御霊神社|大阪中央区|ご利益は禊祓と子孫繁栄。瀬織津姫を祀る大阪の聖地

2018年8月22日

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御霊神社は、大阪市中央区淡路町に鎮座する神社。その起源は、平安時代の天皇即位翌年に行われる「八十島祭」の祭場。由緒正しい古社である。

関西で御霊神社というと、京都の上御霊・下御霊のように「御霊=怨霊」を祀ることでその強力な霊力を守護神に変換するという「御霊信仰」を想像するのだが、大阪の御霊神社はそれとは異なる。

御霊神社の概要

  • 所在地   大阪市中央区淡路町4-4-3
  • 電話番号    06-6231-5041
  • 最寄り駅  淀屋橋・肥後橋・本町から徒歩5~6分程度
  • 駐車場   境内に数台
  • 主祭神   天照大神荒魂(瀬織津姫神)
  • 創建年       不明
  • 社格    府社
  • 公式HP   http://www.goryojinja.jp/

御霊神社 MAP

大阪市中央区淡路町4-4-3

御霊神社の祭神

天照大神荒魂、津布良彦神、津布良媛神、応神天皇、源正霊神の五柱を祀る。

天照大神荒魂

天照大神の荒魂といえば、伊勢内宮の別宮「荒祭宮」に祀られる神で、正宮「皇大神宮」と並ぶほどの格式を持つ。

当社では天照大神荒魂を「瀬織津姫命」と明言している。

瀬織津姫命は、大祓詞に登場する祓戸四神の筆頭で、もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す役割を担っている。

よって、水神・祓の神・滝の神・川の神・海の神などとされる。

津布良彦神、津布良媛神

旧摂津国津村郷の産土神としている。

ちなみに、、、

伊勢の神宮の末社に「津布良神社」があり、祭神は「津布良比古命・津布良比賣命」。同じである。内宮の禰宜である荒木田氏との関係が深いとされる。

そちらでは、田野の水の神として祀られているようだ。

応仁天皇

第15代の天皇で、八幡神社に祀られる。八幡大神とも。

天照大神と同じく、皇祖神とされている。

平安末期、源氏が篤く信仰。八幡神の守護のお蔭か、源頼朝は武門の棟梁「征夷大将軍」となり鎌倉幕府を打ち立てた。後世、武将を中心に「戦勝の神」として信仰を集める。

源正霊神

源正霊神は、平安後期に相模国鎌倉を領した鎌倉氏の「鎌倉権五郎景正」の神号である。平景正とも。

源義家(八幡太郎義家)が起こした後三年の役の際、義家方の先鋒として従軍。右目を射抜かれながらも奮闘したという強者である。しかも当時16歳。

平安後期の創建と思われる鎌倉市にある御霊神社は、関東平家五家の始祖であるところの、鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の五氏の霊を祀っていた。

五霊を祭る神社で「御霊神社」。後世、その五霊が鎌倉景正一柱に集約されたという。

学業成就、必勝招来、眼病治癒の神徳があるとされる。

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御霊神社の創建

八十嶋祭、圓神祠の時代

平安時代の大阪は、大阪湾が現在の平野部に深く入り込んでいた。

淀川と古大和川が現在の大阪城の東で合流し、その深く入り込んだ湾に流れ込む。

これらの二本の大河が運ぶ大量の土砂によって、河口には多くの島や中洲が形成されていたという。そして、これらの多くの島々をさして「八十嶋」と称した

八十嶋とは、大八洲すなわち日本国土をも指す名称だ。

そのような八十嶋の一角に「圓江」(つぶらえ)と呼ばれた円形の入り江があった。

神社由緒では、この「圓江」が平安時代に行われていた「八十嶋祭」の舞台であるとする。

八十嶋祭とは・・・天皇の即位儀礼の一つで、大嘗祭の翌年に大阪の難波津において新天皇の日本統治の証をたて、御代の末永からんとことを祈願する祭りである。

難波の津に祭壇を設け、神に沢山の供物を捧げる。そして内侍(女官)が天皇のお召し物を西の海に向かってヒラヒラと振り、禊を行う。祭りが終わると供物を海に流した。

八十嶋祭の主祭神は、生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)が知られ、生國魂神社の祭神である。

その他には、住吉四座、大依羅神四神、海神二座・垂水神二座・住道神二座にも、幣帛が供えられたとされている。

そして、その祭壇が設けられたのが「圓江」であったと伝わる。「圓江」は、新天皇の諸々の禍事、罪、穢れを祓う場所だったといえよう。

そして、いつのころか、圓江の祭場に祠が建てられた。「圓神祠」である。これが御霊神社の起源とされる。

摂津西成郡圓神祠、今稱御霊古今秘注云、堀江東有澤廻一萬歩許名八十嶋頭といえり、今大阪に属す。(倭訓栞より抜粋)

天照大神荒魂(瀬織津姫神)が祀られている。実にふさわしい場所だと思う。

それは、瀬織津姫神が祓いの神であり、罪や穢れを川から海に流してくれる神だからだ

船場に遷宮 圓江神社から御霊神社へ

圓神祠は圓江神社と名を変えて、、、伏見桃山時代。

大坂は豊臣秀吉の本拠となり大きく発展。圓江神社も全国の諸大名から深い信仰と寄進を集めるようになった。

そんな中、後に鹿野藩初代藩主になり津和野藩の祖ともいわれる「亀井茲矩」が大阪城下の邸宅の一部を寄進し圓江神社を遷宮(1590年)

そのとき、すでに邸宅内に祀られていた「源正霊神」と八幡神社を合祀し一時「五郎の宮」と称されたが、後年圓御霊と改称。「ごろう」が「ごりょう」となったわけだ。

寛文年中というから4代将軍徳川家綱の頃だろう。圓御霊は御霊神社と改称。1696年には御霊大明神を贈号された。明治に入り仏教色が排除され現在の御霊神社となるわけだ。

御霊神社のご利益

神社発表のご利益は、なかなかもって欲張りだ。

開拓、治水、生産、商業、文化、生命、厄病平癒、生活、交通、安産の守護神として仰がれ、特に厄除け、縁結び、諸事円満成就、開運招福、商売繁盛、夫婦円満、子孫繁栄の神様として格別な尊崇を受けています。

御霊神社HPより

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