波除神社|築地|ご神徳の効果によって、災難を除けて人生の荒波を乗り越えて行けるのである!
波除神社は、東京都中央区築地6丁目、築地場外市場の一番奥に市場に組み込まれたように鎮座する神社である。
場所が場所だけに、当然ながら築地で働く人たちの守り神として信仰を集める。
魚貝類の命を頂くことで生業が成り立っている築地の人々や組合が建立した魚介類の慰霊碑「お塚」が、狭い境内に整然と並べられている。
昨今は、築地市場に立ち寄った外国人旅行客が写真を撮るために、狭い境内は大混雑だ。
波除神社について
波除神社 概要
- 所在地 東京都中央区築地6丁目20−37
- 電話番号 03-3541-8451
- 主祭神 倉稲魂命
- 創建年 万治2年(1659年)
- 社格 村社
- 公式HP http://www.namiyoke.or.jp/
波除神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 地下鉄日比谷線「築地駅」徒歩5分
- 地下鉄大江戸線「築地市場駅」徒歩5分
駐車場
- なし
波除神社の祭神
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)。すなわち、稲荷大神である。
波除神社の創建
江戸時代のことである。当時の東京は八重洲が海岸線であった。つまり築地は海だったわけだが、ますます増える人口を収めるべく、海岸の埋め立て事業が盛んに行われることになる。
日比谷の埋め立てから始まって70年後、当時の江戸を襲った明暦の大火のあと、いよいよ築地の埋め立て工事が始まったのだが、大波が打ち寄せてなかなか工事がはかどらない。
ある晩のこと。波間に光を放つ物体を発見。これを引き上げると、なんと稲荷大明神のご神体ではないか。ご神体に畏れて、社殿を造営し丁重に祀り、盛大な祭りを催した。
すると、なんということか、波風がピタリと止んで、工事は順調に進み埋め立てが完了した。
1659年のことで、これを創建とする。
江戸時代の1657年に起こった、江戸の町を全焼するほどの大火事。
明和の大火、文化の大火と共に江戸三大大火の一つといわれ、明暦の大火がその筆頭といわれる。
関東大震災・東京大空襲を除く、日本火災史上最大の火災とされている。
この火災によって、江戸城天守閣は焼け落ちてしまい、その後再建されることはなかった。
この明暦の大火の結果、江戸の都市整備が急速に進展した。人口密度が高かった市街地から郊外へと居住地が広がり、暮らしやすくなった。
住んでいると立ち退き等々で実施がなかなかに困難な都市再整備事業。このように、きれいさっぱり焼失したがゆえに、結果として江戸の都市整備が進展したわけで、「幕府放火説」が囁かれるのもわからないでもない。
しかし現在では、本妙寺火元引き受け説が有力なようである。これは、本当の火元は老中職阿部家の屋敷なのだが体裁が悪いため、隣の敷地にあった本妙寺と取引し、火元の肩代わりをしてもらったという説である。
これは、ほんとうに火元なら死罪になるべき本妙寺が、そうはならずに同地に再建されたこと、このあと異例の出世をしたこと、阿部家から毎年多額の寄進が行われていたことなどから推察された説である。
話を戻そう。
波除神社の御利益
「災難を除き、波を乗り切る」波除稲荷様とされ、災難除、厄除、商売繁盛、工事安全のご利益を頂けるとされている。
波除神社 参拝記録
築地の対岸にある勝どきのビジネスホテルに宿泊していた私は、朝早く起きて日比谷線築地駅まで歩くことにした。もちろん、波除神社に参拝することは組み込まれている。
勝どき橋を渡る。この橋は、日露戦争でも勝利を祝して建造されたと聞く。橋の中央から左右に跳ねあげられる式になっており、大型船舶が隅田川を航行することが出来た。現在は跳ねあげを稼働させることはないのだろうが、信号機が取り付けられている。
ここから築地市場をみるとこのような景観だ。
私の指が映ってしまっている。誠に申し訳ない。築地市場の船着き場と、その向こうに高層ビル群、そして東京タワーが見える。
