石切劔箭神社|上之宮|浄化・開運のパワースポットは饒速日尊一族を祀る聖地であった!
近鉄奈良線石切駅から坂道を上ること15分。ふもとの本宮からだとDEEPスポット「石切参道商店街」を上ること30分。
生駒山の山懐に石切劔箭神社「上之宮」は鎮座する。
この「上之宮」は、交通の便がよい「本宮」とは違って山の中腹にあるため訪れる人も少なく、いつもひっそりとしてはいるが、清廉で厳かな空気に満ちた、圧倒的な存在感を感じる浄化のパワースポットである。
石切神社「上之宮」について
石切劔箭神社「上之宮」 概要
- 所在地 大阪府東大阪市上石切町2-34-14
- 電話番号 072-982-3341
- 創立 皇紀2年:紀元前559年
- 社格 式内小社、村社
- ご利益 病気平癒、無病息災
- 公式HP http://www.ishikiri.or.jp/
石切劔箭神社「上之宮」 アクセス
MAP
最寄り駅
- 近鉄奈良線「石切駅」徒歩15分程度
駐車場
- あり(無料)4台ほど
石切神社「上之宮」の主祭神
本宮と同じく、饒速日尊と、その御子である可美真手命。
物部氏の祖神と祖である。
石切神社「上之宮」の創建
皇紀2年、現鎮座地のさらに山の上の方に、可美真手命によって、父である饒速日尊を祀ったのが起源とされている。
いつの頃か、現在の上之宮の場所に降りてきたようだが、明治38年に一旦は廃止され、本宮に合祀された。
合祀された後も、この場所に対する信仰は廃れることなく続き、昭和7年以降の本殿再興を皮切りに「上之宮」として復興されていくことになる。
石切神社「上之宮」のご利益
こちらも本宮と同じく、饒速日尊にあやかり「病気平癒」や「開運」「起死回生」などのご利益を頂ける。
そして、この場所の持つパワーを強く感じることによる浄化の作用もあるのではなかろうかと感ずるのである。
大阪DEEPスポット 石切神社参道
早速、上之社の参拝記録といきたいところなのだが、石切さんと言えば石切参道商店街を紹介しなければなるまい。
すこし、参道を散策しようではないか。
本宮から上之宮まで、およそ30分の登坂であるからして心して頂きたい。
石切参道商店街 占い通り
本宮から駅へ向かう参道の両側に様々な店舗が立ち並ぶ参道商店街。
我が家では、石切参りの後は必ず子供たちのために、この参道商店街を散策し、食べ歩きを楽しむのを常としている。
土産物屋、漬物屋、おこわ・だんご屋、食堂、魚屋など、一般的な参道商店街にある類のお店に加えて、日本中の占い師が集まっているのではないか?と思うぐらいに占い小屋が軒を連ねている。
占いの館村「豊八」のように、おどろおどろしい雰囲気を醸し出している占いの館もある。前を通ればすぐわかる。非常に入りにくいのである。
子供の頃の記憶では、もっと占い屋さんが多かったはず。現代は、ネット占いや電話占いなど新しい手法が増えてきたことと、高齢化の波はここにも及んでいるのか、体力気力の限界で閉店するところも多いと聞く。
残っている占い師の皆さんも基本的には年配の方々である。女性が多い。年配の占い師さんであるからして経験豊富。占い経験だけでなく人生経験も豊富なのだ。
若い女性のお客さんが目立つ。
私も石切で占ってもらったことがある。占いというより人生相談に近かった。大変お世話になった。
今の自分があるのは、あの時の占い師さんの助言が全てだったような気がする。しかし、すでに店は無かった。。。
石切大仏
ちょうど中間点ぐらいに、「石切大仏」が鎮座。
漢方薬で財をなした東大阪の「阪本昌胤さん」が建立したもの。大阪の男なら誰もが知っている、”阪本の赤まむしドリンク” の阪本さんだ。
この界隈は、「阪本昌胤さん」の露出がすさまじく、あっちこっちに看板がある。ちょっとウザいが、お世話になった赤まむしドリンクに免じて許そうではないか。
石切神社「上之宮」 参拝記録
そうこう言いながら、近鉄電車のガードをくぐり、住宅地の急な坂道を上る。
運動不足の私は、途中から息はゼイゼイ、汗はタラタラ。
さて、麓の本宮を出発して、参道のケッタイなもんを見ながら歩くこと約20分で上之社に到着した。
鳥居の手前に手水舎がある。手口を清めて、鳥居をくぐり階段を上ろう。
いよいよ神域だ。
階段の両側は緑の林。気持ちいい風が吹き抜けていく。
この鳥居をくぐった時の“空気の変化”は、神社参りの醍醐味といっても過言ではない。
さわやかな気持ちになったり、緊張したり、心が和んだりと、神社によって異なるのだ。これが面白い。
こちらは、緑の参道を進むにつれて、どんどん浄化されていく感覚がする。
拝殿・本殿
階段を上がったら、そこが拝殿。真っ白な玉石が敷き詰められおり、拝殿の美しさが映える。
