少彦名神社|道修町|ご利益は無病息災。大阪本町のど真ん中にある都会のオアシスは、心和むスポットだった。
商都大阪の中心地「北浜」。大阪証券取引所を中心に多くの証券会社のビルが立ち並ぶ。東京で言えば兜町だ。
北浜の少し南には、製薬会社や薬問屋がの気を連ねる通りがある。「道修町」だ。これ「どしょうまち」と読む。
江戸時代。薬種中買仲間が店を出したのが始まり。当時は、中国やオランダから輸入された薬は「道修町」に集まり、ここから全国に出荷されたと聞く。
「少彦名神社」は、そんな薬の街「道修町」の少し古ぼけたビルに囲まれた一角に、ひっそりと鎮座する。
少彦名神社について
少彦名神社 概要
- 所在地 大阪府大阪市中央区道修町二丁目1番8号
- 電話番号 042-722-2325
- 主祭神 少彦名命、神農炎帝
- 創建年 安永9年(1780年)
- 社格
- 公式HP http://www.sinnosan.jp/
少彦名神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 地下鉄堺筋線「北浜駅」徒歩すぐ
- 京阪「北浜駅」徒歩5分
駐車場
- なし
少彦名神社の創建
中国など海外から薬を輸入していた関係で薬種中買仲間の会所には、中国の薬の神「神農氏」が祀られていた。
1780年。京都の五條天神社から「少彦名命」の分霊をいただいて、「神農氏」と合祀した。これが神社の起源となる。
1837年。大塩平八郎の乱で会所が焼失した際に、再建された会所内に「祠」を設けて祀ることになる。
1906年。一村一社制の動きの中で、近隣の神社に合祀するか否かの判断を迫られたため、独立した神社として存続させることにした。
よって境内敷地の拡大と社殿の造営を行い、1910年、正式に少彦名神社が誕生することになる。
これが創建である。
少彦名神社の祭神
祭神は、少彦名神・神農氏である。
少彦名命
ガガイモの船に乗って海の彼方からやってきた小さな小さな神とされており、大国主命の名参謀として国造りに活躍する神だ。
古事記では、神皇産霊神の子神とされ、日本書紀では高皇産霊神の子とされる。いずれにしても天地の始まりのときに現れた神々「造化三神」の子である。よって「天神」として各地に祀られている。
医薬・温泉・禁厭・酒造・穀物・知識の神など、様々なご利益を頂けるとされる。
海の彼方からやってきたというところから、元々は渡来系の神であるとする説もある。
神農氏
黄河文明が花開く以前。古代中国の「神話伝承」における、中国の皇帝「炎帝神農」を指す。
神農は頭は牛で体は人間とか。
民衆に対して、農耕に必要な知識を教え、便利な道具を開発したりと、農耕民族化を推し進めた。
また、食用可能な草木を選別し「薬」というものを開発した、まさしく古代中国の英雄である。
毎日毎日、多くの草木を舐めることによって「薬か毒かを選別」していたため、1日に70回も中毒になっただとか、最後はケシを舐めて死んだとか、、、
このように、農業の神であり、薬の神なのである。
さらに、神農氏の末裔の「融通王」に注目する。
融通王は日本では「弓月君」。民族大移動クラスの規模で百済経由で日本にやってきた一団の長である。
この一団が「秦氏」だ。応神天皇の御代のことである。
そして「融通王」の一団が、日本で初めての露天商を営んだ。
よって、香具師・てき屋業界では「神農」を守護神・まもり本尊として崇敬しているようだ。
少彦名神社の御利益
少彦名神社の御利益を整理すると、
少彦名命には、医薬・温泉・禁厭・酒造・穀物・知識に関する諸々のご神徳があり、
神農氏には、農業・薬に関する諸々のご神徳がある。
よって、疫病除け・病気平癒・学業向上・五穀豊穣・商売繁盛の御利益が頂けそうだ。
医学生など医療関連の資格試験受験者の参拝も多いと聞く。
少彦名神社 参道の様子
少彦名神社には駐車場は無い。近隣のコインパーキングをご利用いただきたい。
電車でのアプローチについては、地下鉄堺筋線の北浜駅が最寄り駅であろう。一番南の出口から出て頂きたい。そうすればすぐだ。
「道修町1」の交差点を西へ入ると、右手にこのような昇りと虎の絵の描かれた看板が言える。
注連柱
ここから15mの石畳が参道となる。
薬の展示コーナー
参道の左手のショーケースで薬が展示されている。あとでわかったが、この左手のビルは「薬の資料館」なのである。
境内の様子
ビルに隠れてしまっているのが、少々残念ではあるが、雰囲気を持った鳥居である。
ご神木
参拝客に根元を踏まれないよう、竹が敷かれている。
ご婦人5人組がご神木を取り囲み、幹に手を置いて、しばしの瞑想。
手前のご婦人、敷かれた竹の意味を知ってか知らずか、ヒールで根を踏んづけているではないか。
それはそうと、小さな朱の鳥居の意味するところとは、一体なんなのだろうか。よく路地の壁際に置かれている「立小便お断り」のそれと同じように見えてしまうのだが、、、
龍の水口。さりげなく活けられている花。そして一輪の花が水面に浮かぶ・・・この繊細な美。「Cool Japan」だ。
右横下のボンベなどは、見えないことにするのである。
拝殿
二礼二拍手一礼。天津祝詞。
間口は狭いが、いろんなものが置かれている。実に効率的に。
そんな諸々の展示物の中で、特筆すべきは、これである。
伊勢遥拝所
境内が狭いため、神棚で遥拝所を表現するあたり、なかなかのツワモノである。ちなみに、神宮の授与所で購入した神棚と思われる。しかし伊勢の方向を向いていない。そんな細かいことはいいのである。
というのも、前述の薬種中買仲間は伊勢講が運営していたのだから。
遥拝所の前段には「神宝象牙七福神」「大国主神」「えびす神」が祀られている。賽銭箱もしっかりと配置されている。
- 大国主神・・・家内安全
- えびす神 福徳円満
摂社・末社を設置する場所が無いがゆえに、拝殿前に設置しているのだろう。素晴らしい。
拝殿から弊殿・本殿
間口は狭いが、奥行きは長くとられているようだ。
あちこちに草花が配置されていて、にぎやかな楽しい気持ちになれる拝殿である。
張子の虎
少彦名神社は、先の参道から始まって至る所に「張子の虎」がぶら下がっている。
少彦名神社と張子の虎
文政5年(1822)に大阪でコレラが大流行。当時で言うところの「コロリ」。
コロリがいかに恐ろしい疫病かは、幕末時代にタイムスリップした現代の医者が江戸の町で活躍する「仁 JIN」に描かれたとおりである。発症後3日で死亡するので「三日コロリ」と言われた。
その時、道修町の薬種商が、疫病除けとして「鬼を裂く」といわれる虎の頭骨など10種類の和漢薬を配合した「虎頭殺鬼雄黄圓」という丸薬をつくり神前で祈祷し、「張子の虎」と合わせて販売したところ、非常に効果があったとのこと。
現在でも笹に張子の虎を付けて授与している。初穂料3000円なり。
ペット祈願 絵馬
人間の病気平癒や無病息災だけでなく、ペットのそれも祈願することが出来る。これは珍しい。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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