五條天神社|上野公園|病気平癒・無病息災なら医薬祖神を祀る五條天神へ!

2019年1月21日

五条天神社は、上野公園の西側、不忍池に面した斜面に鎮座する神社である。

すぐとなりの斜面上段には、朱色の鳥居が並ぶ花園稲荷神社がある。いずれも五条天神社が管理している。

五條天神社へ向かうには、上野公園内からだと、この花園稲荷の朱色の鳥居の列をくぐって入るとわかりやすい。

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五條天神社 概要

五條天神社 概要

  • 所在地   東京都台東区上野公園4−17
  • 電話番号  03-3821-4306
  • 主祭神   大己貴命、少彦名命
  • 創建年      景行天皇の御世(伝)
  • 社格   なし
  • 公式HP     なし

五條天神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • JR「上野駅」徒歩10分
  • 京成「京成上野駅」徒歩5分

駐車場

  • あり(上野公園駐車場)

五條天神社の祭神

主祭神は「大己貴命」「少彦名命」。配神に「菅原道真公」を祀る。

大己貴命(おおなむじのみこと)

国造りの神、縁結びの神として全国的に知られる日本神話の主人公の一柱。

大国主命・大物主命・葦原醜男・八千矛神・顕国玉神などなど多くの呼び名があるが、これらの名称には、大国主命のそれぞれの場面と立場を反映されているといわれている。

では、大己貴命はというと、少彦名命とともに国造りを行っている頃の、やんちゃで溌溂とした側面を表現した呼び名のように思える。

また、「貴(むち)」がつく神名はとても希少。

大日孁貴」おおひるめむち=天照大御神の亦の名)、「道主貴」(みちぬしのむち=宗像三女神)と、こちら「大己貴」の三柱しかいない。

少彦名命

日本神話において、大己貴命に協力して国造りを行う神。大己貴命の子分ではなく、対等な位置づけで描かれている。義兄弟とも。

農業や土木といった大陸の先進技術はもちろんのこと、酒造、薬草、温泉、まじない、といった健康増進や病気平癒の技術や知識なども広めたとされる。

神名の通り、手のひらに乗るほどの小さな神だが、高皇霊産神の子神(日本書紀)とも、神産巣日神の子神(古事記)ともされる、高貴な神だ。

造化三神の子神、すなわち天の神の子であるからして「天神」と称され、全国各地の「天神社」に主祭神として祀られていた。

平安後期に菅原道真公(天満大自在天神)の祟りを鎮めるために天満宮が創建されて以降に広まった「天神信仰」の影響を受け、少彦名命を祀る天神社に道真公(天満大自在天神)が合祀されるようになっていった。

五條天神社の創建

12代景行天皇の御代日本武尊による東北征伐の際に、「薬祖神の大神」のご加護を頂いたことへを感謝して、上野山にて祭祀したのが始まりという伝承あり。

室町期の文書「北国紀行」によると、

正月の末 武蔵野のさかい忍ヶ岡を優遊しはべり鎮座の社五條天神と申しはべり、折ふし枯れたる茅原を焼きはべり 五條神社HPより

よって、室町時代には既に存在していたことがわかる。

室町期には摺鉢山古墳上にあったと見るむきが多い。

江戸時代に入ると上野山に寛永寺が建立され、その拡張に合わせて、寛永寺黒門の脇(現:西郷さん銅像あたり)へ遷座。さらに南の瀬川家屋敷(アメ横入り口)に遷座された。

明治維新後の上野戦争で寛永寺が焼失し寺勢は衰えるに伴い、昭和3年に現鎮座地へ遷座した。

南へ下ったのちに元に戻ってきた格好だ。

配神である道真公の合祀は1641年のこと。天海と公海の師弟が「天神社に道真公が祀られていないのはイカン」とし、道真公像を作成して合祀したという。社名も「下谷天満宮」とされたらしい。

五條天神社のご利益

医薬の神であるからして、「病気平癒・無病息災・延命長寿」がご利益である。

酒に係る人々の守護神にもなろうし、温泉施設の守護神としてお祀りするのも良し。

さらに大己貴命と言えば「縁結び」「経営」であろう。

そして道真公のご利益は、「和歌上達」および「学業向上」である。

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五條天神社 参拝記録

京成上野駅から、不忍池と上野公園の間の道を北上する。

弁財天の鳥居前を通過すると、右側に斜面を上っていく車道が見える。上野精養軒へ向かう道だ。

そこをあがっていくと、正面に鳥居が見える。

社頭

右斜め奥に見える鳥居は、花園稲荷神社のもの。

この鳥居をくぐると、今度は石段を降りる。鳥居よりも神域が低い構造を「下り宮」という。

祟り神を封印しているだとか、征服した側が征服された側の神を祀る場合に用いられる構造だとかいわれているが、こちらの場合はそのようなややこしい理由ではなかろう。

手水盤

とても変わった形状をしている。花びらか?不忍池をあらわしている?

拝殿

昭和3年にここに遷座されたときの社殿。空襲での被害を免れた幸運な社殿である。

この社殿の幸運にあやかろうではないか。

二杯二拍手一杯。

最後に

さてさて、

京都に五條天神社がある。少彦名命を祀る。平安遷都の際に空海が勧請したとされる天神社だ。平安京の五條通りに面している。

大阪にも五條宮がある。四天王寺の鬼門にあたる場所に鎮座する。現在の祭神は敏達天皇だが、創建当初は四天王寺の医療施設「施薬院」と「療病院」の守護のために祀ったといわれる少彦名命だったという。飛鳥時代の創建で、難波宮の五條通りにあった。

こちらの五條天神社の創建が景行天皇の御代なら、圧倒的にこちらの方が古い。がしかし、五條と称する理由が見当たらない。。。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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