ほかの参拝者といえば、お百度参りをされている女性が一人だけ。本宮とは違って、ひっそりとして落着く空間だ。
二礼二拍手一礼 天津祝詞(普通の声で3回)一礼。
極めて厳かな雰囲気が漂い、清められていく。ほんとうに「おごそか」という言葉がピッタリとくる場所なのだ。浄化のパワースポットである。
しばらく、拝殿前で厳粛な空気を楽しむ。すると、「癒し」に変わっていくのがわかる。
拝殿の左側を通る通路で横手に回ると「神殿」が見える。かつては極彩色だったであろうことが伺える。
このあたりで、浄化パワーが最高潮に達する。生駒山からのパワーが噴出しているようなイメージが沸いてくるのである。
そう感じながら、ふと看板を見ると、私が立っている場所は昔の本殿前だったことがわかった。
神武天皇よりも先に大和に君臨し、王朝を築き上げていたかもしれない饒速日尊にあやかって、人生を切り開く開運のパワースポトともいえよう。
心霊スポット?「石切りの御滝」
さらに通路を進むと、「石切の御滝」の看板がある。斜面に沿った小道を登ると、その先に、三方を石積で囲われた小さな滝を目にする。
その石積の囲い中に歩を進めると、、、
極めて危険な空気が漂っているではないか。直感的に、これはヤバイやつだと感じる。
全身、365度、何かに見つめられてる感じである。霊感ゼロを自負している私ではあるが、感じるのである。早々に退散。
或る意味、強烈なパワーを感じられる場所である。
御礼池
御滝への小道の横に、「御礼池」がある。
「本宮」でピンクの「祈り亀」で祈願し、成就した際には「上宮」の御礼池に「お礼亀」をば奉納するというシステムなのである。
摂社
女子力アップ 登美霊社
農村の民家のような、それでいて近代的な建物を発見する。裏手にはクーラーの室外機が設置されている。
「登美霊社」である。こちらは、三炊屋姫命を祀る社だ。
この姫は大和北部の原住勢力であった長髄彦の妹で、饒速日尊が大和へ進入する際に饒速日尊の妃となり、可美真手命を生んだとされる姫神である。いわゆる政略結婚と言えよう。
この結婚で饒速日尊は大和の地に入ることができたといっても過言ではなかろう。
社の中は、薄暗くて、奥の方に炎のようなものが揺らめいている。おそらく電気であろう。
とても静かな凪ぎのような場所である。ここは一転、癒しのパワースポットだと感じた。
静かに静かに、身を潜めながら、世の移り変わりを見てきた姫様を連想させられる。
女子力アップ 婦道神社
婦道神社。妻の道を貫くということであろう。
日本武尊の妃の弟橘姫命を祀る神社である。この姫様は、石切劔箭神社を守り続けてきた物部氏の有力氏族である穂積氏の出身。
日本武尊の東征の際、三浦半島沖で嵐に遭い立ち行かなくなった時、自ら海に身を投げて、嵐を鎮めたという逸話があり、婦人道の鏡とされている。
また、この弟橘姫命に関しては、次のような話がある。
本宮の記事でも述べたが、、、
弟橘姫命は、古事記では日本武尊の「妃」として登場するのだが、日本書紀では「妾」とされてしまうのである。当時の権力者である「藤原不比等」は記紀の編纂を通じて、徹底的に物部氏を貶める策を講じている。
これを見た穂積氏の当主は、「断じて受け入れがたし!」と激高。命を懸けて、天皇へ直接の抗議を行ったという。
さすがは軍事集団物部の流れを引く家柄である。
最後に
石切劔箭神社をあらためて参拝して感じたことは、まさしく穂積氏の氏神なのだということ。一族の神社。そしてここでの最高位の神は「饒速日尊」。
饒速日尊は須佐之男尊の御子である大歳尊であるという説がある。実際、素戔嗚尊と饒速日尊が祀られる神社は多い。しかし、ここ石切神社に素戔嗚尊は祀られていない。
また、天香語山命も饒速日尊の御子だという説がある。しかし、石切神社には天香語山命の影が微塵もない。
なのに、神武社はある。神武天皇との関係は?神武天皇の東征は、可美真手命の纏向王に対するクーデターか。
そう考えると、饒速日尊-可美真手命の系統と、須佐之男尊-大歳尊-御歳姫の系統は、別の系統のような気がするのだが。この話はややこしくなるので、このあたりで。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
本宮の記事は、こちら! ➡ 石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)-本宮 |
饒速日尊の記事は、こちら! ➡ 饒速日尊(にぎはやひのみこと) |
石切の御滝と同じような気を感じた場所 ➡大鳥大社「和泉国一之宮」 運気上昇のパワースポットは「死の世界」への入口なのかもしれない |
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