この橋を渡ると築地市場だ。築地市場の敷地のへりを左に回り込むと、そのドン突きに波除神社が見える。
この画像の左側、映ってないが、10人程度の外国人観光客がカメラを構えているのである。
拝殿
千社札が貼られている。あんな上の方、どうやって貼ったのだろう。東京の神社っぽく「粋でいなせ」な感じがするではないか。
私は好きである。が、文化財に指定されている建造物に関しては遠慮して頂きたいのもだ。
鳥居をくぐってすぐの左右に、獅子頭が鎮座する。
厄除天井大獅子
鳥居を入って右に鎮座する「天井大獅子」である。つきじ獅子祭のときには獅子殿から出され、築地を練り歩くのだそうだ。
何故、獅子なのか。
大波を起こす原因である風と雲を司る龍と虎を、獅子の一喝で威服させるためだそうだ。
願い串
願い串を獅子の舌の上に置いて祈願すると、願いが叶うという。初穂料は300円。
手順はこうだ。
- 願い串に、お願いを記入する。
- 獅子殿に上がる。靴のままでよい。
- 時計回りに赤い毛氈の上を進み獅子の裏側に回り込む。
- 舌の上に置かれてある籠に願い串を入れる。
- 正面に回って、二礼二拍手一礼。
そうすると、獅子が願いを飲み込んでくれるという寸法だ。
これが、獅子頭の内側から見た「大獅子の舌」である。テカテカ光って綺麗である。
裏に回る角は、耳が出っ張っているため、姿勢を低くしないといけない。ご注意いただきたい。私は注意していても頭を打ってしまった。
弁財天社:お歯黒獅子
天井獅子の向かい側に、手水舎とセットになった獅子殿がある。朱色の柄杓が見えるだろうか。
こちらの獅子はお歯黒獅子と呼ばれ、雌の獅子である。お歯黒であるから既婚の雌の獅子ということになろう。おそらくお相手は、向かい合わせで見つめ合ている天井大獅子と思われる。でなければならないと思うのは私だけであろうか。
さて、こちらはの獅子殿は、実は市杵島姫命を祀る神社でもある。獅子の頭の上にある、雌を表す「宝珠」の中に、市杵島姫命=弁財天のご神像が収められているとのことである。
市杵島姫命=弁財天は、芸事の向上、美容、財運の守護神とされている。
末社合祀殿
このお歯黒獅子の右側手に末社を合祀した社殿がある。
こちらには、次の祭神が祀られている。
天照大御神
伊勢は内宮の祭神にして、皇祖神であり、全国民の氏神様として日本神道のトップに君臨する神である。その正体については、様々な議論を読んでいる。
大国主命
国造り・因幡の白兎・国譲りなどの神話に登場する。国津神のトップ的存在で、神仏習合によって大国天とされ、縁結びや商売繁盛の守護神として全国的に崇拝を集めている。
少彦名命
大国主命の名参謀としして国造りを推し進めた、いはばブレーン的存在。常世の神、医薬・温泉・禁厭・穀物・知識・酒造・石の神など、様々な側面を持つ。これらを見ると秦氏と重なって見える。少なくとも渡来人であろうと思うのである。
天日鷲命
天孫瓊瓊杵尊の降臨の際に五伴緒の一人として随伴した太玉命の部下である。
一般的には、特に関東では「お酉様」として親しまれる神。豊漁、商工業繁栄、開運、開拓、殖産の守護神として信仰されている。まさに築地にピッタリの神である。
お塚
境内には、本殿や摂社・末社の他に、塀沿いに多くの「お塚」が祀られている。
経沿い奥から順に
- 昆布塚
- おきつね様
- はまぐり石
- 活魚塚
- 鮟鱇塚(あんこう)
- 海老塚
- すし塚
- (末社合祀殿)
- 玉子塚
- (弁財天社)
と並んでいる。
どれも、その業界の組合であったり、企業であったりが寄進したものである。唯一、おきつね様だけは由来がわからないとのこと。
いすれにしても、私達は、命ある生き物を食べさせていただくことで、生きることができ、また豊な生活を送ることができるのだ。感謝と慰霊の気持ちを込めて、手を合わせようではないか。
「今から築地の海鮮丼を食べさせて頂きます。お命を頂きありがとうございます。」と。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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