年(寛永16年)江戸幕府3代将軍家光の時代には、幕府によって造り替えが行われ、大層立派な神社になったという。
その江戸期、牛頭天王社・蔵前天王社・祇園社・笹団子天王社など、いろんな名称で呼ばれていたようだ。庶民から親しまれ信仰された神社であることがわかる。
笹団子天王社の由来
このあたりの農家の娘が12歳になった夏のこと。例年にも増して暑う日が続き、疫病が大流行。その娘も病にかかってしまった。
娘の両親は何とかして病を治そうと、この牛頭天王社に願をかけること21日間。そのかいあって病が全快した。
大変喜んだ両親は、御礼のしるしとして、笹に娘の年の数と1年の月の数を合わせた数だけ団子を刺して、例大祭の日に牛頭天王のご神前にお供えた。
それ以来、心願成就とくに病気平癒のお参りが大変多くなったという。
須賀神社のご利益
当然ながら、病気平癒のご利益が絶大であることは言うまでもない。
他には、目的完遂のご利益もいただけると聞く。
須賀神社 参拝記録
第六天榊神社の参拝を終えて浅草橋駅へ向かう途中、道向うに鳥居を発見。鳥居を見ると寄らずにはおられない性分であるからして、吸い寄せられるように。。。
須賀神社の社頭
トラックが写っている。撮影のアングルが悪い。無粋である。
須賀神社の拝殿
鳥居をくぐると斜め右に社殿がある。南東の方角を向いている。なんでこんな建て方?と思ったが、航空写真を見ると、、、
最も効率的な土地活用であることがわかる。
須賀神社の鈴
この鈴、今まで見た中で最も小さい。音もなかなか可愛らしい音だ。
嵐を呼ぶ荒ぶる神「素戔嗚尊」には似つかわしくないのだが、一方で優しさも持ち合わせていた「素戔嗚尊」を表しているように感じて、笑えるのである。
須賀神社の拝殿内部
二拝二拍手一拝。天津祝詞。
私事ながら、ある目標の達成を祈願させていただいた。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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