辛国神社|藤井寺|饒速日尊が鎮まる聖地は美しい癒しの空間だった。
辛国神社は、藤井寺市藤井寺に鎮座する、延喜式神名帳に掲載される式内社である。
藤井寺駅前の商店街を抜けた住宅街の一角にあり、すぐちかくには国宝の千手観音で有名な葛井寺や、九州征伐の途中で崩御された仲哀天皇の御陵があり、歴史好きにはたまらない散策コースとなっている。
明るく美しい境内は居心地がよく、駅から10分かからない好アクセスなので、是非ご参拝頂きたいと思う。
辛国神社について
辛国神社 概要
- 所在地 大阪府藤井寺市藤井寺1-19-14
- 電話番号 072-955-2473
- 主祭神 饒速日尊
- 創建年 不詳
- 社格 式内社・村社
- 公式HP http://www.karakunijinjya.jp/
辛国神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 近鉄大阪線「藤井寺駅」徒歩8分
駐車場
- あり
境内の南面、すなわち学校との境目の道路から入場。
辛国神社の歴史
創建
社伝によると、21代雄略天皇の御代に創建されたと伝わる。
その根拠は、、、
日本書紀の雄略天皇13年(469年頃か)に「物部大連に餌香長野邑が与えられた」(餌香長野邑は現在の藤井寺市あたりとされる)とあり、であれば、物部氏がその祖神であるところの「饒速日尊」を祀ったはずだ、、、
という推測からの創建年代と思われる。
社名が「辛国」なのは、、、
物部宗家が滅びたのち、このあたりを支配した物部同族の「辛国連」が祭祀を司ったため「辛国神社」と称するようになった。
としている。
一方、韓国あるいは唐国が「辛国」に訛ったという説もある。となれば、渡来系の神を祀る神社だったのではないか?となるわけである。
どちらにしても、確証はない。好きなほうを支持すればいい。
いずれにしても当初の鎮座地は「恵美坂」、四天王寺中小学校の線路を挟んで向かい側あたりであったと言われている。
春日神を合祀
在地に鎮座したのは室町時代。遷座と同時に春日大社から天児屋根命を勧請して合祀した。以降、明治維新までの間は、「辛国神社」ではなく「春日社」と称されたようだ。
庇を貸して母屋を取られるといったところか。。。
野中神社の合祀
明治40年に葛井寺境内にあった長野神社を合祀。ゆえに素戔嗚尊が祭神に加わった。
ちなみに長野神社は、昭和25年に再び独立している。
辛国神社の祭神
主祭神に、饒速日尊・天児屋根命・素戔嗚尊を祀り、相殿に品陀別命・市杵嶋姫命を祀る。
饒速日尊
先代旧事本紀によると、、、
- 天照大神の孫で、正式には「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」という。いわゆる天孫。
- 瓊瓊杵尊の天孫降臨に先駆けて、天磐船に乗って河内国に降臨。その後大和国に入る。
- 神武天皇が東征し大和国を統治する以前から、大和国に君臨していた大王。
息子の宇摩志麻遅命が、物部氏・穂積氏・釆女氏などの祖となるため、これらの諸氏が居住していた地域には饒速日尊を祀る神社が多かったようだが、
時の権力者による権力保持の正当性を担保するために編纂された記紀によって、饒速日尊の存在は希薄にされ、功績は消された。
大和国という権力の象徴的地域に、当時の皇統とは異なる大王が君臨してた事実が邪魔だったのであろう。
という説を唱える歴史家は少なくない。
天児屋根命
中臣氏の祖神である。よって藤原氏の祖神。春日大社の第三殿に祀られる。
天照大神の岩戸隠れで祝詞を奏上した「祭祀の神」。瓊瓊杵尊の降臨時にも随行。
高天原の「エリート」というイメージが強い。これは、記紀によって意図的に作り上げられたイメージだと考える。
記紀ほ編纂には藤原不比等が深くかかわっているからだ。
藤原氏の政敵であった物部氏・蘇我氏を貶めることによって、大化の改新以降の藤原氏の権威を高める作戦である。
辛国神社のご利益
- 饒速日尊・・・「十種神宝」の効能にあやかって、「病気平癒と起死回生」のご利益を頂こう。
- 天児屋根命・・・「出世開運」「知恵・学問」のご利益を期待したい。
- 素戔嗚尊・・・厄払い・疫病除けである。
- 品陀別命・・・「運気向上」。母:神功皇后の「安産」も頂けるという。
- 市杵嶋姫命・・・若き瓊瓊杵尊の養育係であったことから「子供の守護神」。
辛国神社 参拝記録
辛国神社は東西に長細い境内。その南側に参拝者用の駐車場がある。10台程度は駐車可能だろうか。
本殿エリアのすぐ脇なので、一旦一の鳥居まで戻る必要がある。
一の鳥居
両部鳥居である。四脚鳥居ともいう。神仏混淆の神社に使われることが多いとか。
こちらの鳥居は「欅」で作られている。
鳥居から真っすぐに伸びた内参道が気持ちよさそうである。
笠木には瓦がのっかっている。
中門
鳥居からここまで約130m。駐車場はこのすぐ左にある。
伊勢神宮遥拝所
中門と駐車場の間に「伊勢神宮遥拝所」がある。明るい境内にあって、ここだけが少しく薄暗い。
二拝二拍手一拝。
手水でもって心身ともに清める。神は穢れを嫌うからだ。
神紋は「上がり藤」。
拝殿
東向きに鎮座する本殿と拝殿。この向きはもしや「三輪山」を向いている?と思ったが、そのさらに奥の「鳥見山」の方角にピッタリ向いていた。
二拝二拍手一拝。
石畳の両側に白い玉砂利が敷き詰められていて美しい。
そうだ、辛国神社はどこをとっても美しい。綺麗に清掃されているのは当たり前だが、細部にわたり整えられているような印象を受ける。
例えるなら、高級料亭のお膳に並べられた京料理。小鉢一つ一つの色や配置や向きなど、全てが計算し尽された「美」と同じようなものを感ずるのである。
辛国池跡
辛国池は農業用の溜池である。かつてこのあたりにあったらしい。
境内社
春日天満宮
末社、春日天満宮である。菅原道真公を祀る。学問の神様として祀られている。
春日なの?天満宮なの?といった社名。
辛国神社の江戸時代までの社名「春日社」にある天満宮だから「春日天満宮」。紛らわし。
春日稲荷社
こちらも、春日社にあったお稲荷さんなので「春日稲荷社」。
宇迦之御魂神を祀る。衣食住の守護神にして、商売繁盛の神。
春日なの?稲荷なの?という愚問は、もう言うまい。
最後に
内参道を戻る途中に発見。おそらくは藤棚だろう。もう少し早い季節に来れば咲いていたのだろうか。
- 春日大社と言えば藤。葛井寺と言えば藤。いずれも藤で有名。
- そして藤原氏の家門は「下り藤」で、辛国神社の神紋は「上がり藤」。
- 春日天満宮に春日稲荷。
ここは、物部氏の祖神を祀る神社ではなかったか?「庇を貸して母屋を取られる」のイメージは、今もなお拭いきれない。。。
合わせて訪れたいスポット
ここから南へ400m行くと、仲哀天皇の陵に比定されている「岡ミサンザイ古墳」がある。折角なので、そちらも訪れてみてはいかがだろうか。
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