宗像神社|京都御苑|名家「花山院跡」に鎮座する「方除け・火除け」の神

2018年6月16日

宗像神社は、京都御苑内の花山院家邸跡に鎮座する神社である。

花山院家は、三條家や西園寺家と同じく「清華家」に属する。「清華家」とは太政大臣になる資格を有する名家7家の家格の名称である。

さらに上位に、摂政になる資格を持つ「摂家」がある。

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宗像神社について

宗像神社 概要

  • 所在地   京都府京都市上京区京都御苑内
  • 電話番号  075-231-6080
  • 主祭神      宗像三女神
  • 創建年      794年
  • 社格   府社
  • 公式HP

宗像神社 アクセス

MAP

アクセス 

  • 地下鉄烏丸線「丸太町」

駐車場  

  • 京都御苑の駐車場あり

宗像神社の祭神

宗像三女神(多紀理比売命、多岐都比売命、市寸島比売命)を主祭神に、倉稲魂神天岩戸開神の2柱を配祀している。

宗像三女神

福岡の宗像大社に祀られる、三姉妹の女神。天照大神と素戔嗚尊の誓約によって生まれたロイヤルシスターズ

朝鮮半島と九州を結ぶ海上交通の安全

を祈願して祀られている。

▼宗像三女神については、コチラをどうぞ!別ウインドで開きます!

倉稲魂神

「うかのみたまの神」と読む。またの名を宇迦之御魂神。おなじく「うかのみたまの神」と読む。

食物・穀物を司る神。

古事記では、須佐之男命の子で、農耕神・収穫の神である「大歳神」とは同母の兄妹の関係。一般的に女神とされている。

倉稲魂神についてはコチラをどうぞ

天岩戸開神

この神の詳細は不明であるが、『花山院家記』に、

「天岩戸開神とは大きな石である。そこに宿る神霊である。」

と記されている。

宗像神社の創建・歴史

社伝によると、、、

延暦14年(795年)、藤原冬嗣が桓武天皇の勅命により、皇居鎮護の神として筑前の宗像大社から勧請し、自邸である東京第の西南隅に祀った。

としている。

源師房による「土右記」では、、、

藤原冬嗣がまだ内舎人であった頃の話。参内の途中で宗像大神に呼びかけられた。

大神曰く「父に頼んで小一条第を買ってもらい、そこに居住して宗像大神を祀れば、子々孫々にわたって守護してしんぜよう!」

この神託によって、宗像神を勧請したという。また、邸内の東北に天岩戸開神が祀られていた。

とある。

宗像神社のご利益

  • 金運向上
  • 交通安全
  • 航海安全
  • 水難除
  • 必勝祈願
  • 心願成就
  • 家内安全

に加えて、花山院の鬼門に天岩戸開神、裏鬼門に宗像神社が鎮座していたこと、そして現在は、禁裏の裏鬼門を守っているということから、

  • 方除けの神

として信仰を集めると聞く。

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宗像神社 参拝記録

京都御苑の南から入ると、九条邸「拾翠亭」「厳島神社」があり、そこから時計回りに通路を歩くと長い土塀が見える。

そこが宗像神社。

社頭

境内の南側が正面入り口となる。京都御苑内の3神社の中では、一番立派な構えをしている。

花山稲荷大明神

鳥居をくぐるとすぐ右手に「花山稲荷大明神」が西向きに鎮座する。

花山院家の邸宅で祀られていた邸内神で、940年代に衣食住の守護神として伏見稲荷大社から勧請。

社伝によると、「全国の狐は代々、花山院家に陪従する」とある。「京の都は幾たびも大火に見舞われたが、花山院家は焼けることがなく、それも花山稲荷の守護によるもの」とも伝わる。

このようなことから、「火伏せ」の神としての信仰も集めたと聞く。

この花山稲荷から分霊を授かった神社も多く、稲荷信仰の拠点でもあったらしい。

日本三大稲荷のひとつ、佐賀の祐徳稲荷神社もその一つだ。

京都観光神社

花山稲荷の向かい側に、南向きに鎮座するのは「京都観光神社」。昭和43年の創建。

祭神は「猿田彦大神」。道開きの神、瓊瓊杵尊が降臨する際に道案内をした国津神である。だから観光神社に祀れれているのだ。わかりやすい。

創建の理由が書かれてある。

「恵まれた観光資源を持つ京都に感謝の念を表すため、観光関係者によって創建した。」

さらに「敬信崇祖の念を発揚することで、業者や市民の家運隆盛に資する目的で建立する。」とも。

「観光客の安全」は、目的としなかったのだろうか。。。疑問が残る。

本殿

これが、小一条第に祀られ、のちに花山院邸に祀られた「宗像神社」。拝所の屋根の風合いがよろしいではないか。

神前に進む。おお!この神額の風情もよろしいではないか!

なんとシンプル。華美に飾り立てない「ワビサビ」の世界?

いや違う。幕末の混乱で落ちぶれた公家衆の中にあっても「七清華家」の誇りと使命感を忘れなかった花山院家の覚悟を表しているように見えるのである。

花山院家理の生涯を知ると、そのように見えてくる。その話はまた今度。

二拝二拍手一拝。。。

すぐ隣に末社3社が並ぶ。少し気が散る配置だ。

少将井神社

本殿のすぐ左に「少将井神社」がちょこんと鎮座している。

祭神は「櫛稲田姫命」。須佐之男命の妃である。

少将井とは平安京の名水の一つで、ここからおよそ400m南の京都新聞社があるところらへんにあったらしい。祇園社(八坂神社)の御旅所でもあり、祇園会の際には、その井形に神輿を置いて疫病を祓ったという。

1877年に、こちらに遷座されたと聞く。

繁栄稲荷神社

その隣が「繁栄稲荷神社」。祭神は「命婦稲荷神」(みょうぶいなり)

古くから、御所を外からの侵入者を防ぐ神として祀られてきた。

白狐が稲荷山に繁殖して神社を守ったという伝説により、土地を守り、子孫繁栄、事業発展を願う人々からの信仰を集めたという。

琴平神社

こちらが琴平神社。大物主大神と崇徳天皇を祀る。

創建は江戸時代の後期、文化3年(1806年)、丸亀藩主「京極高中」によるもの。讃岐の金刀比羅宮を饗とに祀り、旅の都で、国や藩民の泰平無事を祈願したという。

旅行の安全、海産に関係する人々の守り神とされる。

ここで旅行者の安全が出てくるのか~と、妙に納得する私。

楠のご神木

最後に見つけた花山稲荷に生える大きなご神木。樹齢600年。御所内の楠の中で最長老らしい。

不老長寿を祈ろうではないか。

しかし樹齢600年ということは、「天明の大火」や「蛤御門の変」でも焼失しなかったということになる。恐るべし花山稲荷!

京都御苑内にある神社

厳島神社(九条家邸 庭園内)

白雲神社(西園寺家邸跡)

白雲神社

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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