神須牟地神社|長居|須牟地の神の謎に迫る!ことが出来るのか?第2弾
神須牟地(かみすむち)神社は大阪市住吉区長居、JR長居駅の西に鎮座する、延喜式神名帳に記載された、いわゆる式内社である。
須牟地(すむち)は住道(すむじ)とも書く。住吉の道の神という意味だろうか。この住吉の道の当時の名称は磯歯津路(はしつみち)。
住吉の港から大和国の朝廷をつなぐ古代の幹線道路で、大陸からの渡来人はこの磯歯津路(はしつみち)を通って大和入りした。
そして磯歯津路に沿って複数(4社とも)鎮座していた須牟地神の一つが、ここ神須牟地神社である。所在が明らかな他の須牟地社としては、中臣須牟地神社と須牟地曽祢神社がある。
神須牟地神社について
神須牟地神社 概要
- 所在地 大阪市住吉区長居西2丁目1−4
- 電話番号 06-6692-6202
- アクセス JR阪和線「長居駅」徒歩5分
- 駐車場 なし(と思う)
- 主祭神 神産霊大神、手力雄命、天児屋根命
- 創建年 不詳
- 社格 式内社、村社
- 公式HP http://www.kamisumudi-jinjya.or.jp/
神須牟地神社 MAP
神須牟地神社の創建・歴史
創建
創建年代は不詳なるも、社伝には「2000年前に創建された」と記されている。であれば、とんでもない古社となる。
延喜式神名帳に掲載されているのだから900年頃には存在していたことは明らかだろう。
神社明細書に「はじめは住吉大社の北方住道に鎮座していたが、729年に楯原に遷移、その後、現鎮座に三遷した」とある。
これは700年代には存在していたことを示す資料と言えよう。
そして、前述の磯歯津路が雄略天皇の御代のものであるとする日本書紀を信用し、須牟地神が磯歯津路の道の神として祀られたとすれば、それでも400年代。
それ以上遡るには、自然信仰に求めるしか手はないのか。
近年
終戦後、存続の危機にあった神須牟地神社を救ったのが、八尾市の古社の神職。
無償で社地を譲り受け、少しずつ再生。焼失・飛散してしまった社史に関しての調査も行いながら、式内社としての威厳を取り戻しつつある。
ちなみにその宮司さんは、ヤクルトスワローズの大引選手のおじいさんとのこと。
そんなことで、野球ファンからは「大引神社」とも言われている。
神須牟地神社の祭神
現在の主祭神は三柱。
公式HPでは
神産霊大神、手力雄命、天児屋根命
としながらも、社頭の由緒書では、
神産霊大神、天日鷲命、少名彦命。
よくわからんのである。
ここから東南へ約3Kmにある「中臣須牟地神社」に、配神として「神須牟地神」が祀られている。
その中臣須牟地神社に残されている「叢社記」によると、
神須牟地神社は当社の西の天神山にあり、少彦名神を祀る
とあるらしい。
となれば、神須牟地神は少彦名神ということになってしまう、、
さらに、上の画像「神須牟地神社 由緒」には、
本社(当社)は、古来酒造や医薬の祖神として信仰厚く、、、
と記載されている。
これはまさに少彦名命のご神徳ではなかろうか。
とはいえ、ここでは、HPの情報を踏襲しよう。
神産霊大神(かみむすびのおおかみ)
天地開闢で出現した三柱の創造の神(造化三神)の一柱。日本神話の神々の最高位に君臨する神と言えよう。
「かみむすび」と「かみすむじ」は似ているが違う。
手力雄命(たじからおのみこと)
天岩戸神話で登場。天照大神が籠る岩戸を力ずくで引き開け、腕をつかんで引っ張り出した、神様界きっての力持ちの神様である。
手力雄命と聞くたびに、「腕力(かいなぢから)は角界一」と称された「出羽の花」を思い出すのは私だけであろうか。
天児屋根命
こちらも天岩戸神話で登場。岩戸の前で祝詞を奏上した神。となれば、神主さんの起源と言えようか。
中臣氏(藤原氏)の祖神。枚岡神社や春日大社をはじめとする春日神社の祭神である。
私のイメージはクールな秀才で世渡り上手。手力雄命とは対照的である。
これら三柱の主祭神に加えて、、、さらに多くの神を祀っている。ここが肝かも。
相殿神として3柱
・天日鷲命(あめのひわし)>>>忌部氏の祖神。
・大己貴命(おおなむち)>>>大国主命であるとする。国津神の大王。
・宇賀魂命(うがのみたま)>>>稲荷神。
追祀神として3柱
・少名彦命(すくなひこ)>>>薬・酒造の神。
・素盞嗚命(すさのお)>>>出雲の祖神。
・住吉大神(すみよしおおかみ)>>>海の神、祓いの神。住吉大社の主祭神。
中臣須牟地神社が神須牟地神社の祭神として主張する少彦名神は、やっとこさ、ここで登場する。
そして、気がつく。
社頭の由緒書にある、神産霊大神、天日鷲命、少名彦命は、主祭神・相殿・追祀のそれぞれ三柱の筆頭をチョイスしているということに。
これの意味するところはわからない。
神須牟地神社のご利益
繰り返すが、
古来から、酒造の神として、また医薬の神として崇敬が篤かったとされている。
まさに少彦名命のご神徳である。
このようなことから、新羅からの渡来人が大和に入る際に振る舞われた神酒を醸造したという住道社を、ここ神須牟地神社に求める見解につながる。
一方、中臣須牟地神社にも同様の主張が存在するから、ややこしい。
神須牟地神社 参拝記録
神須牟地神社は、JR長居駅を降りて西側「長居駅前本通商店街」を真っすぐ進めばよい。「長居商店街」のアーケードと交差する地点までくれば、正面に鎮守の森が見えるだろう。
車ならば、「西長居公園」をセットするのがいいように思う。
境内に駐車場は無いようだ。早朝の6時過ぎに参拝したため鉄の門が閉まっていたのだが、その奥に駐車場があるようには見えなかった。
私は路駐した。申し訳ない。
これは東の鳥居。社殿は南向きである。南の鳥居に回ろう。
鳥居をくぐるとすぐに中門がある。
中門
奥の拝殿まで見通すことが出来る。
農神社
門をくぐるとすぐ左手に末社があった。
農神社という。祭神は大己貴命。農業の神として祀られている。
ご神木
大きな楠のご神木である。境内には多くの木があり、どれも幹の太い立派な木であった。
狛犬
そのご神木の根元に鎮座するこの狛犬の存在感が凄かった。何かを主張しているように感じられた。
拝殿
拝殿内部
この拝殿はガラス張り。そのガラスに微妙に私が写りこんでいて、少しく怖い画像となってしまった。。。
二拝二拍手一拝。
拝殿から振り返って、神様目線で見た境内。
この馬の周囲は、若干空気感が異なる。ほんの少しだけだが、浄化的パワーを感じた。
最後に
不明な点の多い神社である。それは極めて古くから存在する神社であるからこそなのかもしれない。
わからないものは、わからないのである。しかし、わからないからと言って壊されたりせず、1000年以上も存在してきた。
無意識の中にある存在意義こそ真実であり神なのかもしれない。だからこそ、神秘を醸し出すのであろう。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
ディスカッション
コメント一覧
2019年08月15日
昨日 神須牟地神社
http://fleurie.sblo.jp/article/186426178.html
大引選手の