志那都比古神(しなつひこのかみ)・級長戸辺命
志那都比古神(しなつひこのかみ)は、日本の神話に登場する神。
風の神である。「シナ」とは「息が長い」という意味らしい。古代人は、風は「神の息」で起こると信じられていた。
神風
鎌倉時代。元寇の際に、内宮の末社「風神社」と外宮の末社「風社」で祈祷を行った。
その結果かどうかはわからないが、神風が吹き荒れ、元の船団は壊滅し退却を余儀なくされた。
この功績により、神宮の末社格であった「風神社」「風社」は、それぞれ「風日祈宮」「風宮」という称号が与えられ「別宮」に昇格したという。
ちなみに、、、元寇の時だけでなく、
江戸時代末期には、風日祈宮と風宮で「攘夷」の祈願が行われたと聞く。
神風は吹かずとも、列強の植民地にならずに済んだのは神のご加護だろう。
志那都比古神(しなつひこのかみ)の神名
- 志那都比古神(しなつひこのかみ)>>>古事記
- 級長戸辺命(しなとべのみこと)>>>日本書紀
- 級長津彦命(しなつひこのみこと)>>>日本書紀(亦の名)
日本書紀には、「級長戸辺命の亦の名を級長津彦命という」と記述されていることから、この2柱は同一の神と見える。
がしかし、外宮の風宮、内宮の風日祈宮には、シナツヒコとシナトベの2柱の神が祀られている。これはそれぞれ別の神と考えるしかない。
さらに、大和国の風神を祀る「龍田大社」では、天御柱命・国御柱命を祀っており、またの名をシナツヒコとシナツヒメとし、男女の風神だと伝わる。
これらのことから、本来は男女の対の風神だったのだろうと古事記伝に記されている。
志那都比古神の系譜
記紀ともに、、、
- 父>>>伊邪那岐神
- 母>>>伊邪那美神
志那都比古神の神格
- 風の神
農業に役立つ風雨の順調を祈る対象であった。それが暴風を鎮める神となり、さらには暴風で外敵から日本を守るという神格が加わったようだ。
そして、息が長い、長い息という神名であることから、
- 生命の神
ともいえるのではないだろうか。
志那都比古神の神徳
- 五穀豊穣
- 運気上昇
- 漁業・航海守護
- 長寿
- 病気平癒
志那都比古神が登場する神話
記紀のいずれも、誕生時の神話しかない。(と思う。)
古事記の記述
古事記において、伊邪那岐神と伊邪那美神による神産みの段に登場する。
伊邪那岐命と伊邪那美命が国々を生み終って、さらに神々を生んだ。その生んだ神々の神名は、まず大事忍男神、次に、
・・・家宅六神、海の神、水戸の神、水戸神の子らが続き・・・
次に風の神、名は志那都比古神を生み、
・・・木の神・山の神・野の神と続く・・・
「風の神」であることが明記されているからわかりやすい。
日本書紀の記述
伊弉諾尊と伊弉冉尊が大八洲国を生んだあと最初に生まれた神である。
一書曰、伊弉諾尊與伊弉冉尊、共生大八洲国。然後、伊弉諾尊曰、我所生之国、唯有朝霧而、薫滿之哉、乃吹撥之氣、化爲神。號曰級長戸邊命。亦曰級長津彦命。是風神也。
日本書紀 第五段一書(六)
これを訳すと、、、
またある書物には、、、
伊弉諾尊と伊弉冉尊は共に大八洲国を生んだ。
その後、伊弉諾尊は「我々が生んだ国には、まだ朝霧しかなく、朝霧の薫りに満ちている。」言って、その朝霧を吹き飛ばそうとした。その気(息)が神になった。
その名は、級長戸邊命(しなとべのみこと)。またの名を級長津彦命(しなつひこのみこと)という。風の神である。
朝霧を吹き飛ばそうとした息が神になるとは、なんとも叙情的な表現だ。
志那都比古神を祀る神社(当ブログ内)
風宮 ー外宮の別宮ー(三重県伊勢市)
風日祈宮 ー内宮の別宮ー (三重県伊勢市)
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