稲荷神・宇迦之御魂神・倉稲魂命(うかのみたま)

2018年1月11日

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宇迦之御魂神は、日本の神話に登場する神。宇迦の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。他に「ウケ」も同様に穀物・食物の意味とされる。保食神(うけもちのかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)の「ウケ」だ。

記紀において、性別が明確にわかるような記述はないが、一般的には他の穀物神と同様にして女神とされている。

宇迦之御魂神の神名

  • 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) >>> 古事記
  • 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) >>> 日本書紀

宇迦之御魂神の神格

  • 穀物・食物に宿る神
  • 五穀豊穣の神
  • 諸産業繁盛の神

宇迦之御魂神の神徳

  • 五穀豊穣
  • 産業振興
  • 商売繁盛
  • 家内安全
  • 芸能上達

宇迦之御魂神の系譜(古事記)

  • 父 >>>建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
  • 母 >>>神大市比売命(かむおおいしひめのみこと)
  •  >>>大年神(おおとしのかみ)

倉稲魂命の系譜(日本書紀)

  • 父 >>>伊弉諾神(いざなぎのかみ)
  • 母 >>>伊弉冉神(いざなみのかみ)

古事記の宇迦之御魂神にしても、日本書紀の倉稲魂命にしても、誕生の記載以外に登場する場面が無い。従って、神性が固定されることもない。すなわち、後の解釈でどうにでもなるということだ。

そんなことから、様々な神名が別名として定義されていく、あるいは習合していくことになる。

  • 屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと) >>> 延喜式
  • 専女(とうめ) >>> 御鎮座伝記
  • 三狐神(みけつかみ) >>> 御鎮座伝記
  • 調御倉神(つきのみくらのかみ) >>> 御鎮座伝記
  • 大宜都比売 >>> 御鎮座伝記
  • 保食神(うけもちのかみ) >>> 御鎮座伝記
  • 稲荷神 (いなりのかみ) >>> 山城国風土記

 

宇迦之御魂神が祀られている神社(当ブログ内)

多くの神社の末社に祀られるため、ここでは主祭神として祀っている神社のみを御紹介する。

▼伏見稲荷大社(京都市伏見区)

fushimi

▼玉造稲荷神社(大阪市中央区)

▼花園神社(東京都新宿区)

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稲荷神(いなりのかみ)

今では、稲荷神といえば宇迦之御魂神という図式が出来上がっているが、稲荷神社の総本社であるところの伏見稲荷大社の祭神名に宇迦之御魂神が登場するのは室町時代のことであり、創建当初は宇迦之御魂神ではなかった。

では、なんだったのか。それはまさしく「稲の神」であり「稲荷神」である。

そもそも伏見稲荷大社は、新羅からの渡来系民族「秦氏」の氏神なのだ。

伏見稲荷大社の起源

秦中家忌寸の遠い祖先「秦の伊侶具」は、稲の束を高く積み上げるほど裕福であった。

ある日、大きな餅を的にして矢で射たら、餅は白鳥になって、山頂へと飛びさってしまった。食べ物を粗末にしたことを反省して山に向かうと、そこに稲がなっていた。

よってそこを「イネナリ」=「伊奈利」と呼び、社を建てた。

その子孫の代になって、先祖の過ちを悔いて、社の木を根こじに引き抜いて家に植えてこれを祀った。

いまでは、木を植えて根付けば福が来て、根付かなければ福が来ないという。

山城風土記 逸文より

とある。

和銅年間に山頂に社を建てたのが、伊奈利神(稲荷神)を祀る起源だろう。
後年、それを家に持ち帰って祀ったのが、伊奈利神(稲荷神)を屋敷神として祀る起源か。

いまでも、多くの会社の敷地に「稲荷社」が祀られている。

平安期の稲荷神

秦氏の基盤である山城国が都となったことで、秦氏は政治的は力も持つことになっただろう。

ここで伊奈利神にも大きな転機が。真言密教との結び付きである。東寺の建立に際して稲荷山の木が材木として使われたのだ。これにより伊奈利神は東寺の守護神となった。

(稲荷山の木を伐採したことで、伊奈利神が祟ったという伝承がある。)

「伊奈利」が「稲荷」に変わったのは、「類聚国史」の天長4年(827年)正月辛巳の詔が初見。。この年に従五位の神階を得ている。

すなわち、秦氏の氏神「伊奈利神」から、国家鎮護の「稲荷神」になったということか。

それ以降「延喜式神名帳」に「山城国紀伊郡 稲荷神社三座 並名神大 月次・新甞」と記載されるなど、「稲荷」表記に変わっていく。

そして942年には、稲荷神は秦氏の氏神という枠を超えて、朝廷より「正一位」の神階を授与される。都から最も近い正一位の神ということで、多くの参拝者を集めるたことは想像に難くない。

鎌倉期の稲荷神

このころは神仏習合がさかんな時期である。御多分にもれず稲荷神の本地仏は「十一面観音」とされた。

さらに、東寺においては真言密教の「荼枳尼天」(だきにてん)と習合させ、真言宗の布教とともに稲荷神(荼枳尼天)も全国に広がっていった。

この「荼枳尼天」は夜叉の一種で、人の心臓を食らう恐ろしい神である。「稲荷神は信仰をやめると祟る」という伝承が広まった理由の一つでもあろう。

室町時代

吉田神道の創始者「吉田兼倶」が著した「神名帳頭註」によると、、、

「本社は、宇迦之御魂神。須佐之男命の娘。穀物を司る。よって稲荷と言われるのだろう。イザナミ命の娘にも同じ名がある。」

やっとここで、宇迦之御魂神の神名が現れる。

同じく吉田神道の「吉田兼右」の「二十二社註式」では、、、

「中社は宇迦之御魂神。穀物を司る。またの名を豊受姫。大和国の広瀬大明神や伊勢外宮と同一の神である。比売大明神でもある。」

こちらでは、豊受大神や廣瀬大忌神と同一神とした。

ここから、他の食物を司る神々も同一神として定義されていくことになる。

江戸時代

江戸時代に、稲荷信仰は最盛期を迎える。

五穀豊穣の神・農業神から、工業神・商業神・屋敷神など福徳開運の万能の神とみなされるようになり、勧請の方法が容易な申請方式となったため、農村だけでなく町家や武家にも盛んに勧請されるようになった。

明治維新

明治に入り神仏分離政策によって、稲荷神を祀る神社は、宇迦之御魂神や倉稲魂神など神話に登場する神に神名を変更した。

現在、主祭神として祀る神社は2970社、摂末社などを合わせると32000社とか。堂々の第一位。

屋敷神として個人や企業などに祀られているものや、山野や路地の小祠まで入れると稲荷神を祀る社はさらに膨大な数にのぼり、もはや把握しきれないのである。